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[exhibition]:高橋由一展

 
Yuichi
●近代洋画の開拓者 高橋由一
 2012年04月08日〜06月24日 東京藝術大学美術館
 2012年07月20日〜08月26日 山形美術館
 2012年09月07日〜10月21日 京都国立近代美術館
 【カタログ】
 発行:読売新聞社、NHK、NHKプロモーション
 表紙デザイン:栗原幸治(クリ・ラボ)
  
 よく知られているように、高橋由一が本格的に「油彩画」に取り組むようになったのは彼が40歳になってから。大政奉還により江戸から明治へ、政治体制ががらっと変わったおかげで、かねてからの願いだった西洋画への道が開けたという。
 40歳といえば、「いい年をしたおっさん」である。<四十にして惑わず>ではないが、それなりに社会的地位を固めたり、後進の指導的立場に立たされたり、ま、いろいろと守りに入るお年頃と言っていい。いくら若い頃からの願望であったとはいえ、新しいことをはじめるにはかなりの覚悟が必要じゃなかったかと推測するのだが、まあ、それを可能にしたのが「時代とその精神」というものかもしれない。
 カタログ巻末の年譜によれば、由一が本格的に画業を志したのは二十代の頃。病気がちなために家業(弓・剣の師範)を継ぐことをあきらめ、独学で絵を学び始めたとある。それ以前、十代はじめ頃に狩野派の絵師に手ほどきを受けているけれど、このときは勤めが忙しく絵を描く時間が取れなかったので止めていた。由一は9歳から藩主堀田正衛の近習(きんじゅ、主君の側近で奉仕する役)をつとめ、のち<図画取扱を兼務>とあるので、絵画への関心は幼少の頃から持っていたのだろう。
 きちんと画家をめざし始めた頃と時期を同じくして、はじめて西洋画にも触れる。というか、西洋画を見て自分も画家になろうと強く決心したのだろうか、このへんの因果関係は年譜からは読み取れないのだけど、ともあれ、本格的に油彩画を学ぶにはまだ時代が早すぎた。
 だから、明治維新は彼にとって最大にして最後のチャンスだったはずだ。これでようやく、長年の夢であった西洋画に取りかかることができるぞ、と。
 
 由一は西洋画のどこに魅力を感じたんだろう。リアルな画面、手を伸ばせば掴めそうなほどの写実的な描写に惹かれたから、なんだろうか。
 それはそれで間違っていないとは思う。じっさい、後年の由一は西洋画普及にあたってその「実用性」を強く説いた。当時すでに写真術も輸入されはじめ、目の前の事物をありのままに写し取る技術としては絵画よりも写真の方が向いていそうなものだけど、まだモノクロームだったり褪せやすい弱点もあった。彼は「カラーで、末永く残る」油絵の方がより有利だと力説した。由一には写真を元に描いた作品も多くあるそうで、写真をまったく不要なものとは考えていなかったはずだが、とはいえ「実用性」ただその一点張りで写真よりも油彩画を、というにはちょっと押しが足りないような気がする。
 高橋由一は1828年生まれ。19世紀の江戸の絵画といえば、幕府の御用絵師だった狩野派は別にして、酒井抱一〜鈴木其一の江戸琳派の流れが一方にあり、もう一方で葛飾北斎や歌川広重らの浮世絵が一世を風靡していた時代。そしてもうひとつ、こちらは一般人の目に触れる機会はそうそうなかったと思われるが、幕府の洋学研究機関「開成所」での「博物画」プロジェクトがあった。由一は開成所の画学局員としてこのプロジェクトの制作にあたっていて、魚や植物の細密画を多く描いている。
 リアリズム=写生と考えれば、この博物画がもっともリアルであって、単に実用性だけを云々するなら、この技術を追求するだけでもよかったんじゃないか。 なんで由一はニカワと岩絵具を捨てて、慣れない油絵具と格闘しようと決心したんだろう?
 由一の言う「油絵=実用説」はいわば対外的な<言い訳>であって、彼の本心は別のところにあったんじゃなかろうか。つまり、彼が油彩画に魂を持って行かれた理由は他にあったような気がする。
 ひとつには、「博物画」はしょせん博物学=科学の分野であって「芸術」の範疇とは捉えにくかったことがあるかもしれない。俺は説明図じゃなくて「絵」が描きたいんだ、というふうな。
 しかし、その後の由一の作品を見ても情緒的な絵画などほとんど見当たらない。西洋風のロマン主義はもちろんのこと、歴史や文学的な題材でさえかなり少ない。本展に展示された作品の多くは人物肖像画だったり、東北地方をはじめとする各地の風景画で、なるほど「実用的」であり記録としては興味深いけれど、純粋に絵画作品として鑑賞するにはどうにもあまり面白くなかったりする。彼の描きたかった「絵」はこういうものだったんだろうか。
 
