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[Book]ロトチェンコとソヴィエト文化の建設

 
Rodchenko2014
●ロトチェンコとソヴィエト文化の建設
 河村彩著/水声社刊/2014年11月25日初版
 ISBN978-4-8010-0076-6
 装幀:宮村ヤスヲ
 
 20世紀初頭のいわゆる「ロシア・アヴァンギャルド」を駆け抜けた芸術家のうち、美術方面での有名どころというとマレーヴィチ、タトリン、リシツキー、そして本書の主人公ロトチェンコあたりになるのかな。とはいえ詩人のマヤコフスキーや演劇のメイエルホリド、映画のエイゼンシュタインなどと比べるとまだまだ認知度は低いのかもしれません。というのも、日本語で手軽に読める評伝が見当たらないんですよねえ。未来派やダダと言った同時代の他国の前衛美術運動全般と比べても、ロシア組は露出が少ない方じゃないでしょうか。
 ロシア・アヴァンギャルドは運動としてひとまとめに語られることが多いんですが、決して一枚岩ではなく、上記4者はもちろんその他の人たちでも、その目指していたところはそれぞれに違っていたはず。そのへんはダダと似ているかもしれません。なので「概論としてのロシア・アヴァンギャルド」ではなく「それぞれの芸術革命」を知りたいな、と思っていたところに本書と出会いました。正確にいえばこの本もロトチェンコの評伝ではないんですが、これまであまり触れられなかった「それまで」と「その後」にも少なからず言及されてるのがいいです。
 
 * * *
 
 ロシア・アヴァンギャルドがもっとも輝いていた時代は、十月革命が起こった1917年を折り返しとする前後3~4年間となるのでしょう。で、その終わりをいつにするのかは人によっていろいろです。研究書をいくつか見ると早い方では1924年のレーニン死去(スターリン政権の成立ならびにトロツキー追放)あたり、遅くて1930年のマヤコフスキーのピストル自殺あたり、もっと遅くても1940年のメイエルホリド銃殺処刑あたりで記述を終えているのがほとんどではないかと思います。
 本書は表題通り、ロトチェンコがソヴィエトという真新しい国家体制をつくるにあたって表現者として、また指導者としてさまざまな局面でどう動いていったかを丹念に跡づけています。大まかな流れとしては、絵画の終焉を宣言し(1921年の三原色シリーズなど)、広告や製品デザインでは情緒的な装飾をブルジョワジーのものとして否定、機能的な生産主義へと向かい、またモンタージュや極端にパースをつけた(ラクルス)写真でヴィジュアル・ショックを生みだすものの内部からフォルマリズムという批判を浴び、やがて国家体制の方向転換に伴って国策プロパガンダを目的としたルポルタージュ作品の制作に携わるようになります。
 
 個人的には、30年代以降について書かれた部分をいちばん興味深く読みました。特に、31年に創刊されたグラフ誌《建設のソ連邦》(文献によって「建設中のソヴィエト」「建設途上のソ連」などさまざまな邦訳あり)について詳しく書かれたものはあまり読んだことがなかったので、貴重です。同誌はたとえば『ロシア・アヴァンギャルド小百科』(タチヤナ・ヴィクトロヴナ・コトヴィチ/水声社刊/2008年)のような事典でも、項目はおろか本文中にも一切触れられておらず、要するにロシア・アヴァンギャルドとは無関係な存在という扱いなんですね。でも実際には、同誌にはロトチェンコやリシツキーも深く関わっていました(『エル・リシツキー 構成者のヴィジョン』(寺山裕策編/武蔵野美術大学出版局/2005年)にも一部図版が収録されています)。いつかそのうち同誌についてのまとまった考察本が出ないかな。できれば日本の同主旨のグラフ誌『NIPPON』や『FRONT』ともからめて欲しいものですが。
 
