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フランシス・ベーコンの虚無(追記あり)
●フランシス・ベーコン展
2013年03月08日〜05月26日 東京国立近代美術館
2013年06月08日〜09月01日 豊田市美術館
1909年にダブリンに生まれ、イギリスを拠点に活動し、1992年にマドリードで客死したフランシス・ベーコンの久々の回顧展。日本での開催は没後は初で、生前でも1983年に3会場を巡回した展覧会があったのみだ。わたしは当時の図録を持っていたはずなんだけど、実家の物置をいくら探しても見当たらない。奇妙にゆがんだ肖像画は面白いと思ったものの、あまりしょっちゅう眺めたい絵でもないなとも思っていたから、ひょっとすると早々に手放してしまったかもしれない。
30年前の図録を探したのは、ひとつには彼の性癖に関する記事があったかどうかを知りたかったからだ。今なお偏見の目を向けられがちな同性愛は、当時はまだおおっぴらにすることすらはばかられる雰囲気が充満していたはずで(ちなみに英国では同性愛は1967年まで違法だったそうだ)、おそらく図録には全く言及されていなかったか、もしくは非常にぼんやりとほのめかす程度ではなかったかと想像する。同性愛のことはもとより、マゾヒストであったことまで記されている今回の図録との差異を、ぜひ比べてみたかった——もっとも、生前と没後では作家に対する踏み込み方が大きく異なるので、性癖への言及の有無が単純に時代の変化によるものだけではないとは思うけれども——とはいえベーコン自身は同性愛者であることを早くから公にしていたので、だからこそ30年前の日本展図録の解説者がどういうスタンスを取っていたのかを確認したかったのだが。
生前、この画家はセルフ・プロデュースをかなり戦略的に行っていたらしい。若いころの作品のほとんどを処分していたり、インタビューや対談なども公開までに入念に推敲を重ね、自己イメージを徹底して管理していたという。そういったマス・イメージへのコントロール加減はいかにも現代的ではある。
特に、自分の絵がどのように観られたいかについて、そうとう意識的だったようだ。展覧会場の各コーナーに、自作の絵にガラスがはめ込まれていることについて語った言葉がいくつかあった。残念ながらその語録は図録には収録されていないようなので記憶だけで書くけれども、絵と観客の間をガラスが隔てていることをこの画家は重要視していたようだ。暗い絵だとそれを眺めている自分の姿が映り込むので、ははあ、こういう「効果」も狙っているのかな、と思いきや、ベーコンはそんな「効果」は一笑に付して否定する。いつかは反射しないガラスが発明されるはずさ、と。画家のその言にしたがって特別に低反射ガラスに付け替えられた作品もあった。なんというか、こちらの安直な思い込みなどあっさり見透かされているように感じたし、それでも自分の作品と赤の他人である観客の間を冷たいガラスで隔てなければならぬという主張には、彼の異様な潔癖さを垣間見るようでもあった。もっと言えば、他人の目が<直接>触れることを拒絶しているかのようでもある…彼は画家であり、描いた絵を他人に見られることがショーバイなのだからこれは実に奇妙な話ではあるのだけれども、それでもガラス一枚を隔てることの意味はなんとなく理解できる。
「没後初の回顧展」という触れ込みの割には、展示点数はそれほど多くはない。いちおう初期から最晩年の作品まで万遍なく網羅されてはいるものの、もう少しボリュームのある内容を期待していたのだ。しかし点数が多くないとはいえ、鮮烈なイメージのものばかりなので、濃度はたっぷりある。
とくに目を惹いたのは、初期の作品群に多くみられた、何かを叫んでいるように口を大きく開けた人物画。エイゼンシュタインの映画『戦艦ポチョムキン』の一コマに大きくインスパイアされたというその「叫び」は、サイレント映画のように何も発しない。どころか、漆黒に塗りつぶされたそれは、まわりの物質をすべて吸い込んで逃がさないブラックホールのように、そこに在った。
ぞぞっとした。
