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マリア・パヘス「UTOPIA」

 
130518
●マリア・パヘス舞踊団「ユートピア」
 2013年05月18日・19日 Bunkamuraオーチャードホール
 05月22日 北上市文化交流センター さくらホール
 05月25日 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
 
 ※昨年11月に書いた関連記事はこちら
 
 
 ノンストップの70分。アンコールを含めても1時間半に満たないステージだ。「えっ、もう終わりなの?」「あっという間だったねえ」席を立ってから出口に向かうまでのあいだ、そんな声があちこちで聞かれた。しかしそれは出演者が出し惜しみをしているとかそういうのではなく、緻密に組み立てられた構成のなせる技ではないかと思う。今回の新作は、かつてないほど綿密に練り上げられた作品だ、という印象を持った。準備に二年をかけたというが、なるほど。
 
 
 建築家の北川原温さんは、かつて「ダンサーは建築家以上に建築家」と言ったことがある。

舞台というのは、ダンサーがいないと成立しない。ダンサーはなにをしている人かというと、空間を構想している人である。つまりダンサーを見ると身体の形とか動きとかに注目し勝ちですが、ダンサー自身は足や指の先、肩や背中の後ろとかをかなり意識して空間を規定するというか、空間を構想することを仕事としてやっている人たちだと思います。それはある意味では建築家に近い、もしかすると建築家よりはるかに先を行っている人たちかもしれないと思うわけです。(東西アスファルト事業協同組合講演録:私の建築手法、1992年)

 北川原さんの上の発言は、ピナ・バウシュやウィリアム・フォーサイスなどモダン~コンテンポラリー・ダンスの世界を念頭に置いてのものだけど、まさに今回のマリア・パヘスをぴたり言い当てている気がする。建築界の巨匠、故オスカー・ニーマイヤーにインスパイアされて生み出されたダンス作品だから特にそう感じるということもあるのだけれども、近年のマリア・パヘスは伝統的な「いわゆるフラメンコ」よりも、モダン・ダンスやコンテンポラリー・ダンスの方にますます近寄っているから、という見方も成り立つと思うのだ。
 ミハイル・バリシニコフとの出会いにより生み出された『セルフポートレート』(2008年日本初演)や、シディ・ラヴィ・シェルカウイとのコラボ作『ドゥナス』(2009年・日本未公開)などは、ある意味では本作のための助走でもあったかもしれない。前作『ミラーダ』(2010〜11年)でも踊った「白鳥」は、今回はラストを締めくくる象徴的なポーズへと進化した。「私はフラメンコしか踊れない」と宣言しつつも、実のところ、彼女は幅広い西洋ダンスの歴史と現在を、みごとに自家薬籠中のものとしているのだ。
 
 本作でわたしが特に目を惹いたのは、ちょうど真ん中に配置された「意識と欲望」。全体にグレイやモノトーンでまとめられたステージで唯一、深紅の衣装で登場するナンバーなので、ひときわ印象に残る。しかも、このダンスは素足で踊られるのだ。ドレスの裾の部分は身長の倍以上もあるたっぷりとした生地が円形をつくり、彼女はそれをケープかスカーフのように自在に扱う。
 この曲の振付は、多分にイザドラ・ダンカンを意識しているのではないかと踏んでいるのだが(裸足というのがポイント)、もうひとり、ロイ・フラーぽくも感じられた。両者とも、おおよそ100年ほど前にダンス界のみならずさまざまな分野に衝撃を与えた革新的なダンサーだ。おそらくマリア・パヘスは、革新的建築家オスカー・ニーマイヤーの生きた100年という歳月を、ここに重ねているのではないか(さらに言えば、わたしはもうひとり、アマノウズメノミコトも連想した——上空に吊された三本のワイヤーが、この演目ではドームのようなカーブを描いていて、それが天の岩戸を思わせたのだが——さすがにマリアが古事記神話までモチーフにしていることはないだろうけど)。
 昔の作品——たとえば『フラメンコ・リパブリック』(2001年)や『セビージャ』(2004年)あたりでは、1930年代にハリウッド・ミュージカルで一時代を築いたバスビー・バークリーを思わせる演出も多用していた。<マリア・パヘスは「ダンスおたく」だ>とわたしはかつて書いたことがあったけれども、彼女の強みは、実にこういうダンスの歴史性を身につけていることにあると思う。「フラメンコしか踊れない」というセリフは、つまりは「なんだってフラメンコにしてみせる」自信の裏返しなのだ。たとえばアイリッシュ・ダンス界渾身の一作『リヴァーダンス』でさえも、彼女は話題の中心をかっさらっていたではないか。
 
