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トーハク@キョーハク
●没後400年 長谷川等伯
【東京展】2010年02月23日〜03月22日 東京国立博物館
【京都展】2010年04月10日〜05月09日 京都国立博物館
穏やかな日曜日のお昼前。京博での特別展だし、どうせ毎度のごとくとんでもない大行列だろうと覚悟の上で会場に行ったら、案の定「110分待ち」。やれやれ。
でもまあしょうがないよね、とのんびり並んでいたら存外スムーズに進んで、けっきょく約1時間後には中に入れた。わたしが会場を出る頃には行列はうんと減っていたけれど、それでもまだ「30分待ち」と出ていた。いったいきょう一日でどれくらいの観客を集めたんだろ。
京都国立博物館では、2007年秋に狩野永徳をやっている。長谷川等伯は永徳よりも4歳年上だけど、亡くなったのは永徳の方が20年も早い。わたしは等伯を眺めながら、3年前に見た永徳のことをずっと思っていた。
どちらも才人である。永徳が亡くなる直前に御所の障壁画制作をめぐって対立があったことからもわかるように、たがいのライヴァル意識も相当なものだったろうことは想像に難くない。
3年前は永徳のダイナミックな筆致に感嘆したものだが、今回の等伯の迫力にもめまいがしそうだった。
なかでも、手描きの表装部も含めれば幅6メートル×高さ10メートルにも及ぶというとんでもなく巨大な『仏涅槃図』(1599年)などその最たるものだろう。等伯は1539年生まれだから、この絵を描いたのは還暦(!)ということになる。もちろん彼ひとりで最後まで仕上げたのではなく多くの弟子が参加しているのだろうけれど、画面の隅々にまでまったく破綻がないのがすごい。永徳展の時は、本人が描いた箇所以外はけっこう残念な絵になっていたことを思い返すと、等伯の凄さがよくわかる。
ともあれ、壁画とかじゃない「紙本着色」の絵画作品としては、たぶん生まれて初めて見るサイズだ。これは京博本館中央のホールに展示されていたが、一枚の絵を飾るのに会場の高さが足りないなんて事態に、思わず笑ってしまった。この絵は京都の本法寺というお寺の所蔵品だそうだが、そこではこの超巨大画を飾るスペースがあるんだろう。
美術館など、所詮は近代の装置だ。そのことを目の当たりにできただけでも、ここに来て良かったと思った。ちっぽけな近代なんかには到底収まりきらないほどのスケール。おそらく、絢爛勇壮な永徳とともに、等伯作のこのケタはずれのスケール感もまた、安土桃山ならではの時代性なのだ。「前代未聞のとんでもなさ」が普通に実現できる時代だったのだ。であるならば、返す返すも永徳の早世が惜しまれる。彼があと30年長生きしていたら、等伯の国宝『松林図屏風』をも越えるとんでもなくすごいものが生まれていたんじゃなかろうか。
その国宝『松林図』は、おそらく等伯50歳半ばごろに描かれたものだろうとされている。てっきり最晩年の作品かと思っていたので、これはちょっと意外だったが、現物をじっくり眺めているうちに、これは決して「枯れた」絵なんかじゃなく、もっと野心的なものだというふうに思いはじめた。
橋本治がこの絵を評して「この絵を見ている私の耳にはジャズのリズムが聞こえるのだ——クールで都会的な、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの監督達が使いたがった、マイルス・ディヴィスやアート・ブレイキーのジャズである」と書いたことがある(新潮社『ひらがな日本美術史3』pp.121-122)。そう、この絵はひとことで言えば「モダン」なのだ。
等伯のモダンなリズム感が聴こえるのは他にいくつもあった。たとえば画面いっぱいの金地に、風に吹かれる草花を描いた『萩芒図屏風』がそうであるし(特に左隻のススキの一群にはまいった。見ようによってはただ曲線が何層にも重ねて描かれただけのようにも見えるシンプルさ、でもずっと見続けていてまったく飽きないのは、描かれた曲線が織りなす複雑なリズムが画面の外にまで延々と広がっているかのように感じられるからである)、ごつごつした岩と砕け散る波だけを描いた六幅の襖絵『波濤図』もそうだろう。くらくらするほどの疾走感が、この波の絵にはある。
霧の中に見え隠れする『松林図』、野草を描きながら吹き抜ける風を感じさせる『萩芒図』、ごうごうと凄まじい音がやかましい『波濤図』。どれも「直接描かれていないものが主題」である。見たものを見たとおりに描くのが「写実」だとすれば、これらの絵は「写実」の域を軽々と超えている。どれもリアルな描写だけれども、けっして「写実」ではないのだ。こういう絵画を眺めていると、具象だ抽象だと騒いでいる西洋近代絵画なんて実につまらなく思える。感じるけれど見えないもの、絵には到底できそうにもないものを、この400年前の日本の画家はいとも易々と描いてみせているではないか。
たぶん長谷川等伯という画家は、自分の絵筆が多種多彩な表現を可能にすることそれ自体を、たいへん面白がっていたのではないかと思う。「お、こういうふうに描いたらこんな風に見えるのか」「ならこういう描き方はどうだ」「こうする方がもっと面白いんじゃないか」彼は画面に向かうたび、なにかしら新しい発見をしていたんじゃなかろうか。絵筆という道具を自在に操れる楽しさ、より効果的な表現を発見していく驚き、そういうふうな「絵を描く歓び」が、等伯の絵からは随所に感じられる。そういう意味で等伯はたいへん幸せな人だったろうし、彼や永徳が生きた桃山という時代も、幸福な時代だったと言えると思う。
2010 04 18 [design conscious] | permalink
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