« [comics]:音楽と漫画 | 最新記事 | 御守りピクトさん »

[exhibition]:モダニズムの京都展

 

Modernkyoto

●京都新聞創刊130年記念 京都学 前衛都市・モダニズムの京都展 1895-1930
 京都国立近代美術館 2009年06月09日〜07月20日
 主催:京都国立近代美術館・京都新聞社
 図録/発行:京都新聞社 装丁者名記載なし 
 
 冒頭の書影写真、背景の神社は平安神宮である。数ある京都の観光スポットのなかでも、特に有名どころのひとつだろう。一般常識的にいって「モダニズム」とか「前衛」とかいうジャンルとは対極にある場所だと思う。しかし、本展においては平安神宮はかなりの目玉商品なんである。…なんじゃそりゃ。
 

  
 本展は4つの章から成り、いくつものトピックスとキーパーソンが紹介される。
 まず第1章。テーマは『明治モダニズム都市・京都』ということでキーパーソンは田村宗立、トピックスは「琵琶湖疎水工事」と「日出新聞」の創刊。この展覧会、タイトルに『1895〜』と入れてるくせに、実は新聞の創刊も疎水工事の着工も1885(明治18)年なんである(完成は1890年)。なんでスナオに『1885〜』にしておかなかったんだろう。
「明治モダニズム」とはあまり聞き慣れない言葉だが、要は明治維新後、都市としての活力を失いかけている京都に近代化を推し進めていこうという動きのことだろうか。疎水工事のようなインフラ事業と、新聞創刊にみられるジャーナリズムの立ち上がりがそれにあたる。逆に言えば、維新直後の十数年間は、京都はほとんど死にかけていたということなのかな。
 田村宗立は画家で、それまでにないリアリズム描写を追求した人らしい。疎水工事の様子を精細に描いたスケッチなどが展示されているが、当時の人からすればとんでもなくリアルなイラストレーションに見えたのかな。ただし絵画作品として面白いというわけでもなく、本展とは関係のない4階の常設展示室に飾ってあった、別の作品の方がうんとよかった。
 この章の他のトピックスとしては黒田清輝、浅井忠などの同時代の画家の活動と、京都国立博物館(1897年開館)をはじめとする「明治モダニズム建築」の紹介。いずれも、現在の眼でみると和洋折衷ぶりがぎこちないし、いかにも新時代の表現を模索しているまっただ中なんだなあという感想しか出てこない。
 先にも書いたように本展では「明治モダニズム」という耳慣れない言葉を好んで使っているが、この時期の創作者の中に「〜イズム」というほど確固たるコンセプトがあったのかどうか。あったとしても「富国強兵」だの「和魂洋才」だのといった国策のたぐいに近かったんじゃなかろうか。そしてそれは、ふつう「モダニズム」と聞いて連想しがちな、都市文化的・民間活力的な猥雑とした喧噪とは性質の異なるものだろうと思う。本展が紹介しているのはあくまでインフラ事業としての疎水工事、公共事業としての博物館建築であって、たとえばその前後で街並みがどう変わったか、市民生活がどう変化したかまでには触れていない。このあたり、ハコモノさえ作ればあとは知らねーよ、というふうな<お役人的発想>に共通するものを感じる。
 先行他紙と差別化を図るため「絵入り・仮名読み」を売り文句にした日出新聞にしてからが、創刊号の附録に疎水工事の地図を付けているくらいだから、大規模インフラ工事や斬新だったはずの各種洋風建築は諷刺画や戯画の対象(つまり批判する対象)にもならなかったんだろう。でも、たとえば今で言う<景観論争>すら、当時ホントに誰ひとりとして口にしなかったのかなあ。
  
 同様の感触は続く第2章も同じで、このコーナーは本展のハイライトでもある。1895年の『第四回内国勧業博覧会』の紹介、および同時期に建立された平安神宮に関する展示がメインだ。
 縮小模型をはじめさまざまな資料で、この博覧会がいかに規模の大きいものだったかを示しているが、京都にとってはおそらくひざびさの大イベントだったはずの博覧会への、住民たちの賛否を交えた反応や喧噪ぶりや浮かれっぷりなんかは、残念ながらそれほど伝わってこない。
 平安神宮の巨大な建築図面がずらずらと並ぶ一角などは「モダニズム」がテーマなはずなのに、はてわたしは一体なんの展覧会に来ているんだっけと、軽いとまどいを覚えた。
 内国勧業博覧会の肝心の出品作はといえば、大規模だったというわりに具体的な内容がいまいちつかみにくい。現存している重要作のいくつかは貸し出しを許可されなかったようで、そのことを解説パネルや図録のなかでしきりに残念がっているが、そんなこと愚痴られてもねえ。
 この博覧会の頃といえば、世間は日清戦争の勝利に沸いていた時期なので、出品作の一部は当然ながら戦争画も含まれる。といっても展示品は主に浅井忠のスケッチ画で、いたって地味なものだった。
 
