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『民謡からみた世界音楽』を読む
●民謡からみた世界音楽 うたの地脈を探る
細川周平編著/ミネルヴァ書房刊/2012年3月20日初版
ISBN978-4-623-06150-1
デザイン/STUDIO-M21(N)
「民謡」という面妖な言葉がある。
——という書き出しで始まるこの本は、一般的な「民謡」だとか「民族音楽」、「伝統音楽」や「フォーク・ミュージック」などのイメージが、いかに漠然としたあいまいなものかを考えさせてくれる一冊だ。
本書は全部で23の論攷と、概略を俯瞰した序文から成る。“民謡”という概念を最初に提唱した、ドイツのヨーハン・ヘルダーの業績の再検討からはじまる第1部「民謡を考える」、公共のホールやレコードといった、メディアの介在によって“民謡”自体がどう変容していったかを追う第2部「民謡を伝える」、“民謡”を素材として再編集する新しい音楽や、「ありえたかもしれない民謡」としてフィクショナルな楽曲を構築する現代音楽家などをとりあげる第3部「民謡をつくる」の三部構成で、もちろん各論は独立した一編として成立しているのだけれども、問題意識は複雑に絡み合っていて、それぞれがお互いを補完し合っているようにも読める。このあたりの相互作用は論文集の醍醐味であるが、この共同研究を主宰し本書を編集した細川周平さんの功績によるところがなにより大きいに違いない。
各論が取り上げる音楽は日本はもとよりアジアから北中南米、ヨーロッパまで非常に幅広い。聴いたことがないジャンルも少なくなく、わたしにはさっぱり歯が立たなかった章もあるけれど、関心のあるパートからとりかかって、You Tubeなどインターネットの力も借りながら少しずつ読み進めていった。
本書の内容は多岐にわたっているが、基調として一貫しているのは<「民謡」という面妖な言葉>をどう定義づけるか、という問題意識だろうか。
民謡というとなんとなく「その民族に特有の旋律やリズムを備え、古来から綿々と伝わってきた音楽」であり、王侯貴族や官僚によって保護されてきたのではなく、むしろそのカウンターとして「名もなき民衆が口頭で伝承してきたもの」というイメージがある。雑多な階層が集まる中央都市ではなく、固有の因習を色濃く残す周縁地方の音楽、というイメージも加えていいかもしれない。
さらに付け加えるなら「民謡」はうたが中心、「民族音楽」となると器楽曲が中心、というイメージもわたしは持っていた。でも「日本民謡」とは呼んでも「日本の民族音楽」とはあまり言わないなぁ、なんでだろ? と疑問に感じたこともあったが、いつしか忘れていった。
「民族音楽」という言葉がさかんにもてはやされていた頃——おおよそ前世紀最後の四半世紀あたり——、いつしかそれは、国際社会における異文化理解、相互理解のための教材として、公的な教育の現場でも利用されるようになっていた(このあたりの経緯についても詳しく知りたいものだ。多額の研究費を確保する目的で、学者自身が教育的価値をことさら強調したプレゼンテーションを熱心に行っていたと想像するのだがどうだろう)。研究者たちは世界中の各地に飛び、それまで聞いたこともなかった「部族・民族」の「伝統詩歌」や「民族楽器」を嬉々として報告し、紹介する。やがてレコードショップの片隅に置かれていた「世界の民謡」「民族音楽」の棚はいつの間にか国内盤も数多く出回るようになり、「ワールド・ミュージック」と改称して毎月のように“新発掘”ミュージシャンの新譜が並ぶ、知的でおしゃれな人気コーナーとなった。
当初は地味な研究対象であったはずの「名もなき音楽家」がこのように商業的な成功、それもワールドワイド(ターゲットは米欧日といういわゆる「先進諸国」中心だが)な知名度を得るに至って、紹介者=研究者たちはとまどいを示すようになる。
一例を挙げよう。たとえば2002年に出版された『民族音楽学の課題と方法 音楽研究の未来をさぐる』(水野信男編・世界思想社刊)のなかでは、フィールドワークで出会った中国の「素朴な民族音楽」を日本に紹介しようとしたら、彼らはより外国人が好みそうな派手な演出をもってきた、というエピソードが紹介されている。
一九九六年十月三十日、「黄土高原文化交流協会」を中心に、多くのボランティアの助けを借りて、「黄土高原祝祭初公演」の幕が高槻市現代劇場で上がった。来日してみると、劇団はこちらの思惑とはまったく違った方向性で「来日公演」を捉えていることが判明した。彼らは近隣の大きな歌舞団からきらびやかな衣装を借り、また、メインの出し物「腰鼓(ヤオグー)」の演出も、われわれが期待していた農村の濃厚な土の香りは払拭され別物になりかわっていた。このギャップは九八年の再演の際に、より極端なかたちで現れた。(井口淳子「越境する諸民族の音楽とその評価をめぐって」p.66)
