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ディアギレフ、そのあまりにもダイナミックな人生!

 
20120219
●ディアギレフ 芸術に捧げた生涯
 シェング・スヘイエン著/鈴木晶訳
 みすず書房/2012年2月20日初版(原著は2009年刊)
 ISBN978-4-622-07654-4
 装丁者名記載なし
 
 読後、なんとも索漠とした気分になる伝記だ。前半生はロシア美術のために、そして後半生は新しいバレエ芸術を産みだすために闘い続けた男の生涯は、華やかに見えてその実なんと暗く厳しい色調に覆われていたことか。
 日本でセルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)の本格的な評伝が出版されるのは、今回で2度目だ。その最初の本『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』(上・下巻/リチャード・バックル著/鈴木晶訳/リブロポート/1983~84年)は副題の通りバレエ・リュスの活躍にも多くページを割いていたため(ということは相対的にディアギレフ個人への記述が減るということでもある)、華麗で、どちらかというと明るめの印象を残す。もっとも、この本が出た時点では、ディアギレフその人のごくプライヴェートな事情には、まだまだよくわかっていない点も多かったのだろう。
 今回の伝記では、義母や兄弟たちといった、ロシアに残った彼の親族のその後を含めて、もっと入り組んだ面まで踏み込んで描かれていて、<ディアギレフという個性>がどのようにして形成されたのかがより想像しやすくなっている。さらに、これも近年の新発掘資料だろう、彼が書いた大量の手紙(青年期までは継母あて、成人後は多くの仕事仲間あて)も随所に引用されていて、ディアギレフの肉声がよりダイレクトに伝わってくるかのようだ。


 
 バレエ・リュスほどにはあまり知られていないかもしれないが、彼のキャリアは「ロシア美術研究者」から出発し、後述するようにこの分野でも美術史に残る大きな仕事をしている(その前には音楽家を目指していたが、リムスキー=コルサコフに作曲の才能は無いと酷評され断念)。
 19世紀末、時代はまだ革命前の帝政ロシア。ディアギレフは仲間と共に『芸術世界』という雑誌を創刊する。当時のロシア美術界に風穴を開けるようなその内容は、保守的な層からはひどく毛嫌いされた。ディアギレフは巻頭エッセーをはじめ編集方針の決定からスポンサー探しまでをほぼ一手に引き受けていた。というより、ほとんど独裁的に物事をすすめたので、仲間からは大いに反発を喰らたという。のちに西欧でバレエ興行の世界に生きるようになってからも、彼の仕事のやり方はほとんどこのようなものだったらしい。レオニード・マシーンはこう回想する。

バレエ団の仕事に関しては冷酷無比だった。作品の芸術的完成度こそが彼の人生において最も重要であり、その障害になることは、たとえ長年の友情であろうと、冷酷に切り捨てた(p.340)
 はたして本書の大半を占めるのは、彼と彼を取り巻く人たちとの様々な対立と和解の、諍いと友情の記録である。若きディアギレフのパトロン/敵対者、友人・仲間たちとの共闘と確執、ダンサーや美術家、作曲家たちとの時に芸術面の、そしてそれ以上に多かった金銭面でのトラブル。こういった大小さまざまな問題ごとの多さこそが、本書を厳しいトーンで貫いているのだ。
 もちろんこれらの問題の大半は、手がける一切をこと細かにコントロールせずにはいられない彼の性格のせいではあるだろうけど、それにしてもよくもまあこれだけの困難にぶつかりまくっていたものだ。たぶんディアギレフは、一緒に仕事した相手を少なくとも一度は激怒させていたのではないだろうか。「もう二度とディアギレフとは仕事をするもんか」と言いながら、しかし時間が経つとまた彼の元に戻ってくる人たちが少なからずいたのが面白い――それだけの不思議な人間的魅力がディアギレフには備わっていたのだろうし、また、もっと現実的な面では、なんだかんだ言っても当時は彼のバレエ団がいちばん質の高いカンパニーだったので、クリエイティブな仕事をしたかったら彼と組むしかなかった、という事情もあったんだろうけど。
 
 * * *
 
 前記のバックル本以外にも、ディアギレフについての簡単な評伝はいくつかあるし(一冊まるごと、というのではないけれど)、バレエ・リュスについて日本語で読める本は他にもある。にもかかわらず、本書はこれまであまり描かれなかったこのバレエ団の活動の側面にも触れられていて、いろいろ発見が多かった。
 たとえば、わたしの関心のひとつに、バレエ・リュスと同時代の前衛芸術との関わりがある。ピカソをはじめ当時の新進気鋭の美術家たちがバレエ・リュスの舞台美術に関わったことはよく知られているが、そのわりに、彼がいわゆる「アヴァンギャルド芸術」をどう見ていたのか、いまいち判らないことが多かったのだ。
 