このひとは人間嫌いなんじゃないかとか深い絶望感に終生囚われていたんじゃなかろうかとか、そういう通り一遍のことをぼんやり考えていたこちらの頭の中に、ずどんと重い鉛ダマを打ち込まれたかのようでもあった。絶望、なんてなまやさしいものじゃあない、もっともっと深刻な、いわば虚無の深淵にまでこのひとの魂は沈んでいたのではないか。大きく開いた口の中をもっと覗き込みたいという衝動と、これ以上絵に近づくのは危ないという本能がわたしのなかで葛藤をはじめ、ふだん絵を見るポジションよりも少し距離を置いた場所に立ちすくみ、それらの絵を呆然と眺めていた。
無神論者であると公言し、晩年の受勲の打診など鼻であしらっている。「画家になっていなかったら? たぶん犯罪者になっていたさ」と、あるインタビューに答えている。事実、絵が売れない若いころはチンケな盗みと男娼で生活していたという。ほぼ10年に一人の周期で愛人をみつけているが、彼らはパトロンであったりモデルであったりと、それぞれが作家の画業に大きく関わっている。それ以外でも男色を漁るのが好きで、ヘテロセクシャル、つまり妻子がいる男性を誘惑して寝るのが趣味だったともいう。彼のそういった性嗜好は少年時代からのもので、十代のころ母親の下着を身につけ鏡の前に立っているところを父親に見つかり家を追い出されている。
彼が生物学上の女性であったならきっと「魔性の女」とでも呼ばれていたかもしれない。自身の成功とひきかえに周囲を破滅に導く、やっかいなタイプなのである。なにしろ、大きな個展の初日に最愛の恋人が死んだという悲劇が2度もあったりするのだ(これら数々のエピソードは、英BBCと Estate of Francis Bacon が2005年に共同制作したドキュメンタリー『フランシス・ベーコン 出来事と偶然のための媒体(原題:BACON'S ARENA)』に詳しい。日本語版DVDはカウンターポイント株式会社より発売/COPO-0002)。
会場後半に、ベーコンにインスパイアされたダンス作品がふたつ、紹介されている。そのうち大きくスペースを取っているのはペーター・ヴェルツとウィリアム・フォーサイスによるコラボレーションだったけれども、ベーコン特有の奇妙な身体をより高純度に表現しているのは土方巽の暗黒舞踏の方だろう。立ち上がることができず地面を這いつくばる土方の白い身体は、不意に起こる痙攣すらベーコンの描くブレの忠実な再現のようにも見えた。これらのダンス映像を観てからもういちど会場の最初に戻って絵をじっくり見直すという行為を、わたしは三度、繰り返した。
【2013年11月03日追記】
本文中に触れていた、生前の日本展の図録がようやく見つかった。今となっては貴重なカタログかもしれないので、書影も掲げておきます。
●東京展/1983年6月30日〜8月14日(東京国立近代美術館)●京都展/9月13日〜10月10日(京都国立近代美術館)●名古屋展/11月12日〜11月28日(愛知県美術館)●図録 発行/東京新聞 デザイン/浅井潔
ローレンス・ゴーイングと市川政憲によるふたつの論文が収録されている。ざっと読んでみたが、やはりプライヴェートに関する一切は慎重に伏せられている。たとえば、2013年展でははっきりと「恋人」「愛人」と記されている男性の存在は、30年前は「友人」としか書かれていない、というふうに。
もちろん、この手の記述が生前と没後で大きく変わるのはベーコンに限ったことではないだろう。当人が亡くなってはじめて世に出る事実というのは画家や小説家に限らず、いくらでもある。没後、作家を理解する上で「同性愛」というキーワードが新しく加えられたのは良いことかもしれないが、逆に言えばそこだけをスキャンダラスに取り沙汰するのもバランスを欠くことかもしれない。83年展の作家論/作品論は、ベーコンを絵画史や現代芸術の文脈にどう位置付けるかに腐心しており、それはそれでたいへん読み応えがあるものだった。
ちなみに、出品数は83年展が45点だったのに対し、13年展はベーコンの作品以外のもの(土方の舞踏作品など)を含めても34点。わたしがいささか物足りなく感じたのも理由なきことではなかったようだ。
2013 08 14 [design conscious] | permalink Tweet
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