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おしゃべりな絵画たち

 

Galleria_borghese

●ボルゲーゼ美術館展
 Galleria Borghese : The Splendid Collection of a Noble Family
 京都展 2009年10月31日〜12月27日 京都国立近代美術館
 東京展 2010年01月16日〜04月04日 東京都美術館
 
【展覧会図録】
発  行:NHK+NHKプロモーション
デザイン:桑畑吉伸

 ラファエロ・サンツィオが1506年頃描いた《一角獣を抱く貴婦人》をはじめ、日本初公開の絵画作品が多く展示されるというので話題の展覧会。主催がNHKなのでテレビで宣伝しまくってますが、関西ローカルニュース番組のなかで毎日のように取り上げるのは、さすがにどうかと思うぞ。
 ルネサンスからバロック期、15世紀から17世紀ごろのイタリア絵画が約50点、数はそれほど多くはないものの、そのぶんゆったりとしたレイアウトで観ることができます。それに、この時代の絵画ってそんなにしょっちゅう日本にやってくるものでもないので、なんにせよ貴重な展覧会であることには違いないでしょう。
 
 絵画が絵画として自立した近代以降と違って、この時代の美術作品は背後にいろんな物語を含んでいます。題材はギリシャやローマの神話であったり、旧訳・新訳聖書からのエピソードであったりさまざまですが、いずれにせよそういった物語を知っていなければ「鑑賞」したことにはなりません。貴婦人と思しき女性が白鳥と一緒に立っているだけで「ああ、“レダ”ね」と一瞬にして了解しなきゃなんないというのは、そういう基礎知識というか教養がないフツーの日本人にとってははなはだとっつきにくい(ちなみにこれはギリシャ神話のエピソード。ゼウス神が白鳥に変身して、人妻を誘惑しちゃう話です)。
 要するにこの頃の絵画というのは(全てがそうだというわけではないけれど)ある物語なりエピソードなりをイラストレートしたものであって、それを観る側は画面の隅々に描かれた、人物や小道具や建物や草木や動物たちをひとつひとつ「読み解いて」いかなければならない。図像学や図像解釈学というガクモンが成立している所以でもありますね。
 結果、描かれた画面はとても饒舌になります。
 
 ちょっと余談。日本で「物語」に依存した絵、「物語」成分が非常に多く含まれている一枚絵というと、ちょいと例が古いですが山川惣治の絵物語や紙芝居の絵なんかが近いのでしょうか。そのルーツとしては江戸時代の黄表紙本や浮世絵や錦絵、さらに遡れば源氏物語図屏風など。宗教画である涅槃図や曼荼羅図あたりも源流としていいのでしょう。それよりも、12世紀頃からさかんに作られるようになった絵巻を「発明」したことが、その後の日本絵画史にとっては非常に大きかったかもしれません。
 以前、ヨーロッパの歴史画を紹介する展覧会だったか、古い祭壇の扉か何かに、ひとつのストーリーをコママンガのように分割して描かれた絵というのを観たことがあって(はなはだ曖昧な記憶ですが10世紀頃の作品だったような気が。ト書きやセリフは各コマの下にキャプションとしてつけられていたような)、アチラでも一枚の画面の中にひとつのおはなしを描く試みは古くからなされていたんだなあとそのとき思ったんですが、そんな表現手法は西洋絵画史のなかでは主流になることもなく、ほとんど無視されたまま現在に至ってます。
 そういえば、日本ではどれもマンガとして一緒くたにされてしまいがちですが、アチラではコミック・ストリップやバンド・デシネなどの「コママンガ」と一枚絵の「カートゥーン」や「カリカチュア」は厳密に区別されているという話があります。西洋人が一枚絵/連続絵という表現形式の違いにやたらこだわる感性というのは、わたしなんかにはちょっと理解しがたい部分もありますが、逆に言えば連続絵というのは、彼らにとってはそうとう「特殊な」フォーマットなんでしょうね。…もっとも、いま普通にマンガといえばストーリーマンガ(連続絵)のことで、一コママンガ(一枚絵)を思い浮かべる日本人などほとんどいないんでしょうけど。

* * *
 
 本題に戻して。ボルゲーゼ美術館展に登場する絵画のほとんどは、一枚の絵の中に「物語」を多く含んでいます。絵に描かれたのはその一場面で、だから画面の登場人物にフキダシをつけてセリフをしゃべらせたらそのままマンガの中の一コマに見えます(聖書画とマンガを一緒にするな、と怒る向きもあるかもですが、平面上に人の手で描かれた絵、という意味では同じですしねえ)。
 たとえばこの絵。1655年にゲラルド・デッレ・ノッティというひとが描いた《スザンナと老人たち》という作品(聖書のテーマだそうですが、わたしはその方面にまるで疎いので、お話の前後がさっぱりわかりません)。これなどは画中に「キャーッ」という叫び声を入れたらそのままマンガの一コマですし、そういう目で見ると左側の男ふたりの好色そうな目つきや右の襲われている女性の怯えた表情や仕草もなんだかマンガっぽい。

Susanna_1
マウスオーバーで叫びます

 
 あるいは16世紀末に描かれたという《天使の栄光のうちに聖痕を受ける聖フランチェスコ》(アゴスティーノ・カラッチ作)。これも画面のどこかに主人公のモノローグのひとつも入れてみたくなる構図ですね。
St_francis_1
マウスオーバーで呼びかけます

 要するに、どの絵もみんな、とても「おしゃべり」なんですね。こういう絵を鑑賞するということは、つまりはそのおしゃべりに耳を傾けることであり、物語を読み進めることなのでしょう。これがセザンヌ以降の近代絵画の展覧会だったら、一枚の絵をわずか数十秒眺めるだけでもOKなんでしょうが、この種の絵画だと、画面の大半は意味をたっぷり背負った「記号」で構成されているので、それらを正しく読み解いていかないと「絵を観た」ことにはならないのだと思います。
 
 そうして、「おしゃべり」なのは絵画だけでなく、おそらくそれを観る側も、絵を前にそうとうおしゃべりだったことでしょう。たとえば王侯貴族の子息たちには《放蕩息子》の絵を見ながら神父や家庭教師がルカ書を読んで聴かせたかもしれないし、前述の《レダ》の絵の前では貞操や愛について、紳士淑女たちが議論しあったかもしれない。ボルゲーゼ美術館はもともとボルゲーゼ家というローマの権力者のコレクションなので、収集美術品はプライヴェート品でもありました。芸術作品の前ではひたすら黙って大人しく鑑賞する、なんてお作法は近代以降、公共の美術館ができてからのもの。ルネサンスやバロック時代の鑑賞のしかたは、おそらくはわいわいがやがや、とてもにぎやかだったことでしょう。
 

2009 12 06 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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comments

わしも
つれていってくだせ
わしも
つれていってくだせ

・・・そういえば、映画を見逃してましたっけ(謎)。

posted: 熊谷 (2009/12/08 0:26:56)




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