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1913

 
1913
●1913 20世紀の夏の季節
 フローリアン・イリエス著/山口裕之訳
 河出書房新社/2014年12月30日
 ISBN978-4-309-22617-0
 装幀:中島浩
 
 「1913年」と言われて、あーあの年ねと、なんらかのイメージが湧く人というのはそれほど多くないかもしれません。日本では前年に長い明治が終わり、ヨーロッパでは翌年に第一次大戦が勃発します。そんな1913年に起こった出来事を、1月から12月まで各月ごとにわけて記したのがこの本です。
 作者はドイツの新聞の文芸欄などで活躍した方だそうで、そのため内容もドイツ国内の文学や美術関係が大半を占めています。わたしなんかには全くなじみのない名前なんかも注釈なしでばんばん出てくるんですが、それでもかなり面白く読み進められました。
 
 
 上でドイツ方面が主体と書きましたが、たとえば1月の冒頭はこういう話題で始まります——1913年になった瞬間、ニューオリンズの闇夜に一発の銃声が響き渡る。通報を受けた警官が駆けつけ、逮捕。犯人は盗んだ拳銃で新年の祝砲をあげていた12歳の少年だった。日が昇る頃には少年は矯正施設に送られるが、そこでのふるまいもかなり危なっかしいものだったので、施設長は彼の手にトランペットを押しつける。少年は突然おとなしくなり、その楽器を吹き始める——。少年の名はルイ・アームストロング。
 映画のアヴァン・タイトルにでもなりそうないいシーンです。のちにサッチモという愛称で親しまれることになる少年はこのあと、秋になってもう一回だけ登場しますが、それもいい場面です。
 
 本書は、長くて数ページ、短いとほんの1行で終わるさまざまなエピソードをつないでゆくという構成で書き進められます。作者のネタの拾い方と、その並べ方のセンスが実にいいんですね。たとえば同じ1月ですが、フロイトの長めの話題とシェーンベルグについてのやや長めの記述のあいだに、こういう1行がはさまります。
<ところで病気がちといえば、リルケはいまどこにいるのだろう。(p.13)>
 リルケの1913年については2月以降、徐々に詳細が語られていくんですが、のっけのこの1行は個人的にかなりウケました。初登場が不在のシーンから始まるってなにそれ。
 
 映画的…、そう、この本は映画でいう「グランド・ホテル形式」の演出が効いています。
 所属も階級も異なる大勢の人間模様が並列に語られる群像劇。出演者はある程度絞られるとはいえ、総勢何十名というオールスター豪華キャストです。先ほどのルイ・アームストロングのように短い出番ながらも鮮烈な印象を残す役者もいれば、出番は多いけどぐだぐだな人間性にうんざりしてしまう登場人物もいます。本書で主に取り上げられている人物は、上記以外ではオスカー・ココシュカ、フランツ・カフカ、グスタフ・クリムト、トーマス・マン、マルセル・プルーストなどなど。皇帝フランツ・ヨーゼフが登場する場面も印象に残るし、もちろんオーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナントも主要登場人物のひとりでしょう。なにしろ翌年サラエボで彼が暗殺されることによって、第一次世界大戦が勃発することになるのですから。その他チョイ役、カメオ出演まで数えていたらキリがありません。
 
 とはいえ政治方面の記述は極力抑えられていて、政治家が登場する場面でもどちらかというとそのプライヴェートな部分に焦点が当てられています。なのでより「人間ドラマ」ぽく見えるんですね。
 先にも書きましたが作者は芸術方面が得意分野なので、そちらの方が読んでいても楽しい。たとえばこの年ニューヨークで開かれた「アーモリー・ショウ」で、一躍名を高めたマルセル・デュシャンもコンスタントに登場(とはいえ彼はほとんどの場面で<芸術をしない>)。またたとえばディアギレフ率いるバレエ・リュスがパリで初演した『春の祭典』の騒ぎについても当然触れています。(デュシャンがこの公演を観に行っていたという記述があってびっくり。えー、そうだったんだ!)
 他にもピカソとマティスのちょっといい話だとか、ロシア・アヴァンギャルド方面ではマレーヴィチがひょっこり顔を見せるとか、個人的に大好きな方面の話題が多いので楽しいったらありゃしない。
 ちなみに、本書には日本人がひとりも出て来ないのでひとつだけ勝手に補足すると、藤田嗣治がはじめてパリの地を踏むのが1913年8月6日。フジタ27歳のときでした。
 
 当時の芸術の最先端をゆく人たちが数多く登場する一方で、ダダ関係ではデュシャンを除けばゲオルグ・グロッス(ジョージ・グロス)がほんの少し出てくるだけというのがいささか寂しいところ。ま、ダダが華々しく動き出すのは数年のちでして、この時点ではまだ主役を張れる段階ではなかったのも事実なんですが。のちの主役、という点ではヒトラーやスターリンが要所要所に顔を出すのが不気味で良いです。
 本書と同じように、複数の人物を定時観測していくという手法で効果をあげているものに平井正さんの全3冊からなる大著『ダダ/ナチ ドイツ悲劇の誕生』(せりか書房、1993〜1994年)がありますが、奇しくもその第1巻は1913年から始まっています。こちらはヘルツフェルト兄弟やヒュルゼンベック、フーゴ・バルといったチューリヒ〜ベルリン・ダダの立役者たちと、ヒトラーやゲッペルスなどナチス党の面々の1913年が詳しく書かれています。本書と並べて交互に読み比べるのも一興かもしれません。
 
 あ、あともうひとり、1行〜数行の記述がずっと続いてクライマックスで派手な展開を迎える有名な「人物」がいるんですが、ここでは名前は伏せておきましょう。現代につながる「神話化」の、そもそものスタートがこの年だったのか、というのが新鮮なおどろきでした。
 
* * * 
 
 最後に、本書中もっとも印象に残った一節を、ちょっと長めですが引用します。「6月」の章の冒頭部分です。

 今後、戦争が起こることは決してあり得ない。ノーマン・エンジェルはこう確信していた。(中略)エンジェルの説明によれば、あらゆる国々はすでに長きにわたって経済的にきわめて密接な関係にあるため、グローバル化の時代において世界戦争は不可能となってしまっている。エンジェルはさらに、経済的なネットワークと並んで、コミュニケーションやとりわけ経済界おける国際的な結びつきによって、戦争をすることは無意味になっていると述べる。(中略)エンジェルの主張は全世界の知識人を納得させるものであった。スタンフォード大学学長のデイヴィッド・スター・ジョーダンは、一九一三年にエンジェルの著作を読んだあと、次のような偉大な言葉を残している。「いつの世にあっても差し迫ったものと感じられていたヨーロッパの大戦争は、決して起こることはない。銀行家たちはそのような戦争のために金を調達することはないし、産業界が戦争を動かし続けることもない。そしてまた、政治家たちにもそんなことはできない。大戦争が起こることはないのだ。」(pp.209-210)

 どなたもご存じのように、ドイツがロシアやフランスに宣戦布告するのはここからわずか1年と2か月後のことです。
 

2015 02 22 [booklearning] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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