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Tyva Kyzy(トゥヴァの娘たち)

 

Tyvakyzy

 
●研究公演 南シベリア・トゥバの喉歌 ホーメイ
 2009年10月11日 国立民族学博物館 講堂
 
 本公演の解説を務めておられた巻上公一さんによれば、トゥヴァでは今でも「ホーメイは男性のもの」という意識が強く、女声は(いないことなないのだけれども)限られていて、なかでも女性だけのグループとして活動しているのは今回来日したTyva Kyzy(トゥバクィズィ=トゥバの娘たち、なお国名のトゥヴァの英語表記はかつては“Tuva”だったが、1994年にトゥヴァ語を重んじて“Tyva”に改められている。ロシア語表記は“Тыва”)が史上初とのこと。このグループは1998年に結成され2000年に初来日を果たしているので、じつに9年ぶりの2度目の来日公演だ。
 女性がホーメイをやることに関しては、いまだに伝統的なホーメイの歌い手からは顔をしかめられることもあるそうだ。司会の小長谷教授——ご専門はモンゴルなのでトゥヴァはあまり詳しくないと言ってらしたが——はモンゴルでホーミーを習おうとしたら「大人になってから始めると早く死ぬぞ」と脅されたそうで、あの唱法は身体によくない→だから女性は歌うべきではない、という考え方も根強いのかもしれない。実際、グループのメンバーは「子供ができなくなるぞ」と言われたこともあって、「それってセクハラですわよねぇ」と小長谷教授は言っていたけれども、伝統(および伝統芸能)におけるジェンダーの問題は、ひょとっすると単に女性差別などと断じて済むようなことだけでもないのかもしれない、とも思う。
 
 今回来日したメンバーは4人、うち2人は創立時からのメンバーで、1974年生まれと75年生まれ。あとの2人は10歳ほど若く、83年生まれと84年生まれ。みな「民族衣装」を着込み複数の「民族楽器」を操り、ホーメイのいくつもの歌唱法をこなす。「女性がするものではない」という“伝統”に逆らってまで演奏する彼女たちのうたや演奏は、しかしものの見事にトゥヴァの“伝統音楽”である。そんな彼女たちにとっての「トゥヴァの伝統」って何だろう、とふと考えてしまった。

 
 リーダーのチョドラー・トゥマット(上掲ポスター写真いちばん左)は女性によるホーメイうたいの草分け的存在だということだ。では彼女はどうして喉歌をやりたいと思ったのだろう? ここでちょっと妄想に入る。というのは、当人たちに確認したわけではないのであくまでこちらの勝手な想像に過ぎない、という但し書きを入れておきたいからなのだが、彼女たちが「伝統」に挑戦しはじめたのは1991年のソヴィエト解体という「大事件」がきっかけになっているということはないだろうか。
 チョドラーさんの世代だと、ハイティーンのいちばん多感な時期は、ちょうどクレムリンがごたごたしていた頃にあたる。国としてのトゥヴァは結局「ロシア連邦の一員」という道を選んで今に至るのだけど、自国の行く末について国中の誰もが深い関心を持たざるをえなかった時代を経たからこそ、「私が」ホーメイをやらなければ、というある種の“使命感”に駆られたのではないか——そんな想像が頭をよぎったのだ。
 トゥヴァの女性歌手では、たとえばサインホ(たしか1957年生まれ)のような先駆者が思い浮かぶ。彼女も自国の民謡を歌いたかったのだけど地元では場を得られず(彼女の喉歌は独学である。つまり誰ひとり彼女に教えようとしなかったわけだ)、活動の場を求めてモスクワに移り、そこから世界に打って出たという経緯があった。彼女のデビューはまだ「ソビエト連邦」が確固としていた時代だった。たとえばもし誕生があと20年遅かったら、その後の人生も大きく変わっていたに違いない。
 
