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トーヴェ・ヤンソンの<自画像>

 
Moomin_jansson
 
●トーベ・ヤンソン生誕100年記念 MOOMIN! ムーミン展
 東京展  2014年04月16日〜2014年05月06日 松屋銀座
 岩手展  2014年05月10日〜2015年06月08日 Nanak
 鳥取展  2014年06月14日〜2014年07月13日 米子市美術館
 北海道展 2014年07月23日〜2014年08月04日 丸井今井札幌本店
 広島展  2014年08月08日〜2014年10月26日 広島県立美術館
 山形展  2014年09月13日〜2014年10月26日 米沢市上杉博物館
 大阪展  2014年12月11日〜2014年12月25日 あべのハルカス近鉄本店
 宮崎展  2015年01月02日〜2015年02月15日 みやざきアートセンター
 岡山展  2015年03月20日〜2015年04月19日 岡山県立美術館
 愛知展  2015年04月25日〜2015年05月17日 松坂屋美術館
 
●生誕100周年 トーベ・ヤンソン展〜ムーミンと生きる〜
 神奈川展 2014年10月23日〜2014年11月30日 そごう美術館
 北海道展 2014年12月13日〜2015年02月15日 北海道立帯広美術館
 新潟展  2015年02月28日〜2015年05月06日 新潟県立万代島美術館
 福岡展  2015年05月23日〜2015年07月05日 北九州市立美術館分館
 大阪展  2015年07月25日〜2015年09月27日 あべのハルカス美術館
 
【展覧会図録】
写真上;《ムーミン展》デザイン;松永路
写真下;《トーベ・ヤンソン展》アート・ディレクション;祖父江慎
 
 ヤンソン(1914-2001)生誕100年ということで、日本各地でふたつの展覧会が巡回してました。なかでもずっと楽しみにしていた<トーベ・ヤンソン展>は大阪会場が最後ということで、ずいぶん待たされたものです。で、いま開催データを書き写していて気付いたんですが、両展覧会を同じ場所でやったのって大阪だけだったんですねえ(厳密に言うと近鉄百貨店の催事場とハルカス美術館という違いはあるけど、まあ同じ敷地内だし)。
 <ムーミン展>の方は標題通り、徹頭徹尾ムーミンの世界が繰り広げられていて楽しいものでした。対する<トーベ・ヤンソン展>はその作者の生涯を追ってゆくというものですが、こちらにもわりとムーミン成分が多め(とはいえ重複している出品作品は意外なほど少なかったような)。まあ、一般的にはムーミンの作者とでしか知られていないので、代表作が全面に出てくるのは当たり前ではありますが。
 
4075 今回の<ヤンソン展>にはいくつもの肖像画が展示されているのが注目ポイントでしょう。そのうち自画像は還暦を超えてから描かれたものを含め6点。いずれも強い印象を与える作品です。他に、1930年代のヤンソンの師であり当時の恋人でもあったサム・ヴァンニが描いた若きヤンソンの肖像画とスケッチも並んでいました。いずれの作品でも、まっすぐな視線の強さが目を惹きます。
 若い頃に自画像を描く画家はたくさんいますが、年をとってからの自画像というのはあまり見かけません。その意味でも1975年に描かれた、自身最後の自画像には興味深いものがあります。作品横に付けられた解説によれば、しばらく絵画制作から離れていた作者が久しぶりに絵筆をとって描いたものだということです。
 
 トーベ・ヤンソンはごく若いころから——生まれた瞬間からすでに——芸術家になることに自覚的でした。父母がともにそうだったから、という理由がもっとも大きかったんでしょう。油彩画を学び、個展を開き、芸術家への道を着実に歩んでいく一方で、金銭を稼ぐためにイラストレーションや広告の仕事もごく若いころからこなしていました。なにしろはじめてイラストが雑誌に掲載されたのが14歳というから驚きです。
 初めて自分の絵が雑誌の表紙を飾ったときは思っていたのとは違う色の使い方をされたのが悔しくて、以後出版社や印刷所に対して細かくディレクションをするようになったそうで、ムーミンシリーズが世界的大ヒットとなってからも出版社相手の交渉ごとからファンレターへの返信まで(もちろん日本でのテレビアニメ放送に関する交渉も)ぜんぶひとりでやっていたというから、その働きぶりは相当なもの。結果、自身はずっと画家でありたいと願っていたにもかかわらず、油彩を描く時間はどんどん削られていくことになります。
 展覧会にあわせて邦訳が出版されたヤンソンの詳細な評伝『トーベ・ヤンソン —仕事、愛、ムーミン—』(ボエル・ウェスティン著/畑中麻紀・森下圭子共訳/講談社/2014年11月25日初版/原著は2007年刊)は、1975年のヤンソンについてこう記しています。

