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グルジア国立バレエ『白鳥の湖』
●グルジア国立バレエ 2012年日本公演『白鳥の湖』
ニーナ・アナニアシヴィリ率いるグルジア国立バレエ団の2年ぶりの日本公演、今年は『白鳥の湖』である。なんでも日本でニーナが白鳥を踊るのは今回で最後らしい。宣伝チラシに「これが見納め!」とでかでかと書いてあったのですわ引退か、とあせったものの、よく読むとどうやらダンサーとしてはまだ続けるらしいと知って、ほっとした。あくまでも「日本での」「白鳥が」最後、ということなのね。ああまぎらわしー。
にしても彼女のオデット/オディールをナマで観られるのはおそらくこれでおしまい、ならばきちんと見届けておかなければならぬ。そう考えたファンが大勢いたのだろう、会場はいつになく熱気に包まれていたように感じた。公演終了後にはサイン会まであったようで、わたしはすぐ帰ってしまったけれども、サインをもらうために行列をつくる人の多さに圧倒された。やっぱ彼女は大スターだなあ。
押しも押されぬプリマという顔の他に、というかそれ以上に、現在のニーナ・アナニアシヴィリにはグルジア国立バレエ団の芸術監督という責任があり、このカンパニーを世界レヴェルのバレエ団に育て上げるという使命を担っている。サイン会もおそらく「今後もうちのカンパニーをよろしくね」という営業活動の一環という意味も持っているだろう。そしてそれは、1ヵ月にわたる日本巡業を、沖縄をはじめ各地を精力的に公演して回るというところにもあらわれていると思う(有名どころのバレエ団だと、東京公演だけですぐ帰ってしまうってのも多いからなあ)。今年の日本公演には、一人でも多くの日本人ファンを、という願いが強く込められていたのではないか(それにしては東京以西での公演ばかりだが、これはやはりフクシマの影響か)。
2幕4場、幕間の休憩時間を含めても2時間ちょっとと、『白鳥の湖』にしては短い。果たしてあちこちがカットされていたが、その分コンパクトでストーリーがわかりやすくなっていたとも言える。びっくりしたのが、オープニングで幕が開いたらそこは鏡とレッスン・バーが置いてあるバレエの練習場で、つまり『白鳥の湖』上演のための稽古の真っ最中、という設定。振付家がダンサーたちを熱心に指導している。王子役が居残りで特訓、疲れてついうとうとしてしまううちに森の奥深くの「白鳥」の世界へ行ってしまい…。
こんなメタ演出ははじめて観たのでびっくり、いやまあ面白かったけど。じゃあラストはどうなるの、と思ってたら案の定いわゆる<夢オチ>で、「王子とオデットの悲恋と悲劇」という物語、あるいは「悪魔と王子の対決」というクライマックスはほとんど触れられずに、王子役は目が覚めてもとの稽古場に戻ってしまうのだ。なるほど、これなら2時間で終わるはずだわ。
まあ、ハッピーエンドから悲惨な最期まで、このバレエはこれまでさんざんいろんな描かれ方をされてきたわけで、いまさらどういう結末をつけようとも全体の印象にかわりはない。であるなら、今回のような入れ子構造の演出だってアリではあるだろう。
ひとつだけ気になったのは、夢の中のジークフリートは「王子役のダンサー」のままだったのか、それとも本当に「王子」として生きていたのか。前者ならオデット/オディールの罠を見抜けないはずはないのだが。
というのは、第二幕、オディールが登場し王子を誘惑してゆく過程で、途中でいちどオデットがごく一瞬、姿をあらわしたのだ。普通は、相手がその気になるまでオディールは正体を出さず、王子からの求愛を受けてはじめて自分が偽のオデットであると明かし、ホンモノのオデットが幽閉されている様子を見せつける。それで王子はダマされたことに気づく。これまで観てきた『白鳥の湖』はどれもそういう筋の運びをしていた。
ところが今回の演出では、ジークフリートがまだ迷っている段階で、いちど「囚われたオデット」が幻のように出現するのだ。しかしその瞬間、悪魔がオディールを懐に隠してしまい、王子が両者を同時に目にすることはない。次の瞬間にはもうオデットは消え、快活なオディールが再び王子の目の前にあらわれる。
このときジークフリートからすれば、オデット/オディールは同一人物なんだ、という風に思い込んだ。そういう風に描かれていたように、わたしには思えたのだ。
ふたたび「囚われたオデット」があらわれるのはオディールが王子からの求愛の花束を高笑いとともに踏みにじっていた時で、両者を同時に目の当たりにした王子は、ここでようやく実はふたりが別人だったと気づくのだ。
ということは、最初の「オデット見せ」は悪魔が仕掛けた巧妙な罠であり、つまりはそこまで念入りに仕掛けなければ王子を罠に陥れることができなかったということでもある。ここでの王子が「ただの王子」ではなく「王子役としてのダンサー」という人格も持ったままその世界に存在していたのではないか、とふと思ってしまったシーンなのだが、ま、さすがに考えすぎでしょうかねえ。
アナニアシヴィリのダンスはさすがという他なく、これが来年50歳を迎えようというひとの肉体であるとはにわかに信じがたいほどの若々しさ。もちろん客席も大いに盛り上がった。何度も繰り返されるブラヴォーの嵐。
しかし、彼女としてはバレエ団の今後、つまり自分が第一線を退いてしまったとしてもグルジアが日本で同じように受け入れられるのか、そのことを既に見据えていることだろう。実は今回の日本公演では、ツアー最終日の7月21日に一度だけの「特別プログラム」が用意されており、そちらのプログラムにはグルジア民謡を取り上げた演目(『サガロベリ』)やグルジアゆかりの名コレオグラファー、ジョージ・バランシン作品(『デュオ・コンチェルタント』)などが用意されているのだ。このカンパニーの<これから>を見るにはこちらのプログラムの方が似合っており、芸術監督ニーナ・アナニアシヴィリとしても、おそらくはこちらのプログラムをこそ観て欲しいのではなかろうか。
どなたもご存じのように『白鳥の湖』には、第二幕冒頭にいろんな国の民族舞踊風バレエがある。実はわたしは『白鳥』ではこの場面がもっとも好きで、いろんなバレエ団のここだけのシーンを集めたDVDなんかがもしあったら飛びついて買いたいなあと思ってるのだが、グルジアバレエ団の演じる「民族舞踊」は、これまで観たどれよりもしっくりとサマになっていた。
そうでなくても、黒髪、大きな黒目、エキゾチックでオリエンタルな顔立ちの人たちだ。どの国の衣装であれ、「民族舞踊」が実にぴったりサマになる。もちろんその踊りもとてもかっこいい。スペインの踊りなんか本職のフラメンコ・ダンサーかと思ったほどだ。このへんは、西欧バレリーナがやると妙に上手いわりに妙にしっくりこなかったりするのだが、彼らはとてもハマってる。このシーンから想像するに、グルジア民謡を取り入れたバレエなんてもっともっとかっこいいに違いない。うーん、7月21日のプログラムも観てみたいよう…。Eテレあたりで放送しないかなあ…。
ニーナのあとを嗣ぐスター・ダンサーの出現も必要なのかもしれないが、バレエ団としては<グルジアの民族性>というアイデンティティを大きく打ち出してゆく戦略はとても正しいと思う。次回の来日公演には、ぜひそういう方向性のバレエ作品をたくさんやって欲しいものだ。アナニアシヴィリへ両手が真っ赤になるほどの大きな拍手を贈りながら、わたしは客席でそんなことを思っていた。
(2012年06月30日/兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホールにて)
2012 07 01 [dance around] | permalink
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