 第3章冒頭のゴットフリート・ワグネルの紹介に至ってはもっとわからない。この「京都では、陶磁器、染色、織物、七宝、ガラスなど様々な分野について化学の指導を行った(図録より)」というドイツ人化学者が京都に在住していたのは1878年から3年間というから、本展対象時期から大きくずれているのだが、いいのか。でありながら展示作品の多くを占める絵皿や壷は「1887-96」年作となっていて、ふつう作者名を書くところにワグネルの名前が載っているのである。このひと、化学者であって画家や陶芸家ではなさそうなんだが、じゃあこの絵皿に見事な鯉や鴨の絵を描いたひとは誰なんでしょ。なんだかいろいろと???が頭上を飛び交う展示内容だった。
 なんだか文句ばかり言ってるが、後半の京都高等工芸学校の紹介あたりからそろそろ面白くなり始める。この学校は現在の京都工芸繊維大学であり、浅井忠が教授として在籍していたことも有名だ。学校の設立は1902年。20世紀に突入したからかどうなのか、ここで紹介されている陶器や蒔絵作品はセンスもステキで「おお、さすがにモダニズムだねえ」と納得できるものが多い。これまで見てきた明治の生真面目なリアリズムから抜け出して、ようやく陽性で明快な図案化を試みられるようになったということなんだろうか。作品を通してそれを作ったり実際に使ったりしただろう人たちの活気が、こちらにも伝わってくるようだ。
 
 第4章、いよいよ「モダニズム」といわれて普通にイメージできるモノが並ぶ。今年(2009年)はじめに同じ美術館で展覧会が開かれていたばかりの上野伊三郎/リチの『インターナショナル建築』、電気自動車をはじめとする島津製作所コレクション、松竹映画のポスターにマキノ映画の雑誌群。見ていて楽しく、誰にもわかりやすい内容である。
 この章の副題は『前衛都市・モダニズムの京都』となっている。この言葉は展覧会タイトルとも重なっているが、はて「前衛都市」とはなんだろうと思っていると、このネーミングは五木寛之のエッセイに拠っているという。ミュージアムショップでその本(五木寛之 こころの新書7『宗教都市・大阪 前衛都市・京都〜日本人のこころ 大阪・京都』講談社/2005年(初出は2001年)/ISBN4-06-212934-5)を入手したんだが、帰りの電車のなかであらかた読み終えてしまえる程度の他愛もない内容だった。それも<祇園祭の飾り物は国際色豊か>だの<京都の町はルネサンス期のフィレンツェに似ている>だの<近代的市民意識が高かった町衆>だのといった、いかにも「京都大好きな方々」が喜びそうな内容(しかもとくに目新しくもない言説)ばかり。さらっと読んではみたもののどこが「京都=前衛都市」なのか結局よくわからなかった。せいぜい<伝統のまち、という一般的イメージのわりには京都人はあたらしもの好きである>という点をとらえて「前衛的」と言っているにすぎないのでは。だとすると美術用語としての<前衛=アバンギャルド>とは何の関係もない、いち作家のただのお世辞文句である。そんなシロモノをわざわざ展覧会のキーワードに持ってくるとは。
 仮にも近代美術館でやる展覧会として、こういう恣意的なタームの使い方はいかがなものか。わたしなど<ロシアをはじめとする同時代の前衛芸術の発信基地として、当時の京都が世界的にもかなり重要なポジションにいたのだ>とかそういう方向をうっかり期待してしまったではないか。
 
 * * *
 
 モダニズム期の日本。関西圏でいえば、京都よりも大阪や神戸の方がもっとダイナミックで活力にあふれていたんじゃなかろうか。最近でこそ阪神間に京都など周辺を加えて「関西モダニズム」と呼ばれるようになったが、京都に限定すれば特筆大書できるのはせいぜい映画産業と、…あと何だろう。
 本展が無理にでも「京都」にこだわっているのは、なんだか痛々しささえ感じる。前半の展示がとくに政府公報か官報みたく味気ないものになっているのもそのためかもしれない。疎水工事にしろ明治洋館にしろ博覧会にしろ、個々のトピックスは都市の近代史としてそれなりに興味深い内容ではある。なのにどうにも掘り下げが浅いというか消化不良感が残るのは、そもそもそれらを「前衛都市」とか「モダニズム」という大げさなキーワードでまとめること自体の無理さがあるんじゃなかろうか。そう、「前衛都市・京都」や「明治モダニズム」ってコトバからは、偽造とか捏造とまでは言わないにせよ、どこか誇大表示というか過剰包装というか上げ底された観光地の土産物というか、そんなうさんくささがぷーんと匂ってくるのである。
 
 20世紀の最初の30年ほどが「モダニズムの時代」だったのはほとんどワールドワイドなムーブメントなんだし、じゃあそんな世界的な潮流の中での日本(の中の関西(の中の京都))はどうだったのか、その美術史的あるいは文化史的意義はどこにあって最新研究ではどう評価され位置付けられているのか。そういう、もっとまともな——と言って悪ければもっとフツーに気軽に楽しめる——モダニズム展が観たいなあ…と思ったのでありました。 
 

2009 06 15 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

「design conscious」カテゴリの記事

comments

 

copyright ©とんがりやま:since 2003