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洛中洛外図三昧でお腹いっぱい!
室町時代から江戸時代にかけて数多く描かれた『洛中洛外図屏風』を一堂に集めた展覧会。あまりの情報量の多さに目まいがしそうでした。
●特別展 京(みやこ)を描く 洛中洛外図の時代
2015年03月01日〜04月12日 京都文化博物館
もちろん美術品でもありますが、やはり第一は歴史史料。なにせかつての日本の中心地だった京都の名所を六曲一双の屏風のなかに凝縮しているので、どの作品も細かいったらありゃしない。どれかひとつを眺めているだけでも軽く半日は眺めていられるくらいなんですが(研究者だったらそれこそ何年もかけて子細に観察し検討していくのでしょうが)、それがこれだけ集まるとそりゃもう。屏風以外のものもたくさん展示されており、それらも興味深く眺めているといつになっても会場を出られません。というか、こちらのアタマが追いつかない。いくつかは別の展覧会で見たこともあるんですけど、一堂に会すると相互の関連とか差異とかが気になって、さっき見たのをまた確認したくなったり。ふたつあるフロアの会場内を、何度となく行きつ戻りつしておりました。
会期はひと月半ほど。さほど長くないにもかかわらず展示は前後期にわかれていて、いくつか展示替えがあります。このボリュームだと、せめてゴールデンウィークあたりまでやってくれたらいいのになあ。
いわゆる名所図会というものは京にかぎらず他の都市あるいは風光明媚な観光名所など各地で描かれてますが、これほど数多く(ごく最近でも新たに発見されていて、これまで確認されているだけで百数十点あるそう。本展にはそのうち一割強が出品)、また長期にわたって(室町後期から江戸後期までおよそ三百五十年間)ひとつの都市を描いた例は他にないのだとか。「洛中洛外図」というのはもはやひとつのジャンル、といっていいのでしょう。そこには独自のルールというか法則性もあって、洛中洛外図の基本的な見方を会場内で解説したパネルがあったのはありがたかった。
対象が政治の中心地だったからこそでしょう、何処を描いて何処を描かないかという取捨選択というか編集がなされています。政権の中枢が江戸に移ってからも洛中洛外図は盛んに作られるんですが、そのころには左隻真ん中に二条城をどーんと置き、対する右隻には秀吉ゆかりの方広寺が描かれるのがフォーマットとなります。ただ時代が下るにつれ当初もっていた政治性が薄れ、名家の嫁入り道具のひとつになったり単なる名所案内的な役割になってゆくのは、ま、しょうがない。なので、やはり室町期から江戸初期あたりの洛中洛外図が観ていていちばん面白い。なんというか、画面の緊張感がまったく違うんですね。
洛中洛外図屏風というとやたら金色の雲に覆われていて、肝心の建物や人物はその中に埋没しているようなイメージがありますが(上の写真、ポスターに使われている作例も画面のほとんどが金ですね)、こういうのも「何を見せ、何を見せないか」というテクニックのひとつなんでしょうか。だから実在の京都の街並みとは距離感が異なってしまうのも当たり前で、「洛中洛外図とはそういうものだ」と納得して見ないと少々混乱してしまいます。
ま、今でもサスペンスドラマなんかで京都が舞台になると、嵐山の渡月橋を渡りながらしゃべっていた登場人物たちが、会話の流れそのままで次のカットでは鴨川べりに腰掛けていたりするので、空間を大胆に無視するっていうのは編集技術のひとつではあるんでしょう。…や、このたとえはちょっと違うかな、どうなんだろ。
作者がはっきりわかっているものから不詳なものまでさまざまですが、わたしが特に目を惹かれたのは室町後期に作られた通称『歴博甲本』と、桃山時代から江戸初期に描かれた岩佐又兵衛作の通称『舟木本』(ともに重要文化財)。ちなみに「洛中洛外図屏風」はタイトルがみな同じなので所蔵する博物館の名前などで呼び分けることがあります。たとえば「歴博甲」の歴博とは国立歴史民俗博物館のこと(歴博からは他に乙本とC、D、E、F本が出品)、「舟木本」の方はもともと滋賀県の舟木家に旧蔵されていたのでこの名がついています(現在は東京国立博物館蔵)。
『歴博甲本』の現物は後期からの展示なのでわたしが訪れた時には実物大の複製品でしたが、ガラスケースの中で平たくされた状態ではなく、床に普通の屏風のように建てられており、間近でしげしげと眺められたのがよかった。なんでもこの作品が現在わかっているうちもっとも古い「洛中洛外図」なのだとか。<かも川>など地名や神社仏閣の名前が書き込まれていて、わたしでもそれなりに読めるのがうれしい。市内中心部を流れる「小川」は<こ川>と書かれてまして、いまは「小川通り(おがわどおり)」という地名で残ってるけど昔は読み方が違ったのね、などという発見もあります。
『舟木本』の方は、とにかく登場人物が多いのが圧倒的。他の洛中洛外図では建物が主役で人間はそのあいだを邪魔しないよう配されていますが、こちらはその街に暮らす人々こそが主役だといわんばかりに溢れかえってます。貴人、僧侶、武士から商人、遊女、物乞い、河原者までそのポーズや表情も多種多彩で、まあよくもここまで描き込んだもの。さすがは岩佐又兵衛、その熱量の激しさにやられました。数ある屏風のなかでも別格の雰囲気を漂わせていた一品です。
狩野永徳が描き織田信長が上杉謙信に贈ったという、もっとも有名な『上杉本』は米沢市の上杉博物館が所蔵する原本ではなく、歴博にある複製の方を展示。じつに凝ったつくりで、複製とはいえこちらは直置きではなくガラスケース内に恭しく飾られていました。
洛中洛外図以外で印象に残ったものとしては、一酔斎泉蛙(いっすいさい・せんな)という浮世絵師の作による『天保踊図屏風』『蝶々踊図屏風』(ともに天保十年/1839年頃)。天保四年から足かけ六年にわたって続いた飢饉がようやく終息をみせ、安定した世の中が戻ってきたというので十年三月頃に<豊年踊り>が大流行。その様子を描いた愛らしい屏風です。豊年踊りというと稲作の仕草を取り入れた踊りというイメージがありますが、この屏風に見るそれはもっとアナーキーなのがいいです。狐や天狗の面をかけたり、蟹や臼、鋏などのかぶり物(!)で踊ったり、大原女もいれば角力もいる、老若男女あらゆるひとたちが一心不乱に踊り狂っている様がじつに楽しげです。それにしても、この手の踊図でいつも不思議なのは楽隊が描かれてないことなんですが、ひょっとして当時は一切の音楽なしで踊っていたんでしょうか? まさかねえ。
先にあげた『歴博甲本』と、これも岩佐又兵衛かその周辺の作といわれている『誓願寺門前図屏風』のふたつは、大きなタッチパネルディスプレイで自在に観察できるシステムが用意されてました。このうち『誓願寺〜』については展覧会期間中だけですが、ウェブ上でも配信されています(→詳しくはこちら。上の画像はそのキャプチャ画面です)。『舟木本』とは比べものにはなりませんが、それでも描かれた人物たちがいちいち面白く、観ていて飽きません。
これは立命館大学と京都文化博物館との共同研究の一環だそうですが、こういうサービスは期間限定といわずパーマネントに公開してほしいなあ。
2015 03 15 [design conscious] | permalink Tweet
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