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ズレを楽しむ—赤瀬川原平展
●赤瀬川原平の芸術原論展 1960年代から現代まで
千葉展 2014年10月28日〜12月23日 千葉市美術館
大分展 2015年01月07日〜02月22日 大分市美術館
広島展 2015年03月21日~05月31日 広島市現代美術館
回顧展としては1995年に名古屋市美術館で開催されたのに続き2度目ということですが、前回展はなにしろあの阪神淡路大震災の年。名古屋まで出かける余裕もなく終わってしまいました。
今回は千葉・大分・広島の3会場を巡回する大がかりなものです。関西圏がないのがちと残念ですが、今度こそ見逃してはならぬと広島まで行ってきました。なんでも出品総数約550点とのことで、ボリュームもさりながら密度の濃さもただごとじゃない。マッチラベルコレクションとか漫画の原画などじっくり見たい作品も数多く、たいへん充実した展覧会でした。いやあ、行ってよかった。
* * *
わたしがこの人のファンになったのはいつ頃だったかな? 70年代のパロディ・ジャーナリズム(ガロに発表された漫画や櫻画報、宮武外骨方面)をリアルタイムで面白がるにはまだ幼なかったし、ましてや60年代のネオ・ダダやハイレッド・センターなど前衛芸術家としての活動や千円札裁判のことは歴史上の出来事です(裁判が終わったときの新聞記事はうっすらと記憶にありますが)。きちんと著作を読むようになったのは1980年代も後半に入ってからだったような。たぶん『超芸術トマソン』(白夜書房/1985年)がきっかけで、その後は路上観察関係を中心にしつつ尾辻克彦名義の小説をいくつか、それから『新解さんの謎』(文藝春秋/1996年)や『我が輩は施主である』(読売新聞社/1997年)『老人力』(筑摩書房/1998年)といったエッセイ群をむさぼるように読みあさり、今世紀に入ってからだと日本美術史家の山下裕二さんと組んだ日本美術応援団シリーズ(2000~07年)あたりまではだいたい追いかけていたかと思います。
当時せっせと買っていたエッセイや小説の大半はずいぶん前に手放してしまったけれど『トマソン』や本展のタイトルにもなっている『芸術原論』(岩波書店/1988年)、『千利休 無言の前衛』(岩波新書/1990年)などは今でもときどき引っぱりだして再読しています。
わたしにとってはこのあたりだけで充分だったので、赤瀬川原平その人自身の全体像にはさほど関心を持っていなかったんですね。なので松田哲夫さんによるロングインタビュー『全面自供!』(晶文社/2001年)も発売後すぐに手に入れていたものの長らく(十数年も!)ほったらかしで、今回の回顧展を機にようやく手に取っているところ…ってどんだけ寝かせてるんだ。
そういうわけで、この展覧会は「自分がこれまであまり知らなかった赤瀬川原平」にたくさん出会えたのがなにより楽しかった。活動が多方面にわたるからバラエティに富んでいて、飽きる暇もありません。
ごく若い頃の作品は初めて観るものばかりなのでとても新鮮。ゴムチューブシリーズや梱包シリーズなど一部の作品は最近のリメイクなんだそうですが、そりゃあこんな大きな作品、当時は保管しておく場所なんてなかったでしょうしねえ。
かの「千円札」で警察の取り調べを受けたのが1964年、赤瀬川26〜7歳ごろ(最高裁の上告棄却により刑が確定したのは1970年、33歳)。今だったらネットでちょこっと炎上して終わりそうな事件が、作家仲間や美術評論家など大勢の関係者を巻き込んで日本美術史に残る一大イベントになったのは、もちろん時代性もあるでしょうけどこの作家ならではの“人を集める才能”によることがいちばん大きかったようにも思います。
赤瀬川原平は「トマソン観測センター」「ロイヤル天文同好会」「路上観察学会」「ライカ同盟」など生涯に数多くの<組織>を結成してました。基本的に少人数でごく私的なグループでありながらいかにも公的っぽい勿体ぶったネーミングであること、言い出しっぺであるにも関わらずどのグループでも自身が一度もその長になることはなかったのが興味深くもあります。
千円札事件の発端ともなった個展(1963年)の案内状に「赤瀬川原平CO., LTD.」と刷ってあるのが面白い。会社組織を装いながら、個人事務所でもなければ他の社員を抱えていたわけでもない、ただ個人名を会社名っぽくすることのヘンテコさ(住所に「藤谷方」とあるから下宿だったんでしょう)。そんな「名前と実態のズレ」を面白がることを、かなり早い時期からやっていたのか。
思えば「意味をずらす」「価値観をずらす」ことを、この作家は生涯続けていたのかもしれません。美術作品も文章作品もそして本人のキャラクターもどこかで「ズレ」ていて、そこを面白がるのが赤瀬川作品の楽しみ方なのでしょう。
* * *
大小さまざまな作品群のなかでとくに印象に残ったのは、前半だと千円札をタタミ一畳分もの大きさに拡大模写した『復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)』(1963年)。鉛筆で書かれた方眼が残っていて模写の過程が推測できるのもいいし、なにより丁寧に描かれた線の一本一本のなんと緊張感にあふれたことか。こればかりは現物を詳細に観察しないとわからないと思います。写真に撮って図録などに小さく印刷されてしまうと実物の面白さが損なわれるってのは、まあ一点もの美術作品の宿命ではあるんでしょうけど、ことこの作品に限っては面白さが損なわれるどころではなく、全く残らないのが凄い。なにせ縮小しちゃうとただの千円札だし。
後半では路上観察写真をいくつかを一枚のパネルにまとめた『公務のドローイング採集』『路上の日蝕観察』(ともに1988年)あたりがレイアウトといい色のバランスといいとてもキレイで、さすが美術家だなあと。さっきの巨大千円札模写や櫻画報などのペン画作品とかもそうなんですが、実物や原画を見ると仕上げの丁寧さが腕のいい職人っぽくて、すごくいいんですね。
オブジェからペン、鉛筆、写真までさまざまな手法で制作してますが、油彩画ではいちばん最初に展示されていた学生時代の作品と、最後の方にあった印象派ふうの風景画がすてきでした。画風も対象もまったく異なっているんですが、特に後者。力の抜け加減というか軽みがなんともいえない味で、なんでもない絵なんだけどなかなかこうは描けないだろうなあ。
広島展開催記念として、オープンの翌日に松田哲夫さんと山下裕二さんによるトークイベントが行われました。出品作品をスライドで見ながら解説をしていくというもので、各作品の裏話や思い出話満載の楽しいひととき。特に赤瀬川さんが亡くなった2014年10月26日当日のことなどは長く間近で接してこられたおふたりならではでしょう。予定の2時間を大幅に超えるたいへん聴き応えのあるものでした。これ、どこかで活字にならないものかしら。
この席上で話題になってましたが、本展の図録が美術館連絡協議会(美連協)の2014年優秀カタログ賞に輝いたそうです(アートディレクション;大岡寬典+宮村ヤスヲ/デザイン;内田圭)。千葉会場ではカタログが早々に売り切れたので、大分展には関東からの注文が相次いだとのこと。広島展用に取っておいた分も残りわずかで、松田さんいわく「たぶん3月中に売り切れるだろう」とのこと。増刷とかしないのかな?
それと、これも松田さん情報ですが、これまで単行本としては未刊行だった小説や漫画作品の出版企画が進行中だそうです。会場で原画が展示されていたマンガデビュー作『お座敷』(1970年)がようやく本で読める! 刊行が待ち遠しいですねえ。
2015 03 28 [design conscious] | permalink
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