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村山知義の多元宇宙

 
120421
●すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙
 2012年02月11日〜03月25日 神奈川県立近代美術館 葉山
 2012年04月07日〜05月13日 京都国立近代美術館
 2012年05月26日〜07月01日 高松市美術館
 2012年07月14日〜09月02日 世田谷美術館
 
 わたしの中で村山知義(1901〜1977)の名前は、大正末期の前衛芸術運動「マヴォ」とセットですり込まれている。こちらの興味がもっぱら20世紀初頭のアヴァンギャルド美術方面にあるためで、演劇には関心も知識もないから彼の後半生が演劇一筋だったということは本で読んでいたけれども、そこいらへんは単なるいち情報として知っていたにすぎない。
 けれども、大がかりな回顧展としては初めてとなる今回の展覧会場に足を運んでみて、なによりびっくりしたのは「マヴォ」「演劇」というキーワードだけではとうてい括れない、その宇宙の複雑さと広大さだった。

 
 村山が、自ら結成した「マヴォ」で活動していた時期は、けっこう短い。1922年の一年間をドイツで暮らし、最先端の前衛芸術運動をめいっぱい吸収して帰国した翌年から、せいぜい2〜3年だ。たった一年間のドイツ滞在でヨーロッパのアヴァンギャルドを全部さらってくるというのもたいがい荒技ではあるんだけど。
 

和達(知男=一足先にベルリンに滞在していた村山の旧友の画家/引用者注)の案内でさまざまな画廊を訪れ、デア・シュトゥルム画廊のヴァルデンや劇作家アンゲルマイヤーの知遇を得る中で、村山はアーキペンコの造形やカンディンスキーの音響的色彩、そしてクレーの観念的な世界へと、夏頃まで次々に驚異と興奮の対象を交代させながら新しい刺激を吸収していった。政治に無関心であったために当初はエロ・グロ的関心でのみ惹かれたというグロスについても、次第にその芸術を通して社会への目を開かれていく。(カタログp.29)
 村山がベルリンに着いたのは2月。それからわずか半年程度で観るべきものをぜんぶ見てしまい、個々の作家への傾倒をやめ自分の作品を作りはじめたというのである。いくらなんでも駆け足すぎるんじゃないのとは思うが、これが彼の、というかこの時代のペースだったんだろうか。ちなみに上に登場する和達知男は、その後結核を患い25年に没している。もはや駆け足というよりも疾走する人生、という感じだ。この展覧会では、その和達の作品も——二十歳そこそこの若者らしい、自意識たっぷりの自画像だ——観られたのがよかった。
 
 若者らしいと言えば、「マヴォ」の誕生は23年6月。村山22歳である。これについて、かつて白川昌生さんが興味深い指摘をしていたことがある。
 
「マヴォ」のメンバーの年齢は二十一歳から二十三歳に集中しており、出身地は北海道から沖縄までをふくんでいる。東京出身は十五名中四名、群馬が三名、つまり地方出身者を中心として「マヴォ」は構成されていた、ということがわかる。(「マヴォと近代の夢」水声通信3号、2006年、p.33)
 村山は一年間の留学を終えて帰国する際に2000冊もの洋書を持ち帰ったと言われているが、この桁外れのボリュームも時代性のゆえなんだろうか。展覧会場の売店に村山の著書の復刻版(旧字体や仮名遣いなどは現代風に改められている)を売っていたが、そのうちの一冊、1926年に出版された『構成派研究』にはマリネッティの未来派からエル・リシツキーのプロウンまで、20世紀初頭の世界の前衛芸術運動を一気に概説する部分がある。どの流派も数ページで片付けてしまう駆け足っぷりだし論評も容赦ない一刀両断で苦笑するほどだが(たとえば未来派は<愛国的熱情に鼓舞されたニヒリストの盲目的突貫>、ドイツ表現派は<善良なる小市民的な部屋の(中略)真中で、安々と極楽往生を遂げ>、キュビズムは<単にフォルムの問題のみに終始した>(※))、これらすべては「従来の芸術はあらゆる意味で行き詰まった、だからこれからは構成派なのだ」という主張のために書かれている。こういう議論の性急な乱暴さもまた、いかにも若者らしいと思える。
 年譜を辿ると『構成派研究』を書いた1926年には、実はすでに村山はプロレタリア演劇運動に片足以上を突っ込んでおり(とはいえ同時期に「日本漫画家連盟」も発足させていたりするが)すでに「マヴォ」じたいはほぼ消滅しかかっている。以後、かれの活動の大半は演劇を中心に回ることになる。
 
 
 前衛美術家から演劇人へ(舞台装置からはじまり、すぐに演出や戯曲も手がけるようになる)という流れだけを見ると、まああり得そうな経歴かなとは思うが(すでにマヴォ時代からダンスや身体パフォーマンスにも積極的だったし)——もちろん短期間での仕事量の多さと展開の速さは並みの才能では到底追いつけないので、それだけでも感嘆すべきことなんだけど——村山知義の凄さは「それ以外」にあった。つまり、かれがドイツに渡る前の1920年から最晩年までずっと継続していた、子供のためのイラストレーションの仕事である。これについては全く知らなかったので、展覧会場で本当に驚いた。
 
