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[exhibition]:若冲ワンダーランド

●若冲ワンダーランド
2009年09月01日〜12月13日 MIHO MUSEUM
【展覧会図録】
編集・発行:MIHO MUSEUM
装丁者名記載なし
ISBN4-903642-04-6
本展の目玉は図録表紙にもなっている『象と鯨図屏風(1795年作・六曲一双)』だ。2008年に「発見」され、晴れてMIHO MUSEUMの所蔵品となり、修復作業を経て初の一般への「お披露目」である。ちなみに、若冲は同じ主題の屏風を少なくとももう一品描いており、そちらは昭和3年にオークションに出された時の資料写真が伝わっているだけで実物は確認されていないそうだが、かわりにこちらの方が北陸地方の旧家から見つかったそうである。
なんとも奇妙な絵ではある。いや、伊藤若冲の絵が「奇妙」なのは今に始まったことじゃないんだけれども。
かの『動植綵絵』に代表されるように、鶏や鴨やあるいは魚や菊や牡丹などの細部を異様なまでに細密に描写する若冲は、一方で龍や虎など架空の、あるいは実物を観察する機会がほとんどない対象は思い切ったデフォルメで描く。克明な細密描写も大胆なデフォルメも、ともに「若冲らしい」としか言いようのないユーモアをたたえていて、そのあたりが幅広い人気の秘密なんだろう。それにしても、である。
享保十三(1728)年終わり頃、二頭の象がベトナムから日本に「輸入」されたことがある(一頭はすぐに死んでしまった)。翌年三月に長崎を出発した象とその一行は、五月に江戸に到着した(この「事件」は、その後の象の運命も含めて黒田硫黄が『象の股旅』というタイトルで漫画化している。イースト・プレス刊《黒船》所収)。このとき若冲は14歳前後。天皇に拝謁すべく京にも立ち寄った象を、沿道で見物した可能性はある(本展図録194ページには<六月に天皇に謁見>とあるが、これはおそらく誤りで、正しくは四月ではなかろうか)。彼が生きた象を確実に「見た」という証拠は今のところ見つかっていないようだが、同時代の大ニュースのひとつではあったから大勢の絵描きがスケッチし、瓦版や本もたくさん売られていたので、少なくともそれらのいくつかは見ていたとは考えられる。
* * *
若冲が象を描いた作品はいくつかあって、ひとつは2007年に相国寺承天閣美術館で公開された『釈迦三尊像(1765年寄進)』のうち普賢菩薩を描いた一幅に見られる。この三尊像は古典作品の模写なので若冲オリジナルの表現ではないとはいえ、描かれた白象は彼らしい奇妙さもあり、しかしそれなりに動物らしさも保っている。
いちばん有名な若冲の象は、これまたとんでもなく奇抜な「モザイク画」である『鳥獣花木図屏風』だろう。2006年に派手なプロモーションでも話題を集めた「プライスコレクション 若冲と江戸絵画展」にも出ていたからご記憶の方も多いと思う(同工異曲の『樹花鳥獣図屏風』は静岡県立美術館にある。ともに制作年代不詳。なおプライスコレクション本は本展でも9月29日〜11月8日まで展示予定)。正面から描かれた白象は風船みたいにまん丸で、占有面積の大きさからいってもひときわ目立つへんてこりんな象だ。目つきが鋭くやや怖い印象の静岡本にくらべ、プライス本の方はすっかり様式化されて思わず「カワイイ」などと言ってしまいそうだが、どちらにしろとても生き物であるとは思えないヘンテコな図柄であることには変わりはない。