 ロトチェンコに限らず、ロシア・アヴァンギャルド関係者の個々の評伝を読んでみたい理由のひとつとしては、やはりソヴィエトならではの<国家と個人>の問題が大きく横たわっていることが挙げられるでしょう。冒頭にあげた4名のうち、35年に病死したマレーヴィチと41年に亡くなったリシツキーはともかくとして、タトリンは53年、ロトチェンコは56年まで生きました(ついでながらロトチェンコの妻ステパノヴァは58年没)。彼らが第二次大戦、そして戦後のソヴィエト社会をどのように生きていたのか、そのあたりがとても気になるのです。
 『ロトチェンコの実験室』(ワタリウム美術館編/新潮社刊/1995年)と『ロトチェンコ+ステパーノワ ロシア構成主義のまなざし』(展覧会図録/2010年)には年譜が付いています。ロトチェンコとステパノヴァの出会いを前者は1911年、後者は1914年とするなど記述内容に若干の差異があるのがひっかかりますが、今はそこよりも後者の年譜の最後に目を惹かれます。

1951年、ソ連芸術連盟の組織委員会から、ソ連芸術連盟モスクワ支部の会員資格を承認しないという知らせが届き、連盟から除名される。(図録p.21)
 この除名処分はステパノヴァも同様の扱いを受けていますが、ロトチェンコは54年に、ステパノヴァも最晩年の58年に資格が復活されます。この間、具体的に何があったのでしょう、年譜からは何も読み取れないのがもどかしい。スターリン政権末期のソヴィエト内部のことなので、想像もつかないような事情があっても不思議ではないのですが、さて。
 
 * * *
 
 若き日に絵画を否定したロトチェンコですが、とはいえそれで「絵画」そのものが絶滅するはずもありません。彼自身、晩年ひそかに具象画を描いていたと言われています(マレーヴィチも—当局からの厳しい検閲と弾圧に曝され続けたとはいえ—後半生には農民を主題にした具象画に戻ります)。
 また、ロトチェンコは広告や工業デザインから一切の華美な装飾を切って捨てましたが、彼の撮った写真作品のいくつかからは、美しい幾何学紋様が生みだす豊かな装飾性を感じさせます。
 あるいは1925年のパリ万博で発表された《労働者クラブ》では、余暇の時間を過ごすための家具といいながら、リラックスとはほど遠い、まるで拘束具のような椅子がデザインされています(まあ、そもそも“リラックスする”という発想じたいが無かったんでしょうけど)。
 またあるいは、事実を事実としてルポルタージュするはずの報道写真は、大幅な合成や修正が施され、都合の悪い部分を隠し当局の意図に沿うよう再構成してから出版されます。
 
 このように、ロシア・アヴァンギャルドは、往々にして理念と実践のあいだに決定的なズレがありました。しかも、彼らはそのズレに無自覚か、あるいはむしろ意図していたかのようにすら感じます。
 当人たち自らが率先して全体主義に突き進んでいった局面もあったでしょうし、逆に粛清の恐怖から否応なしに従わざるを得ない局面もあったかもしれません。しかしいずれにせよ、現在の眼から当時の彼らを断罪することにさほど意味はなく、また社会主義だからとか独裁政権下だからという理由で彼らを特殊例とすることにも意味はないでしょう。
 
 本書の最終章で、《建設のソ連邦》誌に毎号掲載された<写真によって理想と現実の境界を見えなくさせるフォト・ルポルタージュ>を<強力な魅惑>と呼ぶ著者は、続いてこう述べています。
 このスターリン時代の「魅惑」を単なるまやかしとして切り捨てることはできない。なぜならば、このような夢はスターリン時代に限られたものではないからだ。(…)技術と合理化によって誰もが物質的な豊かさを享受できる社会を実現することは、資本主義か社会主義かの体制のいかんを問わず、二〇世紀初頭に大衆社会を迎えた近代が見た夢なのである。(pp.302-303)
 西欧諸国やアメリカ合衆国と比べ近代化、工業化に大きく遅れを取っていたソヴィエト連邦にとって、彼らに追いつき、追い越すことは、立場や細かな主張の違いを超えてまさに国を挙げての夢でした。ロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちにとっても、強力な独裁体制を作り上げた政府にとっても、その一点においては共通する大いなる目的だったはず。
 もちろん、祖国を捨てるという選択肢もあり、望むと望まざるにかかわらず国外に亡命した人たちも少なくはなかったのですが(ディアギレフやバレエ・リュスしかり、カンディンスキーやシャガールしかり)、やはりそういった人たちはごく例外でしょう。自分の生まれ育った国を少しでも良くするために走り続けたロトチェンコはじめロシア・アヴァンギャルドたちの、それぞれの人生の結末とその心情に思いを馳せつつ、本書を読み終えました。
  

2015 01 12 [booklearning, design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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