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[exhibition]:須田国太郎展
●須田国太郎展 没後50年に顧みる
2012年04月07日〜05月27日 神奈川県立近代美術館 葉山
2012年07月21日〜08月26日 茨城県近代美術館
2012年09月01日〜10月14日 石川県立美術館
2012年10月20日〜11月25日 鳥取県立美術館
2012年12月01日〜2013年02月03日 京都市美術館
2013年02月15日〜04月01日 島根県立美術館
【図録】
編集・発行:日本経済新聞社他
デザイン:今西久(デザインブルー)
12年4月から丸々1年をかけて6カ所の美術館を巡回する、須田国太郎(1891-1961)の回顧展。この規模の展覧会はこのあと当分見られないかもしれない。そう思わせるほど気合いの入った内容だった。
十代のころ学友たちと作っていた同人雑誌『竹馬の友』から、病室で描かれた絶筆の『メロンと西瓜』まで、ヨーロッパ留学時代の模写作品(先日エル・グレコの本物を観たばかりだったので余計に面白かった)や、さらにはこれまで公開されてこなかったスケッチ群までもが出品されていて、どのコーナーも興味は尽きない(そういえば 『竹馬の友』は図録ではまったく触れられていないのだけど、急遽出品が決まったものなんだろうか。細かい部分はあとでカタログで確かめようと思ってたのに、載ってなくてちょっとショック)。
須田が銀座の資生堂ギャラリーではじめて個展を開いたのは41歳というから、わりと遅咲きではある。 というのも、学生時代は美術史を学び学者の道を歩もうとしていたからだ。しかし彼は京都帝大大学院を退学し、同時に通っていた関西美術院もやめて渡欧する。ここまでの決意をするに至った事情を詳しく知りたいところだが、ともあれ、図録巻末の年譜によれば神戸港を出発してスペインに着いたのが1919年(大正8年)7月(このとき須田28歳)。1923年に帰国するまでの4年間を、彼はマドリードを拠点にヨーロッパ各地を精力的に飛び回っている。美術研究家としても、また実作者としても、この時代に学んだ全てが、この人のその後を決定づけたと言っていい。
須田国太郎は京都生まれで、帰国後も終生京都に住み続けた。彼の描く風景画は京都市近郊や南山城(みなみやましろ=京都府南部)地方など、わたしにとってなじみの場所も多いにもかかわらず、描かれたそれはどれも乾燥しきって痩せた土の色をしていて、どうみても湿潤な日本の風土とは思えないのがおもしろい。風景画に特に顕著な、近景を暗くシルエットで描き、しかし遠景の山々は明るくヌケが良いというコントラストのはっきりした須田の画風は、スペインで過ごした日々が強烈な記憶となって彼を支配し続けていたことの証拠だろう。
風景画に留まらず、動物画(京都市動物園に通い詰めていたという)や植物画など、須田の画題は多種にわたっている。本展ではそれらをテーマ別に編集し、展示している。なので同じテーマで40代の作品、50代、60代と見較べやすいのが特徴だ。作品横に付けられたプレートにも、タイトル・制作年とともに作者の年齢がいちいち記載されているから(図録には年齢表記はない)、これはそういう見せ方を意図しているに違いない。
ざっと見渡すに、おおむね「意欲の40代」「熟練の50代」…とでも名付けられるだろうか。
個人的な不満としては、思ったより小さめの絵が多かったこと。スペイン留学時代に、まるで壁画のような巨大な油彩画やフレスコ画も多く見知っていたはずだが、彼自身の作品には巨大サイズの絵が意外なほど少ない。注意してみると、大きな絵はほとんどが40代の作品だ。気力も体力も充実していて、意欲的な試みをどんどんやりたかったのだろうな、というのがよく分かる。
50代の作品群はタッチも落ち着き手堅くなったという印象。今回の回顧展のようにまとめて見せられるとその面白みもわかるけど、団体展などで一作品だけ展示されていたら、地味すぎてスルーしてしまう気がする。
堅実だがさして面白みのない画面がもう一度活気づくのは60代、それも後半になってから。「ふっきれた最晩年」とでも言おうか。ふたたび年譜によれば、1957年、66歳のときに吐血し、入院。以後70歳で亡くなるまで病床にあったという。病室に特製の画架をしつらえて絵を描き続けていた。そういう事実は帰宅して図録を見てから知ったのだけど、会場でもとくに目を惹かれたのが64、5歳以降の作品群だった。タッチがどんどん激しく荒くなり、具象なのか抽象なのかはたまたシュールレアリスムなのか、なんだかよくわからない絵が増える。もう大きなサイズの絵など描きたくても物理的に無理ではあるけど、その分、密度が高い。小さな画面だからこそ可能だったのだろう、隅々まで躍動するマチエールが目を離さない(『るりみつどり』1956年、『偶感』1958年、など)。
同じ須田つながりで——というわけでもないけれど、たとえば須田剋太(1906-1990)の場合は、いちど完全に抽象画の世界に入り込み、そこから抜け出すことで自由を得た。国太郎同様、剋太の作品もマチエールがとても魅力的なんだけど、国太郎の場合は具象画——彼ならではのリアリズムだけをひたすら突き詰めて、その果てにほとんど抽象画のような領域に達した。どちらがいい悪いという話ではない。結果として両大家とも、画面に刻まれた筆あとのひとつひとつは、いつまでも眺めて飽きない魅力がある。
ただ、その意味では、本展の多くがガラスケース入りの展示だったのは非常に残念だった。ディテールを追いたくてもガラス越しだとよくわからないからだ。作品保護とかいろいろ理由はあるんだろうけど、見づらいことはなはだしいのはどうにかならないものか。無反射素材のガラスってないのかなあ。
もうひとつ、筆跡の確認という点ではスケッチブックもたいへん楽しかった。素早いデッサン、クロッキーのたぐいだが、鉛筆の一本一本を追っていくだけで時間があっという間に過ぎてしまう。スケッチなんかは図録でもおまけのような小さな扱いになりがちなので、こうして実物を眺められたのはなによりだった。
2012 12 11 [design conscious] | permalink
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