« 野口久光のグラフィック・ワーク | 最新記事 | 湯浅政明トークライブ »
ホールに響く聲明
●聲明 四箇法要〜花びらは散っても花は散らない
2014年11月01日 兵庫県立文化芸術センター KOBELCO大ホール
同ホールでの聲明公演は2009年以来2度目。前回はうかうかしているうちにチケットを取り損ね、泣く泣く諦めたんですが今回は無事ゲット。当日券もあったようで、バルコニー席なら空席がいくつか残ってました。
聲明の2大流派(ていうのかな)天台宗と真言宗の僧侶各15名ずつ、計30名のお坊さんで構成されている「声明の会・千年の聲」。古典というか伝統的な聲明とともに現代の作曲家による委嘱作品をもレパートリーとしていて、ホール公演ならではの演出もありますがそのベースはあくまで仏教徒による宗教活動です。
今回の公演は、3.11を受けて作られた新作聲明「海霧讃歎(うみぎりさんだん)」(宮内康乃作曲)を含むノンストップ・途中休憩なしの約90分というステージ。ざっと客席を見渡すとやはりというか何というか、ご高齢の方が多いようです。
盛大に咳き込んだり鼻をかんだり、開幕のベルが鳴り客電が落ちる寸前になっても自分の席がわからずおろおろしているおじいさんとか(係員が慌てて誘導していた)、そうかと思えば今ごろになってトイレに行きたくなったのかそそくさと外に出ていくおばさんがいたりとか、おいおいみなさん大丈夫ですかあ、と勝手に心配してるうち公演が静かに始まりました。
開演に先立ち、演出家の田村博巳さんと作曲家の宮内康乃さんのおふたりによる解説トークがあり、そもそも聲明とは、というところから今回の新作の意図についてや、公演の演出についての細かな説明がありました。早めに席に着いていたのでこれも聞いたんですが、演出上の見どころなんかは事前に知らない方がよかったかも? とは思いました。サプライズはサプライズのまま、初見でびっくりしてみたかった。まあ、全体の客層を考えるとあらかじめ見どころポイントをレクチャーしておくのは間違ってはいなかったんでしょうが。
聲明をこういうホールで聴くのは初めてだし、さらに言えば天台と真言のふたつを同時に聴くのも初めての経験です。両者の違いを的確に言語化できるほどの耳は持ち合わせていないので「なるほど、確かに両者は違うのだ」というくらいしか書けないんですが、公演でもふたつを変に混ぜることをしなかったのが印象的でした。最初に天台宗の僧侶15名がステージに上がり聲明を唱えているあいだは真言宗の15名は客席にいて、途中で入れ替わりがあって、ふたたび元に戻るというのが大きな流れ。交替の際には1階客席の前半部分を、総勢30名の僧侶がぐるりと取り囲むというシーンがあって、その中にいる観客はサラウンドどころじゃなく全方向から聲明が流れ込むという、この上なく貴重な体験が得られます。もちろんマイクなど一切なし、ナマの男声が幾十にも重なってホール中を包むその響きは、まさにこの世のものとは思えないほど繊細かつ重厚で、ひとの声が持つ奥深さを改めて感じさせてくれます。
残念ながら今回わたしが取れた席は2階席でした。なので、これらの出来事を上から眺めているだけ。あの中にいられたらさぞかし凄かっただろうなというのは容易に想像できるものの、実際はそれを上から眺めているだけ。なので、どこか醒めた眼で状況を観察するという姿勢に、どうしてもなってしまいます。
前回(2009年)公演も同じなんですが、兵庫芸文での聲明公演は同ホールが毎年企画している<世界音楽図鑑>というワールド・ミュージック・シリーズのひとつとして扱われています。つまり、聲明をいわゆる「ワールド・ミュージック」の一ジャンルとして捉えている、ということですね。そういうつもりで公演を聴いていると、なるほどそのハーモニーは日本的というのはあまりに異国のものという気がします。ホーミーとまでは言いませんが声の出し方がモンゴルあたりを彷彿させたり、あるいは、新作聲明はバルカン半島のポリフォニーをうんとマイルドにしたような感じもしたり。アジア的というのでもない、もっと広くユーラシア的とでも言えばいいのかな。そんなふうな時空の広がりを端々に感じさせてくれます。
津波で亡くなった女性が生前に詠んだ短歌をテキストにして作られた新作聲明は、直接的には2011年3.11東日本大震災の法要のために作られたもので、2012年10月に神奈川で初演されました。兵庫も1995年1.17阪神淡路大震災の記憶を抱え続けている場所ですから、この地での再演は非常に意味のあるものと言えます。コンサートが終わって、盛大な拍手に送られてステージに上がった作曲者宮内さんもおそらく感無量だったのではないでしょうか。
公演終盤、般若心経が唱えられると、会場のあちこちでステージに合わせてぶつぶつと唱える声が聞こえてきました。ようやくなじみのあるお経が出てきたのでみなさんホッとしたのかも。張り詰めていた会場の空気が、少し柔らかくなったように感じた瞬間でした。もしも手元に数珠があったなら、わたしも思わずじゃじゃっと切りたくなりましたし。
ラストは客席にいた真言宗の僧侶たちもゆっくりステージに登ってきて、勢揃いしたところで終演。まさかのアンコールで、ひょっとしていきなりWORLD ORDERよろしく一斉に踊り出さないかとも思いましたが、踊り念仏じゃあないですもんね。現実にはアンコールはなく、そのまま場内が明るくなりました。
もちろん寺院で聴く聲明がいちばんしっくり来るのでしょうけど、こういう現代的なコンサートホールでの公演ならではの響きもまたよく似合います。それにしても人間の声って、ホント凄いなあ。みなさんの姿勢がピシッと伸びていてやたらカッコイイのも、ふつうの歌手やあるいはダンサーともまた違う、まさしく僧侶ならではの身体なのでしょうね。
2014 11 01 [face the music] | permalink
Tweet
「face the music」カテゴリの記事
- ブルガリアン・ヴォイスにくらくら(2018.01.28)
- 55年目のThe Chieftains(2017.11.25)
- blast meets disney!(2016.09.11)
- ホールに響く聲明(2014.11.01)
- YYSB2014『展覧会の絵』『新世界より』(2014.06.29)
trackback
スパム対策のため、すべてのトラックバックはいったん保留させていただきます。トラックバック用URL:
トラックバック一覧: ホールに響く聲明: