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3度目のトリニティ

 
Trinity_3
●トリニティ アイリッシュ・ダンス・カンパニー 来日公演プログラム
 (左から2004年、2006年、2010年)
 
 アメリカはシカゴを本拠とするアイリッシュ・ダンス・カンパニー〈トリニティ〉の、4年ぶり3度目の来日公演を観に行ってきました(2010年7月17日、Bunkamuraオーチャードホール)。
 当ブログでの過去の関連記事は下の通り。
 ・[stage]:トリニティ大阪公演(2004年11月22日)
 ・[DVD]:TRINTY One Step Beyond(2006年11月4日)
 2006年公演の感想は、メールマガジン《クラン・コラ》2006年11月号に寄稿させていただきました。今読み返すと少々おかしな箇所もあるのですが、とりあえず全文再録。
 
 * * *
 
■アメリカならではのアイリッシュ・ダンス
        〜《トリニティ》2006年来日公演をめぐって

 
 7月の《ラグース》初来日公演に続いて、この11月には《アイリッシュ・ダンス・カンパニー トリニティ》が二度目の来日ツアーを行っています。アイリッシュ・ダンスを前面に押し出したショウが年にふたつも日本公演をやるのはダンス好きとして嬉しいかぎりで、これ以外にも個人レベルでいろんなダンサーが日本を訪れていますから、こうしてみると日本もすっかりアイリッシュ・ダンスの主要マーケットのひとつになったようです。少なくとも、ほんの5〜6年ほど前には考えられない状況であることには間違いないでしょう。 
 さて、《トリニティ》は「アイリッシュ・ダンスをベースにした舞台芸術」を志向していて、その意味では、純粋にトラディショナルなアイリッシュ・ダンスを期待する向きには不満が残る内容かもしれません。2004年の初来日公演では、私の周囲でも批判的な声をよく聞きました。私も当時「ちょっと散漫かなあ」という印象を持ったことを覚えています。
 ところが公演の宣伝チラシには、さも《トリニティ》こそがアイリッシュ・ダンスの正統である、とでも読めるような文言が並んでいます(一例をあげると、演出家の宮本亜門氏に「アイリッシュ・ダンスのルーツがこの姿なのですね」などと言わせてます)。まぁ宣伝コピーにいちいち目くじら立てるのも野暮でしょうし、またその文言がまるきり間違いだと言いにくいのも確かですが、しかしやはり違うモノは違うだろうと、私なんかは考えます。
 では、どこが「違う」のでしょうか。
  
 はっきりさせておきたいのは、《トリニティ》は、良くも悪くもアメリカでなければ生まれなかったショウだということです。まあ、そもそも「アイリッシュ・ダンス・ショウ」なるジャンル自体、アメリカでなければ生まれなかっただろうとも言えるのですが。
 たとえば、シカゴ生まれのマイケル・フラットリーと、ニューヨーク生まれのジーン・バトラーが主演した《リヴァーダンス》が本格的にヒットしたのは、1995年のNY公演の成功があったからですが、《トリニティ》が舞台活動をはじめたのは《リヴァーダンス》よりも前ですから、その種のショウ・ダンスの草分けと見ていいでしょう。
 アイリッシュ・ダンスがアメリカで「ショウ」として成功した背景には、移民として長年にわたりアイルランドからアメリカへやってきた多くの人びとが積み重ねた歴史があったからこそ、というのを見逃してはなりませんが、ともかくも「アイリッシュ・ダンスがワールドワイドなビジネスになる」という成功事例を作りあげたのは、ショウ・ビズの本場であるアメリカにおいてです。
そしてたとえば、純アイルランド産のショウである《ラグース》を日本に居ながらにして楽しめるのも、この延長線上にあると言えるでしょう。
 「ショウ」化させたことによって、しかしアメリカのアイリッシュ・ダンスは、本家本元のそれとは少々異なる道を歩みつつあるように思えます。そして《トリニティ》のステージこそは、その典型的な例として見るべきなのではないでしょうか。
 ポイントはいくつもあるのでしょうが、ここでは大きな2点だけを挙げるにとどめます。すなわち:
 1) アイリッシュ以外のダンス要素をふんだんに導入
 2)「 競技会ダンス」スタイルへのこだわりの強さ
 一見矛盾した要素のようですが、このふたつを同時にやっているところに
《トリニティ》の独自性があり、<アメリカ人ならではのアイリッシュ・ダンス>の特質があるのだと思えてなりません。
 まず1)について。インド舞踊の動きを取り入れた〈女神〉と、キーラの曲を使ったアフリカ風(というかクロッギングのようにも見えますが)の激しいダンスの〈カーラン・イベント〉の2曲は、振付家が違うこともあり特に目に付きやすいのですが、それ以外のマーク・ハワード振付作品でも積極的で、モダン〜コンテンポラリー・ダンスから日本の和太鼓集団のパフォーマンスまで、さまざまなジャンルの特徴ある身体動作をモチーフにしています。ただ、惜しむらくはその多くの部分が未消化に見えることで、大トリのナンバー〈トリニティ〉のあと、アンコールのようなかたちでダンサーがそれぞれ好き勝手に踊るシーンではストリート・ダンスもちらっと出てくるのですが、それが悲しいほど下手(笑)。しかし重要なのは、結果はともあれ<本気でやっている>ところにあります。
 2)は意外なようにも思えますが、昔ながらの(と言っていいのかどうか)
ケルト模様の刺繍入りドレスを身につけた姿で、音楽も含めて「競技会そのままのダンス」を「ショウ」の一部として見せるというのは、いかにも《トリニティ》らしいと言っていいでしょう(先に引いた宮本氏の「アイリッシュ・ダンスのルーツはこの姿」という発言は、おそらくこの「競技会スタイル」を指しているのでしょう)。《トリニティ》は競技会への出場者育成を目的としたダンス学校が母体になっているので、「競技会ダンス」の披露は彼らのアイデンティティのあらわれでもあります。しかしアイルランド本国で、このスタイルをいま風の「ショウ」の中で見せるという発想は、実は生まれにくいのではないかと思います。なぜなら、アイルランド人ダンサーにとって競技会はその先へと進むための「通過点」ですが、《トリニティ》にとってはそれこそが「目的」なのですから。競技会は競技会、ショウはショウ。そういう「割り切り」が、アイルランドにはあるように思います。
 
