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映画の中のタイポグラフィ

 
Ichikawa_kon
●市川崑のタイポグラフィ 「犬神家の一族」の明朝体研究
 小谷充著/水曜社 2010年7月19日刊
 ISBN978-4-88065-240-5
 著者自装
 
 映画の本、と思いきやこれはデザインの専門書、でもやっぱり映画の本でもあるという、ユニークな本。もともとタイポグラフィ関係の書籍じたいあまり多くないなか、こういうテーマの研究書は今まであまりなかったのでとても興味深く読みました。
 主題は市川映画のタイトルに使われる書体と構成デザインの秘密を解き明かすもので、代表として『犬神家の一族』をはじめとする横溝正史原作ものが取り上げられています。あの独得のタイトルデザインに使われている書体の特定はもとより、一画面中の文字レイアウトの詳細までこと細かに分析しているのですが、その分析の手法が金田一耕助ばりに執拗かつ論理的で面白いんですね。 
 なにしろ詰め込まれた情報量が半端なく多い。日本の活版印刷から写真植字(写植)の歴史、モンドリアン以降のヨーロッパ近代絵画からバウハウスやスイスのグリッドデザイン、もちろん角川映画誕生前後の日本映画界を含む社会状況まで。たかが、と言ってはナニですが、ひとつの映画のわずか数分間のタイトルバックを読み解くだけのために、ありとあらゆる知識が総動員されています。
 
 どうせ同じ明朝体なんでしょ、そんなわずかな細部でどれだけ違いが出るの? …たぶん、タイポグラフィに興味のない方の普通の反応としてはそんな感じかもしれません。ディテールにこだわるのがデザイナーという人種ではあるんですが、タイポグラフィってのはそんな細部にこだわればこだわるほど面白いものでもあります。
 映画のタイトルバックは、グラフィックデザイナーが担当することが多いと言われています。アメリカのデザイナー、ソウル・バスがこの分野の開拓者として有名ですね。映画にとって決しておろそかにできない重要なパートだからこそ、プロのデザイナーが担当するのでしょうけど、そこを市川監督は自ら手がけています。他人には任せられない、任せたくない。そんな強い思いがあったのでしょう。
 
 * * *
  
 にしてもこの本、面白がれる層ってどのあたりなのかな。映画の方はテレビ放映やレンタルビデオもあるから、必ずしも1976年公開時にリアルタイムで観ている必要はないとして、その全盛期を知っていないと実感にしにくいのはむしろ「写真植字」の方ではないかと思います。当時は印刷やデザインの分野で文字を扱うには、写真植字はなくてはならない存在でした。
 日本でDTPが本格化したのがざっくり1990年代から。パソコンによる制作が主流になるかわりに、旧来の手作業による「版下制作」は急激に衰退していき、そのため遅くとも世紀の変わり目ごろまでには「写植屋さん」は激減してしまいました。今でも営業を続けている会社もありますが、とっくに主流ではなくなってます。写植屋さんって、その昔にはそこそこの規模の町ならどこでも一軒くらいはあったんですが、もともと一般向けの商売ではないので、無くなってしまってもあまり気づかれにくいという業種で、デザイナーでも若い世代だとすでに見たことも聞いたこともないシステムになってます。
 
 写植以前に印刷業界を支えてきた金属活字の場合は、ここにきて復古趣味的な観点で再発見されてたりしますが、写植はまだそんなレトロなテクノロジーというほど枯れてはいません。でも経済効率的に言って商業デザインの世界での居場所はほぼ無いに等しいわけで、知らない人が多くなっても仕方がないでしょう。
 ということもあって、本書では日本での活字印刷黎明期から写植全盛時代までの歴史を細かに記述しています。印刷史をお勉強したい向きにはいい教科書なんですが、そうではない人にとってはいささか退屈かもしれません。
 写植システム自体が今後すぐに消え去ることはさすがに無いでしょうけど、昔に比べると気軽に注文しづらくなっているのも確か。本書では映画に使われた書体を特定するために、写研の石井特太明朝やモリサワの見出明朝などいくつかの書体を実際に発注し比較検討していますが、この試みがもう少し遅ければこういう検討作業もより困難になってしまっていたかもしれません。今なおDTP用にデジタルフォント化されない写研書体はもとより、黎明期からくDTPに積極的だったモリサワの書体でも、写植とデジタルフォントでは文字のカタチの細部が異なっており、同じ書体名でもデザインが全く同じというわけにはいかなくなっているからです。

 さて、書体特定検証の結果、驚くべき事実があきらかにされています。まず、漢字とひらがなで使用している書体が違う。まあこれは一般的なよくある手法といえばそうなんですが、もうひとつ、漢字だけの人名の中でも、一部分だけ違うメーカーの違う書体を使用していたという事実。しかもそれは、細かく検証しなければ絶対にわからないレベルの差異でしかなかったこと。ふつう書体を変更するのであれば誰が見てもそうと気づくような大きな変化を求めるものですが、この場合は同じ太めの明朝体なので、そう言われるまでまず誰も気づきません。なぜわざわざそんな手間のかかることをやっていたのか? このミステリに対する謎解きは、本書中の最大の見せ場でもあります。
 
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 本書冒頭で、市川タイトルバックの後世への影響として、庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』や資生堂「TSUBAKI」デビュー時のTVCFなどが挙げられています。ともに黒バックに白い文字、明朝体をL字に組んでいてなるほど直系だなと思うんですが、受ける印象は市川映画のソレとはずいぶん異なります。本書にはその図版も掲載されていまして、本を最後まで読んだうえで冒頭に戻って改めてその図版を眺めると、差異がどこにあって印象の違いがどこに由来するものかが、おぼろげながらでもわかるようになります。タイポグラフィの面白さは実にこういう細部を解読していくことなんですね。
 タイポグラフィの神は、確かに細部に宿っています。だとすれば、本書が<ひとつの映画のわずか数分間のタイトルバックを読み解くだけのために、ありとあらゆる知識が総動員されて>いるのも当然だと言えます。ひとつの書体をめぐってあらゆる細部を検証しようとする、著者の態度それじたいが、正しくタイポグラフィの醍醐味そのものであるのでしょう。
 
 

2010 11 01 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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