(…)トーベはブランクを痛感し、また、この一年のトラブルや過労による疲れを自覚した。この春はパリで仕事に専念しようと思って来たが、とても無理ではないかと感じた。気分は上向かなかった。ようやく描き始めたものの、行き詰まり、それでも描こうと試行錯誤した。(…)
 トーベは常に意欲があってこそ、なのだ。でも、とにかく描くしかない。選択肢はひとつだったのだ。表現者としての想いがトーベを突き動かし、五年のブランクを経て絵筆を握らせた。結果がどうであれ、かじりついていくしかないのだ。(同書p.568)
 絵描きとしての執念、なのでしょう。ヤンソンの仕事は児童文学以外にも小説やエッセイ、テレビやラジオドラマの脚本といった「言葉の世界」へ大きく広がっていたけれど、作家自身はずっと画家でありたいと思い続けていました(上の引用中の<この一年のトラブル>というのは長年つきあいのあった出版社との契約関係の問題)。75年に描かれた最後の自画像は、そういうひとの手によるものなのです。この作品は、<結果がどうであれかじりついた>成果であり、画家としての集大成とでもいうべき意味が込められているのでしょう。
 満員電車並みに混雑する展覧会場をなんとか遡って、もういちど若い頃の自画像を見直します。すると、これらに描かれたまっすぐな視線はそのまま作家自身の意志の強さをあらわしていることに気付きます。なによりも「独立した自由な芸術家」であり続けることへの強い意志。ヤンソンが終生貫いたこの信念は、両親から受け継いだ気質でもあるでしょうし、あるいは青年期が戦争の時代とぴったり重なっていたこと(なにしろ生年の1914年といえば第一次世界大戦が勃発した年だし、フィンランドは17年に帝政ロシアから独立したものの以後も内戦や対ロシア/ソヴィエトとの領土戦争など、政情は常に不安定だった)からの影響もあるかもしれません。
 国家から家族まで、あらゆる共同体の基点として個人の尊厳と権利ならびに義務をおく、いわゆる「個人主義」の思想は、ヤンソン自身の生涯はもとより彼女が産みだした膨大な作品のはしばしに認められます。そのもっとも特徴的な、いわば象徴とも言うべきポイントがこの「まっすぐで強い目の表現」ではないでしょうか。ムーミンのキャラクターでいえばミイがその代表ですが、主人公であるムーミントロールがしばしば見せる不安げな表情や、スナフキンのいつも遠くを見つめている瞳、おしゃまさん(トゥーティッキ)のすべてを見通したような眼など、どのキャラクターも目の表現がとても切実なリアリティを持っていることに改めて気付かされます。トーヴェ・ヤンソンは、ムーミンシリーズに限らずあらゆる作品において常に自分の<自画像>を描き続けていた作家だったのかも知れません。
 
 * * *
 
 <誰からも愛されたムーミンの作者>という称号はこれからも変わることはないでしょう。しかし、トーヴェ・ヤンソンという「20世紀を闘い抜いた芸術家」としての総合的な見直しは、今回の生誕100年記念展を機にさらに進んでいくことと思います。
 今から10年前の2004年に全国5会場で開かれた《トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の素敵な仲間たち展」》(そのときの感想は→こちら)では、雑誌《GARM》に掲載された風刺画作品がそこそこ多めだったので今回もと期待していたんですが、そのあたりはちょっと分量が少なめだったのが残念。ちなみに、当時の展覧会では解説文や年譜に至るまでムーミン以外の小説作品については一切触れられていませんでした。今回も——少しは言及されてるとはいえ——やはり<文学者としてのヤンソン>にはあまりスポットが当てられていません。そういった点も含め、いつの日かもっと本格的な回顧展が日本で企画されることを願っています。
 

2015 08 02 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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