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2Dでもう一度観たいぞ『pina』
pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち
監督・脚本・製作/ヴィム・ヴェンダース
ドイツ・フランス・イギリス映画/日本公開:2012年/上映時間:104分
配給:GAGA
【パンフレット】
デザイン:大島依提亜
編集・発行:松竹株式会社 事業部
3D映画って、たいてい2D版も同時上映される筈だけど、この映画にはそれがなかった。たまたまわたしが行った劇場だけだったんだろうか?
というのも、手にした3Dメガネがたまたまサイズが合ってなかったのかどうか、途中で頭が痛くなってしまって映画に集中できなかったのだ。3D映画は今回が三度目、そうでなくてもメガネonメガネは結構つらいんだけど、ここまで3Dメガネが苦痛に感じたのは初めてだったので、残念な結果ではあります。
上の映画パンフ(ハードカヴァー装丁の立派な作りで、お値段も1600円と強気)の解説文によると、監督のヴィム・ヴェンダースはピナ・バウシュとの映画の企画を20年前から話し合っていたそうだが、ダンスをどういう風に撮ったらよいのかわからずいたところ、2007年にU2の3Dライブ映画を観て「これだ!」と思い、そこからようやく制作が動き出したとのこと。と思ったら2009年に当のピナ本人が亡くなってしまい、映画ももう作れないとなったところを、周囲の要請なんかもあってようやく完成にこぎ着けた、らしい。なので、監督的にはこの作品は「3Dありき」なんだろう。けれど、いち観客として言わせてもらえば、これ、別に3Dでなくても良かったんじゃなかろうか。要するに、立体的な映像にすることのメリットが、わたしにはさほど感じられなかったんですね。うちのテレビじゃ3Dは観られないから映画館での3D体験もそれなりに興味深かったけど、むしろ2Dで観られる家庭用ブルーレイ盤の発売が今から待ち遠しかったり。
映画化にあたって、生前にピナ・バウシュが自ら選んでいた作品は4つ(「春の祭典」「カフェ・ミュラー」「コンタクトホーフ」「フルムーン」)、それらは本作にダイジェスト的に収録されているが、ヴィム・ヴェンダースが偉いのは、このダンス作品群を彼女の死後に新たに撮り直しているところ。映像化の企画から20余年ということは、当然これまでストックされてたフィルムもたくさんあったと推察するんだけど、完成した映画にはそういうのをほとんど出していない。これはすごい判断だと思った。凡百の監督なら、彼女の生前の映像をふんだんに使っていただろうし、そういう風に生前の言動を絶対的な証拠として固定化することによって死者を「アンタッチャブルな聖域」として扱っていたことだろう。
しかし、この監督はそういう安直な道を採らなかった。主人公の亡き後、残されたカンパニーのダンサーたちがこの映画のために新たに踊る姿を撮影。そのことによって、主役がいなくなってもなおその精神が未来へと受け継がれてゆくことを暗示させ、なにより本人の「不在」こそが、逆にその人の「存在感」をより強く感じさせるという演出効果をも生んでいた。本人の映像は「回想フィルム」というかたちでごくわずか登場させるというのも、その意味で大変効果的だった。このへんの編集センスはさすがだなあ。
ピナ・バウシュの作品は、心の奥底にずしっと澱のように残る。といってどうしようもなく重くのしかかり続けるものでもない。それはどこかに救いがあるからだが、中にはあまりに突飛すぎて笑ってしまうシチュエーションも多く観られた。この映画では、舞台上だけにとどまらずダンサーが街や公園、海辺など屋外に出て踊るシーンも多数含まれているのだが、たとえばモノレールの車内で、段ボールで手作りされた大きな耳を付けて座ってる男とか、そこにでかいクッションを抱えてうーうー唸りながら乗り込んでくる女とか、日常生活でもしそういうのに出くわしたらひじょーにアブない。というかなんかのギャグか、としか思えないヘンなシチュエーションがたくさん出てくる。あるいは川の中で作り物のカバとじゃれあったりとか。
なんだコレぎゃははは、と笑いたいところだが、「ゲージツ映画」という先入観があるせいか、映画を観ている観客は(わたしの観た回では)誰一人クスリともしなかった。アレってどう考えても笑うとこだろ、と思えるシーンがいくつもあったんだけど、実際、監督の意図としてはどうなのかしら。
ともあれ、そんな、あまりのナンセンスさに思わず笑ってしまいそうになるシーンも含めて、改めて、<ピナ・バウシュの作品は、心の奥底にずしっと澱のように残る>と、もう一度繰り返して書いておこう。この人の作品作りは、まず出演するダンサーの個人的内面をとことん洗い出すことから始めたといわれているが、だからこそ、それを眺める観客の内面をも抉り出されてしまうような気になってしまうのだ。舞台で演じられるドラマの多くは、男と女の決定的なすれ違いやすぐ隣にいるのに解り合えないディスコミュニケーションであったりするんだけど、そのドラマを作るにあたっては、振付家とダンサーは徹底したコミュニケーションを取ってから事に当たっているのだ。そういう、ある種の心理療法的な手法を採っているが故に、ピナ・バウシュの作品には「好きな人はとことんハマるが嫌いな人はとことん嫌う」という両極端な反応がみられると思うのだが、この映画はその辺も(期せずしてかどうかは知らないが)上手く表現していたように感じられた。
以下蛇足。ダンスのシロートながら気になった点。上述のように外ロケが多用された本作、素足で踊ってるシチュエーションがけっこうなシーンで見られたんだけど、大丈夫だったのかな。人間の素足って、必ずしも「ダンス」に向いてるとは思えないんだが(特にこういうコンテンポラリー系の場合、物理法則や自然な動きに反した、突飛な動作を要求する場面が多いので)。この映画のせいで大きな怪我などしなかったならいいんだけど。「裸足であんなに激しいすり足とかしてだいじょーぶ?」とか、いくつかの場面で勝手にハラハラしてました。ま、同じくらいちゃんと靴を履いて踊ってる場面も多くあったので、シーン毎にちゃんと確認しながら撮影していたんだとは思うけど。
2012 02 25 [dance around] | permalink Tweet
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