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サーカスがやってきた
●2013 国立ボリショイサーカス 日本公演
2013年7月13日の沼津公演を皮切りに全国7会場を回った国立ボリショイサーカス。最終公演地である京都のステージを観てきました(2013年8月31日、午後の部)。
サーカスをナマで観るのはいつ以来だろ? 小学生のころ家族で「木下大サーカス」を観に行った思い出があるんだけど、ひょっとするとそれ以来かもしれない。ン十年たっても覚えているのは、空中ブランコがやたら怖かったことと、オートバイをぶんぶん乗り回す演目があって、音がやかましかったこと…くらいかな。視覚イメージとしてはテレビやら雑誌の写真やらでより鮮明なビジュアルを知らず知らずのうちに植えつけられているから、どこまでが実体験としての記憶でどこからがそうでないかがはなはだ曖昧だったりしますが。
「ボリショイサーカス」という名前じたい、いつの間にか記憶に刷り込まれていた“ブランド”で、ナマで観るのは今回が生まれて初めてなのにもかかわらず、郷愁というか懐かしさというか、そういう気分になってしまうのはよくよく考えてみれば不思議な話で。
ボリショイサーカスの初来日は1958年で、今年(2013年)が55周年になるのだとか。毎年来ているのかそれとも数年に一度なのか、そういう基本的なことすらまったく知らないのだけれども、“ブランド”となるにふさわしい年月を経てきたことは間違いないのでしょう。
京都会場は府立体育館。古い建物なので天井もそれほど高いとは言えず、これじゃ空中ブランコをやっても迫力が出ないかなぁなどと、中に入ってまずいちばんに思った。体育館のコート部分の約三分の一はアリーナ席としてパイプ椅子が並べられ、残りのスペースに円形のステージが組まれている。ステージの後ろはバックヤードになっていてカーテンで区切られているので、実質上ステージとしてはけっこう手狭な印象だ。
高さはともかく(そういや子供のころ観に行ったサーカスはどこでやったんだろ)ステージの広さはかつても(あれ、意外に狭いな…)と思った記憶があるから、ステージ面積は昔も今もそんなに変わらないのだろう。特設テントを建てて演じることが基準になっているのだろうか、その意味では最新鋭の設備を備えた大規模なホールだと、かえって見栄えがしない性格のショウなのかもしれない。
子供連れの観客がほとんど。やはりサーカスには子供がよく似合う。とはいえ満員札止めとはいかず、アリーナ席はともかく2階席は空席の方が目立っていた。ボリショイサーカスは犬、熊、猫、馬といった動物が登場する演目も多く、輸送やらケアの大変さを考えるとこれでちゃんと採算がとれているんだろうかとか余計な心配までついついしてしまう。気を抜いたり手を抜いたりすると大事故につながるアクロバット芸なので、演じる方は観客の多少に関係なく常に一定の緊張感を保っていなければならないのはもちろんなので、プロっていうのは大変だなあ…などと思うのはこちらがいい年をしたオトナだからか。
途中15分の休憩をはさんで合計2時間。想像以上に多彩なエンターテインメントだった。演目のあいだをつなぐピエロ二人組がややダレ気味だったけど(客いじりというか、お客さんを無作為に連れてきてあれこれさせるのだが、みんながみんな照れずに乗ってくれる客ばかりでもないしね)、メインの演目はどれもたいへん楽しい(あ、あとこれは個人的好みの範疇なんだけど、動物を使った芸もちょっとダレた)。出演者が意外に多く、20人くらいだったかな? ほぼ全員ダンスもうまく、ちゃんとしたレッスンをしているんだな、というのはすぐにわかった。
