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talby→G9
ケータイを替えました。

このブログで「talbyにしたよ〜」と書いたのは2004年12月。以来四年半、ずっと愛用していたんですが、とうとうiida G9に機種変更です。
べつにtalbyに不満はなかったんですけどね。入院中、友人たちから写メールやらムービーメールをいっぱい貰ったんですが、中にはtalbyじゃ再生できないものも多くあって。その都度「なにぶん古いケータイなもんで」などと返信していたんですが、そういうのもたび重なると双方にストレスが溜まる。なので、退院したら機種変更しなきゃなと思い、先日ようやくショップに行ってきたのであります。たぶん、入院してなきゃまだまだtalbyのままだったかもしれません。電池が少々くたびれてきたとは言え、故障や不具合もなく使用できてましたから。

「iida」の説明はauの専用サイトにおまかせします。で、商品を買ったらこういう専用の袋に入れてくれました。銀の箔押し+エンボス加工の凝ったつくりの袋です。こういう「付加価値」は往々にしてメーカーの自己満足にすぎないんだけどな。

パッケージはこんなの。こっちはまあ普通。

どうでもいい話ですが、こういう箇所に「OPEN」と表記するのが日本風だと思います。こんなの別になくても判ると思うんだけどなあ。

そのフタを開けたところ。黒いスポンジに「iida G9」のロゴが。

スポンジを外したらようやく本体が登場。ま、店頭で各種設定をやって本体をそのまま渡されるので、こういう箱詰めの状態で持って帰ってきたんじゃないですが。
この下に入っているのは卓上ホルダとマニュアルとCD-ROM(windows専用なんでうちのmacにゃ関係ないんだけどな!)だけ。昔にくらべて同梱品もシンプルになっているような気がします。





G9のデザインコンセプトコピーに「たとえば何十年も使い続けることのできる万年筆のように」という一文があります。揚げ足をとるようだけれど、じゃあこのケータイをこの先何十年も使い続けることができるかというと、答えはおそらくノーでしょう。いや、わたしは使い続けたいんですけどね。talbyだって、物理的にぶっ壊れない限りあと二、三年は使うだろうなあと思っていたんだし。
モノとしてどれほど上質に作ろうとも、それを何十年の単位で使い続けられない、というのはやはりなにか間違っていると思うんですよ。間違っている、という言い方がマズイなら「ある種の不幸である」と言い換えてもいいんですけど。talbyを買ってからたった四年半、久しぶりにauのサイトに行っていろいろ見て回ったんですが、料金体系からサービス内容まで、もうなにからなにまで変わっていて唖然としました。その間の動きを熱心に追いかけていたわけでもないわたしは完全に浦島太郎状態です。もちろんauだけじゃなく他社もものすごく変化しているし(vodafoneなんかsoftbankになっちゃったしね)、ITガジェットなんてぇモノはそういう風に変化し続けるのが当たり前なんでしょうけど(でもってそれを進化とか進歩とか呼びたがるんだろうけど)、別に「変化し続けるのが当たり前」じゃなくたっていいんじゃないかと、わたしなんかは思うわけで。
talbyだって、単体だったらまだまだ現役だったんですよ。けれども他人のケータイとの兼ね合いで、もはや使い物にならなくなってしまった。おそらくG9も早晩そういう道をたどるんでしょう。そこで「十年後でも同じ機種をずっと使い続けられる」って、どうしても無理なんですかね。いちおうG9には「ケータイアップデート」という機能があってソフトウェアの更新はできるようなので、その点talbyよりも長く使えそうな感じではあるんですが、だからといって「何十年も使い続けることのできる万年筆」になれそうかといえば疑問を抱かざるをえません。早い話、三年後五年後も同じようにG9が商品カタログに載って堂々と売られているか? 十年後二十年後でもアフターサーヴィスが万全か? ということなんですよね。どんな世界的大企業でもあっというまに経営不振に陥って、下手を打てばたちどころに会社ごと消えてしまう先行き不透明な時代に、十年スパンの話なんて絵空事以外のなにものでもありませんが。
ホントは、そういう通信をとりまく環境というか全体的なシステムの構築も含めた上での「プロダクトデザイン」じゃないのかなあと思うのですよ。auは「iida=innovation/imagination/design/art」などと大風呂敷を拡げてるわりに、少なくともいまのG9や草間彌生レベルじゃただの「表層デザインをがんばってみました」に過ぎないのであって、talbyやinfobarの頃の「au design project」とどこが違うのかさっぱりわからない。「iidaシリーズは何十年も使い続けられる端末ですよ」とメーカーが胸を張って保証してくれたらいいんだけど、そこまでの覚悟をauが持っているとも思えない。
契約上の二年縛りじゃなく、ユーザーみずからがすすんで「これだったら五年でも十年でもずっと契約し続けたい」と思わせるようなシステムをつくって、はじめてイノベーションだのアートだのといった大口がたたけるんじゃないでしょうか。もっとも、そこらへんは突き詰めればひとりauだけの問題じゃなく、また単に技術レベルの問題でもなく、通信政策や経済戦略なんかを含む政治的レベルの話になってくるんでしょうけど。
たった二年やそこらでどんどん機種を変えていくユーザーは今後も多数派なのかもしれませんが、二十世紀型の「右肩上がりの成長市場」なんてものはもはや過去の遺物と割り切って、いいかげん「一定数以上の買い換え需要がなければ市場が停滞あるいは衰退してしまう」という世間の常識それ自体を軌道修正してくれないかな、とわたしなんかは思うんですが…と、わたしの方も話の大風呂敷を拡げっぱなしにして、この項おしまい。
2009 06 05 [design conscious] | permalink
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