 生硬な表情の肖像画や、芝居の書き割りのような風景画を集めた展示室を抜けて、静物画のコーナーに回った時、あ、これじゃないか、と思った。
 出品数としては他コーナーよりも少なめ(とはいえ彼の作品のなかで最も有名な『鮭』を含む)静物画の一角。個人的にはここがもっとも面白かった。まず目に飛び込んだのは『豆腐』。まな板の上に、右から木綿豆腐、焼き豆腐、薄揚げが無造作に置かれている、ただそれだけの絵だ。続いて足を止めたのは『巻布』で、これも反物が無造作に床に転がっているだけのもの。他にも食肉用の死んだ鴨を描いた『鴨図』、さざえや帆立など様々な貝を描いた『貝図』——と見て回って、その質感描写の違いをゆっくり楽しんだ。そして、由一もおそらく、これらの絵をさぞ楽しんで描いたろうな、と思った。
 自分の絵筆一本で、目の前のあらゆるテクスチャを描くことができるという、この万能感。「絵を描く」ことの原初的な喜びとでも言えばいいんだろうか、そういう楽しさがこれらの作品からは感じられるし、もっと言えば、こういう「楽しさ」は他の肖像画や風景画にはない、静物画だけに見られる特徴のようにも感じた。
 この画家の関心はテクスチャにある——でなければ、誰が好んで木綿豆腐と焦げた焼き豆腐と油揚げを絵のテーマに取り上げるだろうか? あるいは、身近な台所道具をこれまた無造作に集めて『厨房具』と題して絵にするだろうか? そこには陶器のすり鉢、片口、レンゲ、おろし金や曲げわっぱ、しゃもじ、柄杓が並べられていて、画面をちょうどナナメに分断するかのように大きい擂り粉木が置かれている。すべすべした他の台所用品のなかに、ただひとつ木の荒々しい肌理が印象的で、作者の描きたかったことがストレートに表現されている。
 なるほど、由一が日本画の画材を捨ててまで油彩画に魅せられた理由は、こういう「質感」をこそ描きたかったから、じゃないだろうか。
 
 遠くから眺めると実物がそこにあるかのようにリアルで、でも近づいてよくよく見ると筆あとくっきり。それがまるで手品か何かのように不思議で…という「鑑賞のしかた」を、そういえば自分も昔からよくやっていたよなあ。で、自分もあんな絵が描きたいと思って、中学生の頃に安い「油絵セット」をお小遣いで買って、見よう見まねでチャレンジしたことが一度だけあった。もちろん絵画教室に通うことなど思いもよらない。ただキャンバスの上で絵の具をこね回し、ペインティング・ナイフで引っかき回すだけでとても楽しかった。出来上がった「絵」は異様に画面から絵の具が盛り上がったワケのわからないシロモノで(いちおう「海と山」というテーマはあったが)、わたしの「絵画熱」はそれで終了した。
 自分の子供っぽい経験と由一の画業を重ねるのはあまりに彼に失礼なのだが、きっと彼にも「画布に絵の具を塗る」ことの官能的と言っていい喜びがあったのではないか。彼の静物画からは、その気配が濃厚に感じられる。
 高橋由一が油彩画の「実用性」をことさら強調していたのは、そういった愉悦をひた隠しに隠そうとしていたからではないだろうか。なにしろ、中年を迎えるまで武家の子として藩主に仕え、幕府直轄の役所で働いていた「生真面目」な人である。絵を描くことは「使命」であって、楽しみであってはならない——と考えていたとして不思議ではない。けれども、絵を描くことの生理的な快感を、彼は油彩画のなかに見出していたんじゃなかろうか。美術館をあとにしながら、わたしはそんなことを考えていた。
 

2012 09 30 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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