 
 4人の“トゥヴァの娘たち”の喉から(うちひとりはメインでは歌わなかったが)発せられるホーメイは、男声に比べるといくぶん線が細いものの、あのうなるような低音もしっかり出せるし、もちろん女声ならではの高く透明な歌声も自在なので、表現の幅が男声にくらべて格段に広いのが武器だろう。男性歌手によくみられるような、ときに名人芸的な超絶技巧の——文字通り「のど自慢」だ——遊戯性はなく、もっと切実な、いわば地に足を着けた「生活感」のあふれるホーメイ、と言ってもいい。巻上公一さんはずっと昔に<あれはやはり言葉と密接な関係があるところから歌のリズムやメロディー、また発音があの不思議な唱法をもたらしているのだ>と指摘されていたが(『声帯から極楽』筑摩書房1998年、P.138)、彼女たちのホーメイは、ホーメイだけが不自然に浮くことのない、うたのなかにじつに自然にかつ「密接」に絡みあっているものだった。
 ソロをとった3人の声はいずれも素晴らしく、豊かな個性を感じさせた。なかでもアイランマー・ダムラン(上掲写真左から3人目)のうたう『母を想う歌』(伝統歌ではなく、特に彼女のために書かれた曲との由)は目を瞑って聴いていると広い空を吹き渡る風のなかに浮かんでいるようで、最後のヴォイスがすうっと消えてゆくときには思わずふぅっと小さな溜息をついた。
 もうひとり、ソロを取ったショルバーナ・ベレクオール(上掲写真左から2人目)は先のチョドラーさん、アイランマーさんとは10歳近く若い、いわば「次世代」にあたる人だろう。配布されたプログラムには彼女ひとりだけモスクワ大学で印刷を専攻、と記載されている。このひとにはわずかだが感覚が若いな、と感じたところがあって、ひとつは彼女の演奏する擦絃楽器(ドシュプルール/トプショール)の奏法。他のひとのうたの伴奏に徹しているとき、彼女はうたにあわせて大きく抑揚をつけていた。他の伴奏楽器は基本的に淡々と同じ抑揚、同じテンポで演奏されるので、そこのところが新しさを感じさせた。新しさというか、より“ポップス”らしさというか。
 もうひとつ、後半の中盤にうたわれた『子守歌』だったと記憶しているが、コーラス部分のハーモニーの付け方が、そこだけ西洋風というか“ポップス”で、伴奏がふっと止まってアカペラのコーラスだけでうたいおさめる、というアレンジも含めて(このアレンジがショルバーナさんのアイディアなのかどうかは知らないが)とても新鮮なものに感じた。逆を言えば、それ以外の歌唱、演奏はいかにも「トゥヴァの伝統」らしさを十二分に味わえるものだった。
 
 …と、書きながら、自分でも若干の欺瞞を感じてはいる。わたしはこの手の、いわゆる<民族音楽>や<伝統芸能>を好む方だけど、日本で見聞できるのはほとんど全てがこういう舞台上での演奏だ。公演の半ば頃だったか、歌い手が馬に乗りながらうたう歌、という曲の解説で巻上さんがおっしゃっていたが、「伝統」といっても、それはすでに演じる方も聴く方もすでに「劇場」の中の——PAが完備され照明が効果的にステージ上を演出する中での——できごと、なのである。
 いくら女だてらにと言われようとも、草原の馬上で歌われるべきうたを舞台上で椅子に座ってうたおうとも、しかし彼女たちの意識はすっぽり「伝統」のなかに在ることだろう。冷たく言い放ってしまえば「古き良き」だとか「昔ながらの」だとかいう「伝統」とは、今や“演者の中だけにしか存在し得ないまぼろしのようなもの”なのかもしれないのだが、にもかかわらず、いや、だからこそ、“それ”を信じる者の信念の強さの度合いこそが、実は「伝統」の強さなのである、と言っていいのではなかろうか。そうして、トゥヴァの4人の娘たちは、それぞれが見事に強い信念を持っているように、わたしには感じられた。
 

2009 10 13 [face the music, living in tradition] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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