サーカス団員に体操選手系の人たちが多いのは容易に想像できるけど、ダンサー出身というのも多いんだろうか。もっとアスリートな感じを予想していたら、思っていた以上にダンサブルなショウだったのが嬉しい驚きだった。ダンス・ショウ(といってもわたしがよく行くのはアイリッシュ・ダンスばかりなんだけど)と言っても通用するんじゃないかというくらい、それぞれかっこよく決まっていたのだ。…そういえば幕間のBGMで、マイケル・フラットレーの『ロード・オブ・ザ・ダンス』のなかの一曲に大変よく似たメロディが流れていたんだけど、あれはなんだったんだろう…? ともあれ、そういうファンタジー系の舞台と非常に親和性の高い演出(音楽や衣装、決めポーズなどなど)が多く見られた。これはゲームや映画と同様「ファンタジー」がジャンルとして根強い人気を得ていることの反映ではあるのだろう。
第一部のラストは「空中ブランコ」。天井が低いといってゴメンなさい、実際に演者が立ってみると高所が苦手なわたしなどそれだけでぞわぞわするほどだったです。安全のためネットが張ってあるとは言え、そこへの落下はひやーと変な声を上げてしまう始末。スピード感もあってたいへんすばらしかった。
「空中ブランコ」ほどの高度はないとはいうものの、第二部冒頭の「ロシアン・スイング」はひょっとすると「空中ブランコ」よりも高度な技術を要するんじゃないだろうか。身長ぶんほどの長さのある重そうなブランコを二人がかりでこぎ、対面のブランコに飛び移るというもので、安全ネットとかがないぶん、一つ間違えると大惨事になりかねないアクロバットの連続。こういう演目は初めて見ました。同じスリルは幅20センチほどの細い棒を屈強な男性二人がかつぎ、その上を女性演者が新体操よろしく軽々ととび踊る「ロシアン・バー」でも味わった。暗い会場内でよくもまあこんなことができるものだわ。
サーカスに<若々しいアスリートな感じ>を想像していたわたしの期待は、上記のような演目でたっぷり味わえて、それだけでもじゅうぶん満足なんだけど、サーカスにはもうひとつ<哀愁のピエロ>に代表されるような、場末な感じというかベテラン芸人の悲哀というか、どこか昏く淫靡な香りが漂う演目もよく似合うと思う。そういう雰囲気を備えた演者として、第一部のジャグラーと、第二部の早変わりを演じた女性がすごく印象に残った。同一人物なのかどうか、プログラムを見てもよくわからないのだけれども、ああ、「芸人」ってこういう感じなんだ、という匂いがぷんぷんする。いや、「こういう感じってどういう感じなのよ」と突っ込まれてもうまく説明できないんだけれども。演目じたいはとても面白く、とくに後半の早変わりイリュージョンはあっけにとられた。DVDとか売ってたらこれを再見する目的だけでもぜったい買っていたんだけどなあ。
先に触れた演目名に「ロシアン」と冠されたものがふたつあって、全体のテイストとしてはやはり「ロシアらしさ」なるものを全面に押し出しているのかな。というか、最初はアメリカンというか無国籍風だな、と思っていたんだけど後半からどんどんロシアっぽい衣装、ダンスが出てくるのだ。圧巻はラストの「ジギト」という演目で、要は馬の曲乗り芸なんだけど、太鼓の演奏から始まるディテールの数々がいかにも「古き良きロシア」——といってももちろん古いロシアなど知らないので、あくまでもイメージとしてのそれなんだけど——で、わくわくした。北方騎馬民族、なんて単語が思わず脳内に浮かんだほどだ。それほど広いと思えないステージを疾走する馬と、それをアクロバティックに乗りこなす演者のコンビネーションはさすがというべきで、そういえば子供のころ観た木下大サーカスでは馬の代わりとしてオートバイを乗りこなしていたのか、と合点がいった。だとすれば、個々の出し物や演出の細部に違いこそあれ、一回のショウとしての大きな流れには昔も今も定石のようなものがあり、その総体こそが<サーカス>を<サーカス>たらしめているのかもしれない。
シルク・ドゥ・ソレイユに代表される新世代イリュージョンも楽しいけれど、オーセンティックなサーカスだってやっぱり面白い。生身の人間が身体張ってます、っていうのがダイレクトに伝わる芸というのはそれだけで有無を言わせない迫力を生むものだなあ…と、こうして文字にしてしまえば何を今さらと言われそうな素朴な感想にすぎないんだけれども。
2013 08 31 [dance around] | permalink Tweet
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