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ボストンのジャポニスム展
●ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展
—印象派を魅了した日本の美—
2014年06月28日〜09月15日 世田谷美術館
2014年09月30日〜11月30日 京都市美術館
2015年01月02日〜05月10日 名古屋ボストン美術館
【展覧会図録】
発行:NHK.NHKプロモーション
デザイン:梯 耕治
ジャポニスムというと、わたしはまずパリやロンドンで熱心に受け入れられたというイメージが浮かぶんですが、アメリカではやはりボストンなんでしょうねえ。なにせかの岡倉天心が勤務していた美術館ですし。図録の巻頭論文ではボストン美術館が果たした役割について詳しく語られていて、読み応えがあります。
* * *
日本の伝統工芸や絵画作品が欧米で熱狂的に受け入れられ“ジャポニスム”旋風が巻き起こったのは19世紀後半から20世紀初頭とされています。
西欧での東洋趣味(オリエンタリズム)というと、ペルシャやロシアをはじめかなり古くからの受容史があるでしょうし、中国趣味(シノワズリ)も17世紀のロココ美術に多大な影響を与えました。それら先行する東洋趣味と、ジャポニスムとではなにが違うんだろう? 個人的には、そのあたりが長年の疑問でした。先日ホイッスラー展を観てきたばかり(感想は→こちら)ではあるんですけど、そもそもジャポニスムってなんじゃらほい、ていう根本的なところがよくわかってません。本展を観たことで、そのあたりがうすぼんやりとではありますが、なんとなく掴めたような気がしました。
どうして日本美術がこれほどまでに欧米の美術界に衝撃を与えることができたのか。いくつもの要因が考えられるのでしょうけど、ひとつにはうまく時機に乗ることができたタイミングの良さがあるかと思います。
ペリー提督の来邦が1853年ですが、その2年前(1851年)にはロンドンで第一回万国博覧会が開催されています。ヨーロッパ先進国が地球規模で自分たちの世界を見つめ直しつつある時期に、タイミング良く日本は長い鎖国の扉を開きます。62年の第2回ロンドン万博には早くも日本の品々が400点以上出品され、67年の第2回パリ万博になると国として正式に参加(江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩と民間の商人)。以後、明治政府は国を挙げて海外出展に力を入れます。なかでも1876年フィラデルフィア万博では、明治政府はかつてない規模の予算と人員を投入したのだとか。
このように19世紀後半は「万博の時代」と言ってよく、ロンドンやパリで相次いで開かれたどの万博もたいへん大勢の観客を集めています。日本はその流れにいち早く乗れたおかげで、日本産の商品を効率的にピーアールすることができました。美術工芸品だけでなく、曲芸や奇術芸人なども既に江戸時代末期から欧米露へと頻繁に巡業に出かけており、それぞれ各地で人気を博しています。
ちなみに、同時期の中国の方は清末期で国力が落ち、対外輸出どころかアヘン戦争をはじめ西欧列強に侵食されていたころ。もし清が最盛期の国力をもっていれば、日本の欧米進出はなかったか、せいぜいがシノワズリの一変種、という扱いを受けただけで終わっていたかもしれません。
また、かつてないほどの大量の観客=消費者に対応でき得る商品があったことも大きなポイントでしょう。その最たるモノが浮世絵版画。かつてのシノワズリでは青磁器や家具工芸品といったほとんど一品もので、絵画も肉筆の水墨画ばかり。必然的に流通する商品は限られた数しかなく、したがって非常に高価なものにならざるを得ません。一方、江戸時代に大流行した浮世絵版画は膨大な枚数があります。ヨーロッパに最初にもたらされた浮世絵は陶磁器の包み紙だったそうですが、それほどありふれていたものだったんでしょう。そこに描かれていた絵は当時の西欧人にとって非常に新鮮なもので、すぐにたくさんのコレクターが誕生します。結果として、浮世絵は日本美術のなかでもっとも大量に欧米へ渡ったジャンルとなりました。今やボストン美術館の約5万点をはじめ、欧米諸国の美術館・博物館には20万点以上もの浮世絵が収蔵されているというからすごいもの。
浮世絵以外にも、欧米人好みをいちはやくつかみ、輸出向けのデザインを次々と生産できた数々の工芸品にも目を惹かれます。本展には出品数が少なめだったのがちょっと残念ですが、なにしろアール・ヌーヴォー〜アール・デコ期のヨーロッパ工芸に多大な影響を及ぼしたはずなので、こちらはこちらで、いずれまとまった展覧会が企画されることを期待したいものです。
