その男、マン・レイ
●マン・レイ展 知られざる創作の秘密
[東京展]2010年07月14日〜09月13日 国立新美術館
[大阪展]2010年09月28日〜11月14日 国立国際美術館
【カタログ】
発行:日本経済新聞社
デザイン:桑畑吉伸
トリニティを楽しんだ翌日は、国立新美術館で開催中の『マン・レイ展』を観に行きました。その日は同じ建物内で『オルセー美術館展』もやっていたので、ついでだから両方観ておくかぁ、と軽い気持ちで乃木坂駅の改札を出たらすごい人だかり。
なんだなんだと慌てていると、「最後尾はこちらでーす」「ただいま1時間待ちでーす」の声が遠くに聞こえる。なんと、会場じゅうがオルセー目当ての客であふれかえっていたんですねえ。うひゃあ。
「ついで」のつもりだったオルセーは瞬時にあきらめました。でもマン・レイの方はべつに待たずともよさそうだったので、気を取り直して入り口に向かうことに。
チケット売り場は共通だから2種類のチケットを売っています。わたしの前にいたご婦人が「ねぇ、モネはどっちなの?」と、ふたつのポスターを指して係員に尋ねております。わたしはへぇ、と感心しながらそのやりとりを聞いてました。オルセーとマン・レイ、どちらに行けばモネが観られるかがわからない人でもわざわざやって来るくらいだから、印象派の人気というのはまったくすごいものだなあ。まぁそういう人なら、マン・レイの撮った写真の横に「モネ作」ってプレートを貼っておいてもたぶんわかんないんじゃないかな。いっそのこと「モネ作」って書いたプレートを美術館のあっちこっちに置いておけばなんでもクロード・モネの作品にな…おっと、悪ノリ。
* * *
マン・レイはポップだ。ポップ・アーティストだ。そんなことを考えながら会場を巡ってました。
彼のもっとも有名な作品群は1920〜30年代のものが多く、なのでダダやシュルレアリスムの文脈で語られるのが美術史的には普通なんですが、むしろウォーホルあたりの先駆者として見た方がよりしっくりくるんじゃないかと。マン・レイはべつにキャンベルスープ缶をモチーフに作品を創ったわけじゃないですが、ファッション雑誌向けのモード写真や、あるいはハリウッドスターを含む著名人のポートレイトを多く手がけていることがそう思わせるのかもしれません。
全盛期の写真作品だけをもっとたくさん網羅した展覧会、あるいはオブジェやドローイングをもっと集めた展覧会などは、過去にもなんどかありましたが(なかでも、1990年から91年にかけて全国8カ所を巡回した生誕100年記念展はとても充実していましたよね)、今回の展覧会では作品だけでなく、その人となりまでもを丹念に描き出そうとしています。個人的には、第二次大戦中の戦火を逃れてアメリカに移住した1940年代と、再びパリに戻った50年代以後晩年までのことはあまりよく知らなかったこともあり、とても興味深く観ました。
1940年、ナチスドイツによるパリ侵攻の直前に、マン・レイはパリのスタジオを閉じてリスボン経由で生まれ故郷のアメリカに渡ります。
50歳になったマン・レイにとって、フランスを去ることは仕事の成功、人生の多くを費やしてきた作品、恋人や友人たちなど、手にしてきたすべてのものを捨て去ることを意味していた。航海の途中で、カメラは盗まれてしまった。(『無頓着、しかし無関心ではなく』ジョン・ジェイコブ/カタログp.20より)心身共にそうとうハードな脱出行だったのは想像に難くありません。マン・レイはこの後、パリに残してきた作品がすべて爆撃でやられてしまったと思い(実際は無事だった)、過去の自分の作品を再制作します。この行動がとても面白い。面白いというと語弊がありますが、“戦争によって人生をいちど切断せざるを得ない状況に陥ってしまった初老の男が、自身の「生きた証」を再確認するためにもういちど作品を作り直す”という行為にぐっときます。マン・レイがいちばん最初に「再生」したかった作品はどれだ、というのも興味があるなあ。
ともあれ再制作は以後も続いて、最晩年にはさらに積極的に「作品の大量生産」に向かいます。
「芸術作品」がもつアウラに対し常に懐疑的であったマン・レイにとって、自身の作品を大量生産することは魅力的な行為であった。彼にとって、オリジナル作品とその複製は、深く結び付いたものであったのだ。1点目の作品を制作するために必要なインスピレーションは、その複製によって、つまり、そのインスピレーションやアイディアが広く知られることで初めて有効なものとなると、マン・レイは主張している。(同上、P.26)このあたりの考え方はまさしくポップ!
「ポップ・アート」は、美術史的には1950年代から60年代にかけてのカウンター・カルチャーを象徴するアイコンです。マン・レイとは時代が異なるムーブメントではあるんですが、マン・レイもダダやシュルレアリスムといった「硬直した時代へのカウンターパンチ」の流れのなかにいちはやく飛び込んでいたこと、また写真という複製可能な(オリジナル・プリントとか言い出すとちょっとややこしいことにはなるんですけど)メディアを表現手段として駆使してきたこと、などから彼を「ポップ・アーティスト」と呼ぶことにあまり違和感はないんじゃないでしょうか。ポップ・アートの代名詞的存在であるロイ・リキテンスタインあたりと比較しても、むしろマン・レイの方がよほどポップなんじゃなかろうか、と思ってしまいます。というかリキテンスタインとはベクトルが逆なんであって、一品モノより大量複製品を志向したマン・レイと、大量複製品のひとつであるマンガをモチーフにして一品モノの油彩画を描いていたリキテンスタインとではどっちが本質的にポップなの、って話でもあるんですけど。
出口付近で上映していた20数分のドキュメンタリーは、20年代にマン・レイが撮っていた映画作品群のビデオ上映とともに図録の出品リストには載っていない、いわばボーナス・トラックなんですが、これがなかなか見応えのあるものでした。彼の最後の伴侶であるジュリエットへのインタビューを中心に構成されたもので、没後に残されたアトリエ室内がたっぷり観られます。夫人が語る作家のエピソード、たとえばジャズが好きでラジオをかけっぱなしだったとか、そういうディテールのひとつひとつが面白い。
映画を観終わって出口に向かう最後のコーナーには、彼が愛用していた帽子やステッキや絵筆や製図道具などが並べられています。夫人へのインタビュー映像+遺品の展示というダブルコンボによって、“アメリカとヨーロッパを何度も行き来しつつ激動の20世紀を生き抜いた”男が確かにそこにいたんだ、と実感させる構成になっています。このあたり、企画・構成者のマン・レイへの愛がこもっているなあと感じました。
2010 07 25 [design conscious] | permalink
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