 アヴァンギャルドがいちばん元気だった20世紀初頭、それは同時に<宣言の時代>でもあった。
アヴァンギャルドであるとは、自らアヴァンギャルドであると宣言することである。アヴァンギャルドのアイデンティティーはこの自己表明にある。(大浦康介「宣言の時代とアヴァンギャルド」『アヴァンギャルドの世紀』所収、2001年)
 マリネッティが1909年に発表した「未来派宣言」をはじめ、ツァラの「ダダ宣言」(1918)、ブルトンの「シュルレアリスム宣言」(1924)などなど、新しい運動を始めるにはなにをさておきまずは宣言から、とでも言うような風潮が、当時の西欧芸術界を支配していた。であるなら、われらがディアギレフにも「バレエ・リュス宣言」があっても良さそうなのだが、どうもそういう文章は見たことがない。
 辺境の野蛮な国――と先進国から思われていた――ロシアから、文化の一大中心地パリに出てきて故郷の芸術を紹介するという博打に打って出たディアギレフなら、当然、その手の宣言文は同時代人として目にしていただろうし、対抗して自らも一世一代の感動的な名文美文を残していてもおかしくないはずなのだが。
 もっとも、ロシア時代の1898年に創刊された『芸術世界』誌に書いたエッセーは、<ある種の宣言のようなもの>だったらしい。
「芸術世界」の最初の数号では、芸術批評のページはほとんど、理論的マニフェストを開陳するディアギレフの長い論文で占められている。(…)一万二千語を超えるこの論文は、ディアギレフがその生涯に書いた最も長大な、そして間違いなく最も野心的な論文である。(…)その最悪の部分ではバランスを欠き、もったいぶっていて、やたらに傲慢だが、最良の部分では華麗で、情熱的で、読む者を高揚させる。ディアギレフは、当時流行していた実用主義と審美主義の論争を超越した、もうひとつ上のレベルを目指していたのである。(p.95)
 残念なことに、本書にはその論文そのものの引用はない。抄訳でもいいから資料として載せて欲しかったとも思うが、まあそれはともかく、「宣言=言葉でもって闘う」スタイルは、この『芸術世界』時代にやり尽くしてしまったので、バレエ・リュス時代には違うアプローチをしたかったのかもしれない。
 
 「アヴァンギャルド」という語はもともと軍事用語だったという説があるし、詩人や画家たちがこぞって出していた「宣言」というのも、本来「マニフェスト」といえば一般にはマルクスの「共産党宣言」(1848)がイメージされるように、高度に政治的な色彩を帯びている。ディアギレフはバレエ・リュスの活動を通じてできるだけ政治色を排除していた痕跡がみられるので(いくつかの例外はあるけれど)、少しでも政治を連想する「前衛」とか「宣言」からは、敢えて距離を置くようにしていたとも考えられる。
芸術の領域での宣言は、二〇世紀のアヴァンギャルド運動にいたって開花した言説形式だといえるだろう。芸術はそこでいわば「宣言の時代」を迎えるのである。その背景には芸術家集団の急激な党派化、「政治化」があった。そのわかりやすい例が、「革命」を標榜し、一時期フランス共産党への接近をはかったシュルレアリスムの場合だろう。換言すれば、芸術あるいは文学の前衛は、宣言という言説を通じて、政治の前衛の運動をなぞろうとしたのである。(大浦前掲書)
 ディアギレフはアヴァンギャルド運動の危険な一面、「宣言」が内包する危うい性格に、いちはやく気がついていたのかもしれない。
 しかし、党派としてのアヴァンギャルドとは関係なく、ディアギレフは自分の審美眼にかなう美術家にはすすんでアプローチした。未来派の首領マリネッティがバレエ・リュスを大いに気に入り、ディアギレフとも意気投合したというエピソードは本書で初めて知ったが、未来派との関係といえば気になる一件がある。
 ディアギレフは1916年に『ナイチンゲールの歌』と言う作品を企画し、イタリア未来派の画家フォルトゥナート・デペロに舞台美術を委嘱していた。しかし計画はなぜか中断、のち1919年になってアンリ・マティスに改めて頼みなおしている。その間どういう経緯があったのか、本書では<なんらかの理由で>としか書かれていないし、またたとえば1998年にセゾン美術館/滋賀県立近代美術館で開催された『ディアギレフのバレエ・リュス展』図録でも<その理由についてはだれも語っていない>とそっけない(知名度の点でマティスの方が利があったのでは、という憶測はなされているが)。バックル本に至ってはそういう経緯があったことすら触れていない。ところがこの件、「デペロの未来派芸術展」(2000年、東京都庭園美術館/サントリーミュージアム[天保山])の図録にはもう少し掘り下げたことが書かれている。
だが、ほどなくディアギレフは、なぜかデペロとの協同プロジェクトを放棄してパリへ向かった。公式にはデペロが契約に想定されていた引き渡しの時期を守れなかったことが原因だが、ディアギレフの決心が、彼を取り巻くロシア人とフランス人の芸術家たちの意見に左右されたと信ずるのを妨げる理由はない。彼らはおそらく、イタリア未来派の芸術家との協同を好意的には見ていなかった。(『デペロの未来派芸術展』図録p.22、2000年)
 事の真偽はこの記述でもよくわからない。けれども、未来派の画家の側に<好意的に見られていない>と感じる何かがあったのは確かだろう。
 立場が違えば見方が変わるのはよくある話で、上のエピソードも、取り立てて問題視するべき事項ではないかもしれないが、ディアギレフ側がそろって口をつぐんでいるのが気になると言えば気になる。
 立場が…といえば、本書の刊行に先立ち、12年1月に平凡社からマチルダ・クシェシンスカヤの自伝本が出版されている(『ペテルブルグのバレリーナ クシェシンスカヤの回想録』森瑠衣子訳/関口紘一監修、ISBN978-4-582-83483-3)。彼女は、バレエ・リュス誕生前後にディアギレフの前に立ちはだかった、最大の敵役として描かれる人物だ。両者を読み比べると同じことがらでも全然違うニュアンスになっていて大変面白いが、この、カルサーヴィナやニジンスキーから見てひと世代前のスター・ダンサーの本は、しょせんは自伝であることを忘れてはいけない。自分に不都合なことなどまず書かないだろうし。だからクシェシンスカヤの主張を100%信用するわけにもいかないのだが、とはいえ、先のデペロの件にせよクシェシンスカヤの件にせよ、当の本人たち同士以外の、周囲の人間たちの思惑や働きが歴史の影で様々に動いているのだな、というのは容易に想像できる。
 
