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「西海岸」が眩しかった頃
●カリフォルニア・デザイン 1930-1965―モダン・リヴィングの起源―
2013年03月20日~06月03日 国立新美術館
抜けるような青空と透明な空気感、陽気で楽観的、多様な価値観をぜんぶ受け入れる懐の深さ、カラフルな色遣いとプラスチックや成型合板などの新しい素材を自在に使う先進性、大量生産で低価格を実現させた大衆性、それからえーとなんだろう。「カリフォルニア・デザイン」と聞いて頭にうかぶイメージは、とにかく明るくポップで、つまりは「カッコイイもの」であった。本展は、そんなパブリックイメージを改めて再認識させてくれたし、それでいて戦争や核をはじめとする現代史の影の部分をもさりげなく見せていて、なかなか興味深い内容だった。
* * *
日本で「カリフォルニア・デザイン」を若い世代に大々的にアピールしたのは、やはり1976年創刊の雑誌『Popeye』(平凡出版・現マガジンハウス)になるんだろうか(渡辺貞夫の『カリフォルニア・シャワー』はその2年後、1978年の大ヒットアルバムだった)。70年代後半から80年代を通じ「ナウなヤングのライトなシティ・ライフのための」必需品(なんならここに「スグレモノ」というルビを振ろうか)として…21世紀のいまこう書くとギャグでしかないけど…、カリフォルニアを代表とするアメリカ西海岸のポップ・カルチャーは全肯定されていた。
わたし自身はこういった「西海岸ポップ・カルチャー」にどっぷり浸かった記憶はないのだけれども、かつてウエスト・コーストが眩しく耀いていた時代があったことは知っている。なので、本展に出品されている品々も、半数くらいは、ある種の懐かしさをもって眺めていた。
ただし、表題にもあきらかなように、この展覧会の時代設定は「1930年から65年」である。ポパイが憧れた70年代ではない。しかもこの間には、第二次世界大戦という一大イヴェントも含まれているのだ。
新興都市であったロサンジェルスは、1920年代に急速に発展した。1922年と29年に撮影された、市内の同じ場所の航空写真がカタログに載っているが、大きな道路だけはそのままに、何もなかった空き地がわずか7年ほどで住宅がびっしり埋まるようになるさまは、ちょっと背筋がぞくっとする風景だ。なので、本展の起点を「1930年」とするのは、大量生産・大量消費が前提の「カリフォルニア・デザイン」のはじまりとしてふさわしい、のだろう。
とすると「1965年」にもなにか意味があるのだろうか。展覧会場を眺めている限りでは、そのへんはよくわからなかった。イーグルスは76年発表の名曲<ホテル・カリフォルニア>の中で「1969年以来、そんなスピリットは置いていない…」と歌っていたが。
「当時何が起こったかと言えば、誰もがあの時代理想を信じ平和を望んだ。そんな希望に満ちた時代は60年代と伴に幕を下ろした。68年ロバート・ケネディが次期大統領になると聞いたときの希望、また彼が暗殺された時の落胆。続くマーチン・ルーサー・キングの暗殺と、理想は破れ、純粋無垢な理想を失ったというのかな。76年に僕らは厳しい現実を知り、60年代にあった純粋無垢な理想を失った。」(グレン・フライ談:2013年4月に行われたインタビュー記事より引用)
アメリカ現代史には詳しくないのでよくわからないまま書くけど、<純粋無垢な理想>はすでに「1965年」あたりから徐々に失われつつあったのだろうか。とすれば、本展の「1930年—1965年」という時代設定は、「カリフォルニアが(そしてアメリカが)<純粋無垢な理想>を持っていた、真に眩しかった時代」と見ていいのかもしれない。
この展覧会はもともとロサンゼルス・カウンティ美術館で2011年秋から2012年春にかけて開催されていたもので、今回の日本展はその巡回展となる。本展の図録は編著者いわく<ミッド・センチュリーと呼ばれる時代にカリフォルニアで展開したモダン・デザインに関する初の包括的な研究書(カタログ表紙袖)>とのことで、「包括的な研究」がこれが初めて、というのにびっくりした。もっと古くから、なんだかんだと研究がすすんでいたジャンルだとばかり思っていたのだ。
会場は思いのほか広く、作家のインタビュー動画や当時の宣伝/報道フィルムなどが随所で流れているので、ぜんぶを丹念に観ようとすると意外に時間がかかる。出品点数も多く、けっこう気力と体力が必要な展覧会ではあった。
わたしがいちばん時間をかけたのは、住宅やインテリアまわりのプロダクト・デザイン。本展副題に<モダン・リヴィング>と謳っているように中心的な主題でもあり、出品点数も多かったから見応えがあった。
たとえばポール・ラースローによる「アトム・ヴィルU.S.A.」というスケッチ。個人用のヘリポートやプールなどウルトラモダンな先進性を備えつつ、最大の目玉はいざというときに<核シェルター>にもなる、という住居プランだ。魔法のような利便性・快適性と核による脅威が表裏一体のものとして意識されていたことが、このデザイン画からストレートに伝わってくる。とはいえ、1950年に描かれたこのスケッチ画では、地下の核シェルターでさえおとぎ話のオアシスのようで、現在の目からみれば<文明を脅かす死の恐怖>というふうには捉えられていなかったように感じられもするのだけれど。
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家具や食器、服飾や工芸品など「成果物としてのプロダクト・デザイン」が展示の中心ということは、反面、映画や広告をはじめとするマス・カルチャーやコミュニケーション・デザインの紹介が少なめということでもある。
つまり、こういうプロダクトを生み出した「精神的風土」というか「バック・グラウンド」については、本展を眺めているだけではよくわからない部分も多いのだ。もとの展覧会がロサンジェルスで企画されたものなので、ロスに生まれ育った人たちにならおそらく説明不要で伝わるだろう「空気感」が、ガイジンであるわれわれにはいまいちピンと来ないということもあるのだろう。
ま、そのあたりは、カタログ——というより図版がやや多めの「研究書」である——をじっくり読み込んでいけば、いろいろ氷解する部分もあるのかもしれない。ベッドで寝転びながら気軽に読めるような判型/ページ数ではないので、今はまだパラパラと眺めているだけだが、そのうちちゃんと取りかかってみたい。
2013 05 27 [design conscious] | permalink
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