ともあれ、浮世絵などが海外へたくさん流出したおかげで、多くの人々の眼に触れる機会が増え、それがジャポニスムという大きなブームを生みだす土壌になったという理解は、大きくは間違っていないはず。
その流れで言えば、たとえばそれまでの西欧絵画の規範にあてはまらない浮世絵独特の美意識に、もっとも強く反応したのが印象派の画家たちでした。広重をいくつも模写したゴッホをはじめ、北斎や広重の独特の構図や色遣いなどが多くの画家のインスピレーションの源となったわけですが、ゴッホと言えば生前は貧乏を極めた画家でした。つまりはそんな人たちの目にも近しく触れらるほどの大量の浮世絵が流通していた、と。ごく一部の大金持ちや貴族階級だけの趣味に留まることなく、もっとうんと広い層に浸透していった、と。それほどまでに日本美術は広く一般大衆化していたのだと言えるでしょう。
他にも要因はあるのかもしれませんが、この展覧会では以上の「万国博覧会」「浮世絵」そして「印象派」という3つがジャポニスムをジャポニスムたらしめたポイントであるとしています。なるほどなあ。
* * *
本展の最大の目玉作品は、上掲の図録表紙にもなっているモネ作『ラ・ジャポネーズ(着物をまとうカミーユ・モネ)』(1876年)です。本展に向けて修復作業が行われたとのことで、会場ではそのあたりの解説パネルも並べられていました。カミーユが羽織っている赤い打掛の、肉厚さというか存在感がすごい。本展の中でもっとも大きな作品でもあって、大勢の人だかりができてました。
展覧会は5つの章で構成されています。西洋画家の作品と、その際に参照されたと考えられる浮世絵などの日本の作品を対に並べ、具体的にどのあたりがインスピレーションの源になったかを解説。なるほどなあと思うものも多いですが、後半になるとその取り入れ方がより自然にかつさりげなくなっていて、わざわざ指摘されなかったら気付きにくい作例も。こじつけとか言うんではなく、日本美術が彼らの美意識のかなり深いところまで浸透していったということのあらわれなんでしょう。
そういえば印象派ってのは日本で展覧会をやると必ず大盛況になるジャンルのひとつなんだそうですが、彼らの発想源のひとつに日本美術があるとするなら、それもまあ納得できるものかもしれません。
個人的には、ここで「ピクトリアル・フォトグラフィー」が取り上げられていたのに少し驚きました。本展では「ピクトリアリズム(絵画主義)」と呼んでいますが、写真機が登場して間もない頃、まるで筆で描いた絵画作品と見まがうような仕上がりをみせた写真作品のことです。これは欧米各国で流行った技法ですが、アメリカでこの運動を主導したのは、ニューヨーク・ダダにも関係が深いスティーグリッツ(マルセル・デュシャンの問題作『泉』を撮影したひと)でした(ただしスティーグリッツの作品そのものは本展には出ていません)。
ピクトリアル・フォトの多くは、撮影後のネガフィルムに大幅に修正を施すなど人為的な行為が多いため、純粋に写真を芸術として追究したい一派とは対立。撮影技術の向上やカメラの性能そのものの進化もあって、次第に写真界の主流からは遠ざかっていきます。本展ではそんな絵画主義派もまた、ジャポニズムの影響下にあったとしています。
展示されている作品はなるほどいかにもそれらしいといった感じなんですが、とはいえ、ややもすると<ピクトリアリズム=ジャポニズム>と短絡的に結びつけられかねないこの紹介の仕方は一寸どうかとは思いました。なにも特に写真家だけがジャポニスムに夢中になっていたというのではなく、この時代、多くのジャンルにわたって創作の下敷きにジャポニスムがあった、とする方がより自然でしょう。絵画や工芸や写真といった個々のジャンルの垣根を軽く飛び超えて、<時代の共通の美意識>として幅広い層に浸透し得た、ということこそがジャポニスムの本質と捉えるべきなんだと思うんですが、いかがなものでしょうか。
* * *
ちなみに、本展は2014年1月に米ナッシュビルのフリスト視覚芸術センターで開催された『LOOKING EAST』の日本巡回展で、国内3会場を回ったあとはカナダのケベック国立美術館とサンフランシスコのアジア美術館での開催が予定されているとのこと。
せっかくだからパリやロンドン、ウイーンなどヨーロッパ諸都市にも回ればいいのになあ。
2014 10 13 [design conscious] | permalink Tweet
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