 * * *
 
 ディアギレフは<宣言>はしなかった、と先に書いたが、彼の言葉でもっとも心に残るのは、おそらく1905年にサンクトペテルブルクのタヴリーダ宮殿で開催された「歴史的肖像画展」でのスピーチだろう。1705年から、ということはピョートル一世がまだ皇帝を名乗る1721年より以前からの、200年間にわたるロシア帝国の歴史を「肖像画」という切り口で回顧したこの展覧会は、彼がロシア全土をかけずり回って作品を集めた、歴史に残る一大イベントだった。開幕直後のパーティで、ディアギレフはこう言い残している――。
(…)われわれはいま歴史的な総決算のときを目の当たりにしているのです。新たな文化の名の下に、物事は終わりを告げつつあります。その新しい文化を創造するのはわれわれ自身ですが、いずれその文化がわれわれを駆逐するでしょう。それゆえ、恐れも疑いもなく、廃墟と化した美しい神殿にも、新たな美学の新たな戒律にも、杯を掲げます。根っからの官能主義者である私のただひとつの望みは、来るべき闘争が生の美学を侮辱しないということです。死は「復活」に劣らず美しく輝いているのかもしれません。(p.130)
 ロシアではその前年に日本との戦争に突入し、また05年1月には「血の日曜日事件」、6月には戦艦ポチョムキン号で水兵が反乱を起こすなど、ロシア革命も同時進行中だった。ディアギレフの<総括>は、まさに時代の空気を読んだ、リアリティのある言葉として受け止められたはずだ。
 もちろんこのスピーチは「宣言」ではない。「宣言」とは新しい時代の到来を告げる、誕生の雄叫びだからだ。それに対して1905年のディアギレフの言葉は、あえて言うなら「弔辞」だろう。そしてそちらの方が、彼にはよく似合っていた。ディアギレフはこの展覧会を最後に活動拠点を西欧に移し、やがてバレエ・リュスを率いて、遠くは北南米にまでも足を伸ばすことになるのだが、彼の後半生の奥底にあって彼の言動の深い部分を規定していたものは、05年のこのスピーチにあったのではないか。わたしにはそう思えてならない。
 
 
 最後に、ささいな事だがミスをひとつ。403ページに<ディアギレフが、ガボ(本名ペヴスナー)とその弟アントワーヌに初めて会ったのは、一九二四年>云々という記述があるが、ナウム・ガボは1890年生まれ、アントワーヌ・ペヴスナーは1884年(86年説もあり)生まれ。つまり、「弟」ではなく「兄」である。バックル本でもまったく同じ間違いが見られるが、おそらく訳者の鈴木氏が四半世紀のあいだずっとそう思い込んでいたのだろう。第二版で訂正されることを望みたい。
 

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