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ピナ・バウシュ 夢の教室

 
Tanztraume
●ピナ・バウシュ 夢の教室
 2010年ドイツ映画/配給:トランスフォーマー/監督:アン・リンセル
 出演:ピナ・バウシュ、ベネディクト・ビリエ、ジョセフィン=アン・エンディコット
 パンフレットデザイン:椚田透(nix graphics)/編集・発行:株式会社トランスフォーマー
 
 原題は《Tanz Träume Jugendliche Tanzen Kontakthof Von Pina Bausch》。直訳すると『夢のダンス 若者たちがピナ・バウシュの<コンタクトホーフ>を踊る』、あるいは『ダンスの夢』なのかな。邦題には「教室」とあるので、てっきりピナ・バウシュによる若い人向けのダンス・ワークショップかなにかと思っていたのだが、そうではなかった。いや、「ダンス経験のない若者がピナ作品に挑戦する映画」ということは事前に知っていたし、それはそれでけっして間違いではないんだけれど。

 
 ダンスをしたことがない子供たちを踊らせるというアイディアじたいは、そう珍しいものではない。一日だけの体験教室とかワークショップのたぐいは毎日のように世界中のどこかで行われているだろうし、もっと大がかりなものでは、同じドイツはベルリン・フィルハーモニー交響楽団の「ダンス・プロジェクト」というのもあった。これは2002年秋にベルリン・フィルの常任指揮者に就任したサイモン・ラトルが始めた企画で、200人を超えるベルリン在住の子供たちにダンスをさせるというもの。そのうちの<春の祭典>公演は『ベルリン・フィルと子どもたち』という邦題でドキュメンタリー映画にもなったことがある(原題《RHYTHM IS IT!》2004年)。
 ベルリンの試みをピナ・バウシュが参考にしたかどうかは知らないが、趣旨としては近しい。ただし、ピナ版には大きな違いがふたつある。ひとつは、練習成果の発表の場である劇場公演がいちどきりでないこと。実際に何日間演じられたのかは映画の中では触れられてないが、ラスト近くで「初日が云々」のセリフがあって、それでようやく「あ、一日限りのスペシャルイベントじゃなかったんだ」と納得がいった。というのも、毎週土曜日だけとはいえ、練習期間が約10ヵ月というけっこう長期にわたるものなので、ずいぶん時間をかけるものだなあ、と半ば訝りながら映画を観ていたからだ。
 もうひとつの違いとしては、ピナが集めた若者たちは14歳から18歳の、思春期まっさかりの男女ということ。ラトル/ベルリン・フィルの方は、下は8歳から上は20代までと、ずっと幅広い(のちには80代の老人たちも加わったという)し、人種・国籍・社会層もできるだけバラバラになるよう選考されていた(サイモン・ラトルの発言だったと記憶してるが、「性別も三種類」なんだとか)。レッスンは時に学校の授業時間を使うこともあったそうなので、ベルリン・プロジェクトの方がよほど「教室」っぽい。
 ついでなのでベルリン・フィルの企画にもう少しだけ触れておくと、総勢250人で演じられた『春の祭典』はたしかに迫力があったしプロジェクトを追ったドキュメンタリー映画の方も感動的なのだが、翌年の『ダフニスとクロエ』や05年の『火の鳥』となると、舞台作品としてはどうにも見づらい。舞台上に200人を超える人間が一斉に蠢いている図は、スペクタクルなインパクトはあるもののダンス「作品」としてはどうか。やはりあのプロジェクトは<ダンスを通じてなにごとかを学ぶ>ことを目的としたものであって、結果としての作品の発表は、どちらかというと二の次なのだろう。
 