 いや、童画方面で村山という名前はどこかで聞いたことが、あるにはあった。でも、「マヴォの人」とはまったく結びつかなかったので、同姓同名の別の人だろうと勝手に思い込んでいたのだ。というか、本展を観終わった今でもまだ半信半疑なんでありますね。ホントに同一人物? 別人じゃないの? という気分が未だに抜けない。前衛芸術や左翼演劇といった活動と、子供のための挿絵の仕事は両立可能だったんだろうか。
知義は1926年以降、急速に左翼化し、プロレタリア演劇に精力的に取り組むようになるが、『子供之友』では以前と変わることなく、籌子(かずこ=知義の妻で同誌記者・童話作家/引用者注)と組んで動物や野菜たちが活躍する明るく楽しげな世界を描き続けていた。しかし、知義は一方で1929-31年には児童のプロレタリア教化を目的とした雑誌『少年戦旗』に寄稿し、『子供之友』で自らが描いてきた(いる)プチブル的世界を徹底的に否定、攻撃し、籌子もまた同誌の編集に参画し、プロレタリア児童小説を書いた。知義と籌子はおそらく大きな葛藤を抱えながら、いずれも自身にとって大切なふたつの矛盾する世界と対峙していたものと思われる(カタログp.147)
 プロレタリア運動に関わったことで村山は3回投獄、その結果1935年を最後に『子供之友』から追い出されてしまう。
 
 マヴォ時代の活動を追っているといかにも奔放なゲージュツカのように見えるし、それでいて上の引用文のような矛盾するふたつの仕事を同時にやっているのはたしかに政治的、イデオロギー的にどうなのとも思うが、ひょっとすると、回りが想像するほど<大きな葛藤>は抱えていなかったのではないか、という気がしないでもない。
 これは戦後の話だが、村山知義は岩波書店から出た『科学の事典』の挿絵をまるごと一冊描いている(1950年)。事典の図版となると当然科学的正確さが最優先で、画家の独創性などかえって邪魔になりがちなジャンルだろう。食べていくため、生活のためという側面もあったかもしれないが、そんな仕事もきちんとこなせる職人性というのが、このひとの中には確かにあった。けしてわがままなだけ、自分の主義主張のためだけにしか描けない作家ではなかったのだ。ということは、プチブルであれプロレタリアートであれ、求められる主題に応じてどんな絵でも描けるだけの器用さは持ち合わせていたし、自分の仕事に対する突き放した視線(所詮は「売り絵」だというクールさ)も常に持っていたかもしれない。子供向けのイラストレーターとしての仕事は、かれの息子が児童文学者になったことも大きいのだろうけど、結局最晩年まで続けられた。リアルなタッチや中世の銅版画風など、様々なスタイルを自在に使い分けているあたり、さすがはプロフェッショナルと感心するしかない。
 
 
 
一人の芸術家が探穿と動揺と悩みの年月の後に、彼独特の形式を発見してそれを固執するというと、人は彼が終始同一だといって非難する。そうかと思うとどんな表出法にもかつて満足できなくて、常により上の芸術を探し続け、かくて常に新しく変わってゆく芸術家があると、人は同様にそのために彼を非難する。(※)
 この一節は、村山が1924年に出版した『現在の藝術と未来の藝術』という本に所収の、パブロ・ピカソについて論じたもの。パウル・ローゼンベルグという人の文章を翻訳したものらしい。24年の村山は、マヴォの活動に並行して関東大震災後の東京復興のための建築設計をやり、同年結婚する籌子との童話の共作がはじまり、演劇の舞台装置を初めて手がける年でもあった。その後の仕事に連なる活動の多くがこの一年に始まっている。この評論はそんな時期に訳出されたものだ。ここで論じられているピカソの姿に、のちの村山自身の活動をつい重ねてみたくなる。
 今回の展覧会のタイトルは『村山知義の宇宙』だが、その宇宙は「多元宇宙」とでも呼びたくなるほど同時多発的に多方面に触手を伸ばした複雑な宇宙である。しかしどんなに複雑に見えようと、どんなに矛盾して見えようと、どれもひとりの作家の内部から創造されたものには違いあるまい。
 
この進歩そのものが、あの過ぎ去った時代のすべての愛すべき作品と同様に決定的のものであり、真実のものであると見なされるのである。たとえその進歩がその形式において、以前の作品と矛盾しているように見えようと、その精神に至っては確乎として一貫している。彼の芸術は、持続的であり創造的である。彼の芸術は、偉大な芸術家たちのすべての作品とともに、現在ならびに将来の創造に影響をおよぼすであろう。(※)

 
※『現在の藝術と未来の藝術』『構成派研究』復刻版/本の泉社/2002年/ISBN4-88023-372-2

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