同じく象を正面から描いた構図では水墨画の『白象図(1768年頃作と推定)』などがあるが、今回「発見」された象にもっとも近いのは、これも「モザイク画」の技法で描かれた『白象群獣図(制作年代不詳)』だろう。こちらは2000年に京都国立博物館で開かれた「若冲没後200年展」で公開されていた(本展では12月1日から13日まで展示予定)。両作品とも白象をほぼ真横から見た構図で、半開きの口から牙が上向きに生えていて、長い鼻は上方でくるっと曲がっている。前足は折りたたんで座っているが、たたまれた脚先は身体にすっぽり隠れて見えない。ゆで卵を縦に切ったような、とってつけたような形の耳が不自然な大きさで配置されている。眼は新月のように細く、どこかうつろである。さきの正面図にくらべてもこちらの方がさらにヘンテコであり、どこかの公共団体がゆるキャラとしてうっかり採用してもおかしくないキモかわさだ。「動物らしさ」はすでにはるか遠いところに飛んでいってしまい、特に胴体から脚の部分などはただの「丸いぷっくりした物体」である。モザイク画の『白象群獣図』では上半身しか描かれていない象は、『象と鯨図屏風』では全身が描かれているけれども後ろ足がよくわからず、かわりに胴体の最後部から生えている尻尾がやたらに目立つ。
一方、左隻の鯨の方は、勢いよく潮を吹く「黒い物体」が波間からにょっと浮かんでいる図で、鯨の全体像は描かれていない。図録解説では<鯨についても実際に見た可能性はあると思います>と書かれているが、これはどうなんだろう。
もっとも、若冲における細密描写を、現代的な(解剖学的な、あるいは西洋的な)リアリズムとあまり結びつけて考えない方がいいとは思う。あんなに超リアルな鶏を描いた人が、なんでこんな白象を…などとつい思ってしまいがちだけど、それはむしろそう感じる現代人側の問題なのかもしれないのである…上でさんざん「ヘンテコ」だの「奇妙」だのと書いておいて、とってつけたようにこんなコトを書くのもナニですが。
* * *
亡くなる5年ほど前に描かれたこの屏風、もちろんこのころの若冲は、かつて息が詰まるほどの細密描写を見せていた若冲ではないのだが、ここに見られる茫洋としたスケールの大きさには若い頃以上の凄みを感じる。六曲一双だからじっさい大きい作品なのだけど、画面以上の空間の拡がりがある。
欲を言えば、若冲の描く動物や虫や魚たちは、どこか人を食った飄々とした表情をしているものが多くそこが魅力でもあるんだけれども、この鯨にも顔を描いて欲しかったなあ。いったいどんな表情にしたことやら。
今回の展覧会には、若冲に関する「新発見」がもうひとつある。これまで若冲といえば、長男でありながら家の商売(錦小路の青物問屋)も継がずに絵に没頭した、引っ込み思案で世間とのつきあいも上手くできないような男、というふうにイメージされてきた。たとえば没後200年展図録の巻頭論文を書いた京都国立博物館の狩野博幸氏は<無趣味・無芸の唐変木>とか<今で言うオタク>だとか言いたい放題である。しかし、最近になってそういう若冲像をくつがえす資料が見つかったそうで、それによると錦小路青物市場消滅の危機を東奔西走して救ったことがあるらしい。
へー、だからどうなんだ、と言いたくなるが、前述の狩野氏などは本展図録に7ページにわたって「大反省文」を書いている。ま、ヒトの印象なんてちょっとしたことや解釈のしかたでどうにでも転ぶものである。ましてや200年以上も前の人物の実像なんて。たとえ今回<引っ込み思案の“絵画バカ”>から<現実から逃げに逃げるオタクやニートとは正反対の快男児>へと180度評価が変わろうと(これらのフレーズはともに狩野氏の文章より、それにしても極端だなあ)、それがいつまたひっくり返されるかわからないし、気にしすぎるのもどうかという気がする。
そんな軌道修正やら自己批判やらは専門家の偉いセンセイ方にまかせることにして、わたしたちは目の前の絵画作品をただ無邪気に楽しんでいるだけで充分であります。
2009 09 25 [design conscious] | permalink
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