もうひとつ。岩波書店が2007年に刊行した『事典 世界音楽の本』(徳丸吉彦・高橋悠治・北中正和・渡辺裕編)には、民族文化が商業ベースに乗ることについての議論にかなりの紙幅がさかれているが、なかでも伊東信宏さんが2000年、ルーマニアのブラスバンド「ファンファーレ・チョカリーア」来日公演をめぐって主催者やそれを聴きに来た観客たちとの間で起こった論争の経緯を紹介していて興味深い。来日ステージを観た伊東さんが書いた公演評に多くの反論が寄せられ、公演主催者のウェブサイト上で論争を繰り広げたという話なのだが、その件を振り返って著者はこう述懐する。
ちょうどどこか南方の珍しい果実が人気を博するのと同じように、突然ある種の音楽が脚光を浴びる。そして、その人気が過熱して果実が採り尽くされてしまったり、あるいはその人気を当て込んだ現地の農業経営が破綻してしまったりするのと同じように、当該の音楽は乱獲され、消費され、またあるとき突然忘れられる。(中略)「民俗文化」の場合、成功は完全に外部からやってくる。突然、彼らにはオファーが殺到し、そして去ってゆく。そういうことを彼らに強いる権利は、本当にあるのだろうか。(伊東信宏「批評、プロデュース、聴衆——民俗文化のエコロジーは可能か?」pp.229-230)
世界各地の民謡/民族音楽とそれをベースにしたポップ音楽がコマーシャリズムにのって華々しく展開していたあいだ、「良心的な」学者や研究者は、商業的な成功とひきかえに他の何かが犠牲になるのではないかと、「真剣に」危惧していたのである。「民衆のための音楽」が、何の脈略も持たない他の文化圏の「大衆」に無防備に解放され、商品として大量消費されることを極度に恐れていた、と言い換えてもいい。
これらの事例は、今から思えばかなりナイーブでセンチメンタルな心情だと言えるだろう。研究対象社会と高度資本主義社会の両方の事情を熟知している(と自認する)研究者こそが、状況をコントロールすべきであるという、ある種の「上から目線」さえ感じ取れるかもしれない。
しかし、マスメディアや商業資本に頼らずとも、ひとは古代から常に移動し交流しあるいは反発していたし、それに伴って「固有の文化」も絶えず変容し続けていたはずだ。グローバル社会においてその動きがかつてないほど速くなっても仕方あるまい。むしろ、急加速されたスピードとそのダイナミズムにこそ、研究者たちは積極的に関心を向けるべきではなかったか。そして彼ら自身も、加速するその動きへの加担者のひとりであるという自覚を、もっと強く持つべきではなかったか。
本書『民謡からみた世界音楽』は、「民謡」をある特定の時代や地域に固定されたものとしてではなく、絶えず流動し変貌していくものとして捉える。その上で、個々の事例について固有の事情を探っていこうとしている。ここに、この本の風通しの良さを感じる。
その意味では、武田俊輔さんが柳田國男の民謡論を詳しく紹介した「柳田民謡論の可能性」は、本書のスタンスをもっともストレートにあらわしているように思えた。以下、武田さんが引用した柳田國男の言葉からいくつか孫引きしてみる。いずれもハッとさせられる指摘に満ちている。
土地に根をさした純なる民謡でも、今行わるるものには百年と古いものは稀である
とも角も千年以来の民間文芸の過程を調べてみようと思うのは、つまりはそれが変化して来た、変化そのものに興味が感ぜられるのであって、残って居るものに対してではなく、変わってきたという事実に対して何事かを考えてみようとするのである
……色々六つかしい見方も有るだろうが、要するに一方は歌の伴う仕事であった。そうして今日の労働には、歌を伴うことがもう不可能になっているのである。歌そのものを労働として居る人は有るけれども
* * *
民謡は<面妖な>存在、それはヌエのように捕らえがたく不定形な生き物だ。常に変容し続けていて、固定した顔を見せない。だからこそ面白く、興味は尽きないのだ——。
本書に集まった書き手はみなそれぞれに、そのこと自体をとても楽しんでいるように、わたしには感じられた。
2013 01 03 [face the musicbooklearning] | permalink
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