 ピナ・バウシュのプロジェクトは「公演作品として観客にきちんと見せる」ことを目的としている。したがってダンス未経験者を起用することは、この古い作品(初演は1978年)に新しい解釈を加えるための重要な意味を担っている、と言うことになる。
 これより前、2000年にピナは『65歳以上の男女によるコンタクトホーフ』を発表しており、こちらは一部分だがヴィム・ヴェンダース監督の3D映画《pina》で観ることができる。つい先日観たばかりなので、老若ふたつの違いがいちいち面白かった。老人たちはまず佇まいそのものが絵になるというか、顔のしわひとつひとつにも既にドラマがあるので、それだけで舞台上から目が離せなくなる。
 対する若者たちはどうか。映画で細かく描かれるのだが、「パパとママは好きだけど愛ってまだよくわかんない」という少女や「人前でズボンを脱ぐなんて恥ずかしくてできないよ」という男の子、あるいは「他人に触れるのも触れられるのも生理的に耐えられない」という青年もいて、「愛」や「コンタクト」がテーマのひとつであるダンスを踊るのにはどうよ、と心配してしまう“ダンサー”がたくさん出てくるのだ。ダンスもバレエも習ったことがない(ヒップヒップをやってる男の子はいたが)、ピナ・バウシュって名前すら聞いたことがないという40人のティーンエイジャーたち…自分に課せられた役や振付の意味がまるで理解できない、ここでなんでこういう動きをするのか理由が見えない、おかしくもないのにいきなり大声で笑い転げろと言われたって無理に決まってるじゃない…それでも彼ら彼女らは、真剣に作品に取り組む。その姿が胸を打つ。
 
 週一回ながら10ヵ月にも及ぶ練習期間、その全てをピナ・バウシュ本人が取り仕切っているのかと思っていたらさにあらず、彼女が登場するシーンは意外に少ない。ふだんのレッスンはピナの盟友というか長年いっしょに闘ってきた戦友のような、ふたりの女性が受け持っていた。ベネディクトとジョー=アンという、このふたりの指導ぶりがこの映画のみもので、「他人に対する表現活動」などほとんどしたことがなかっただろう40人の若者たちに「自分をさらけ出すこと」と「役を演じること」を教え込んでいく。改めて思えば、ティーンズたちこのが作品の意味を自分なりにつかんでいく熟成時間として、10ヵ月という比較的長いスパンが必要だったのだろう。なぜならこのダンスは短期集中で振付を詰め込んでハイおしまい、という作品ではないからだ。つまり、ピナ・バウシュの「演出」は、レッスン期間を設定するところからすでに始まっていたと言っていい。
 そのピナは、ここぞという時にレッスン場にあらわれ、やさしい笑顔とともに厳しいダメだしをする。このあたりのシーンはとてもスリリングだった。パンフレットに掲載の監督のコメントによれば、もともと他の取材や写真撮影を一切シャットアウトしていたこの企画、公演直前の最後のミーティングでは、それまで密着していた映画のスタッフさえも立ち入り禁止となって、ひどく困惑したらしい。なので最後の最後にピナがどういうことを話したのかは映画では謎のまま残されているが、全編を通じて皆がくちぐちにピナの凄さを語っていたことを思えば、彼女が「それまでダンスに興味がなかった」ひとたちをもたちどころに魅了してしまう魔法使いだったことは確かだろう。
 
 映画は公演初日の成功で幕を閉じる。映画で語られてきたようなバックグラウンドをなにも知らずに、なんの予備知識もなくただ完成された舞台だけを観たとしたら、もしかすると「初々しくはあるけどなんかぎこちない舞台だったなあ」という感想を持っただろうか(その点だけで言えば、年齢もバラバラでとんでもなく大人数の出演者というベルリン・プロジェクトの方が、初見でも企画意図をつかみやすいと思う)。あるいはまったく別の感想を持つことになっただろうか。
 今後、もしこの映画がDVDかブルーレイソフトとして発売されることがあるなら、ぜひとも特典映像として本公演をノーカットで収めたディスクを加えて欲しい。なぜなら「作品」をつくることを目指したピナ・バウシュの演出意図は、やはり「作品」を観ることでしか伝わらないのでは、と思うからだ。
 

2012 03 25 [dance around] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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