 しかし《トリニティ》は(創設者であり芸術監督のマーク・ハワードは、といった方が正確でしょうか)、「競技会ダンス」と「ショウ・アップ・ダンス」を区別しません。さらにいえば、1)のアジア風やアフリカ風などの「その他のダンス・スタイル」も、すべて同等に扱います。つまり、アイリッシュ・ダンスの歴史性(といっても、彼らはオールド・スタイル・ステップやシャン・ノースはやりませんが)もダンスの地域性も、ハワードにとっては等しく「素材の一つ」にすぎず、それらの持ち駒を組み合わせて振付を行うのが彼のやり方なのでしょう。
 私は、ここのところが「ああ、いかにもアメリカンだな」と思います。少なくとも、ダンスに対するメンタリティが、アイルランド本国のアイリッシュ・ダンサーのそれとは決定的に違っていると思うのです。
 
 アメリカ社会をたとえて「人種のサラダ・ボウル」などと言われますが、《トリニティ》のステージはまさしくそのような、多文化主義的なあり方を示しています。個々の演目の独立性が極めて高く、ショウ全体としてひとつの大きなテーマを提示しないというのもそれゆえなのかもしれません。バラエティに富んでいるとも言えますし、散漫と感じさせる一因でもあるとも言えるでしょう。
 今回、彼らの舞台を再見して、この「散漫さ」はむしろ意図しているものだと思うようになりました。伝統も前衛も、あるいは世界各地のいろんなダンスやリズムも、等しくいま現在ここに「並列して在るもの」です。それらは単純に進化だとか歴史的変容だとかを云々するものではなく、ましてや優劣をあれこれ言うべきものでもない。たしかに「違い」はあるのだから、あとはそれぞれの好みに応じて楽しめばいい——そういうふうなメッセージを受けとったような気がしました。
 
 アイルランド国内で制作されるダンス・ショウの多くが「アイルランド固有の歴史や文化やその精神」を強く打ち出す傾向にあるのに比べれば、《トリニティ》はもっとグローバルなものでしょう。しかしたとえば《ラグース》の舞台が「アイリッシュネス」を提示しているとすれば、《トリニティ》もまた、「アイルランド系アメリカ人ならでは」の美意識や世界観をステージにおいて展開していると言えるのではないでしょうか。その意味では、どちらも自身のアイデンティティに誠実に向きあった舞台なのであって、「アイリッシュ・ダンス」の世界がいよいよ多様で複雑な様相を見せはじめた、と考えるのがもっともふさわしいとらえ方であるように思います。
 ちなみにマーク・ハワードは、両親はアイルランド人ですが自身はイングランド生まれ。3歳でシカゴに渡っていて、「自分はアイリッシュ・アメリカンである」とインタビューで語っています。
 
 * * *
 
 さて、今年のステージの感想は?——この項、続きます。
 

2010 07 19 [dance around] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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