 
 マリア・パヘス舞踊団の舞台でどうしても触れなければならないのはもうひとつ、「音楽」である。今回は50ページもの立派な公演プログラムとともに、CDも販売されていたが、わたしが知る限りこれは『フラメンコ・リパブリック』のCD(2004年)以来2枚目となるはずだ。
 CDの内容は、舞台をほぼノンストップで収録したライブアルバムで、ダンス作品の「音だけ」をそのまま録音しただけで一枚の音楽アルバムとして成立するという事実が、本作の音楽性の高さを物語っているだろう。おなじみアナ・ラモンのうたごえはますます凄みを増しているし、もうひとりのカンテ、ホアン・デ・マイレナの強烈な声にもしびれた。が、なによりも今回は、ブラジルからのゲスト・ミュージシャン、フレッド・マーティンスのうたと演奏にノックアウトされたのだった。
 フレッドはオープニングとラス前の、合計2曲に登場するだけだが、どちらも忘れがたい印象を残す。特に、ダンサーや他のミュージシャンたちとの気の置けないセッションふうではじまる「そこが住みたいところ」の楽しさときたら! 彼の奏でるカヴァキーノ(小型ギター)が軽快なサンバのリズムを刻み、それに応えてダンサーたちが踊り出す。何気ない、ラフで気軽なシーンという設定なのだけど、なぜか涙が出てくるほどじんわりと心に染みた。フレッドの、ほどよい甘さのうた声がたまらない(ちなみにフレッド・マーティンスのアルバムは今のところ『Guanabara』(2009年)が最新作なのかな。iTunesでも売ってますが、これからの季節にぴったりの素敵なボッサ・ノヴァであります。おすすめ)。
 
 
 さらにさらにつけ加えるなら、舞踊団としての完成度の高さも特筆すべきだろうか。長く在籍しているダンサーも増え(公演プログラムを見る限りでは、たとえばイザベル・ロドリゲスやホセ・アントニオ・フラドの名前は2006年来日公演以来だし、ホセ・バリオスの名前も2002年から。もちろん、われらがアナ・ラモンは2001年の舞踊団初来日公演からずっと皆勤賞なのが嬉しい。この人のうた声はホントに舞踊団の“宝”だと思う)、メンバー間の息の合い具合といったら半端ない。かつてはマリア・パヘスの出るシーン以外は少々物足りなさを感じていたこともあったけど、今や堂々たる「もうひとつの主役」だ。
 マリアのソロ〜群舞〜ソロ〜群舞といういつもながらの構成には、正直なところ不満もあって、かつて『ラ・ティラーナ』でマノロ・マリンと魅せたような、一対一の息詰まるデュエット・ナンバー(初期リヴァーダンスでのマイケル・フラットレーとの一騎打ちはやはり絶品だった!)もいつかまた観たいものだけど、前作頃からか、マリアが群舞と混じるシーンが少しずつ増えてきた気がする。舞踊団としての成熟が、マリア・パヘスのコレオグラフにも変化をもたらしているのだろうか。
 
 …というあたりも含めて、舞踊団の今後、とりわけ次回作が早くも楽しみである。なんでも、最近は与謝野晶子にも親しんでいるらしい。公演プログラムには、さらに松尾芭蕉の名前も記されている。単に日本のファン向けのサーヴィス・トークであるかもしれないとしても、彼女が日本の文化に関心を寄せつつあるることには違いなかろう。今回は岩手でも公演しているので、ひょっとすると宮沢賢治や遠野物語などにも触れているかもしれない。それらがどういうかたちでフィードバックされるのか(あるいはされないにしても)、マリア・パヘスには今後も目が離せない。
130525
 

2013 05 25 [dance around] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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