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「琳派」としての田中一光

 
Rinpa_ikko
京都dddギャラリー第204回企画展
DNPグラフィックデザイン・アーカイブ収蔵品展Ⅶ
20世紀琳派 田中一光
 
2015年08月18日〜10月29日 京都dddギャラリー
 
 
 田中一光の業績をまとめた展覧会は、2013年1月に奈良で見て以来です(そのときの感想は→こちら)。このときは出品作品のバランスの問題なのか、いまいちピンと来なかったんですが、今回のはかなり見応えがありました。というのも、「現代の琳派としての田中一光」というコンセプトが芯を通っているからでしょう。これで入場無料というのだからありがたい。
 
 展覧会の監修に永井一正、木田安彦、山下裕二という三人の名がクレジットされてます(このうち木田さんは、展覧会がはじまる直前に惜しくも亡くなられました。合掌)が、理論的バックボーンとしては山下さんに依るところが大きいでしょう。導入部をはじめ、ところどころに差し挟まれた解説文がしっかりしているのでたいへんわかりやすかった。
 図録には他に各監修者のインタビューや対談、田中一光がかつて書いた琳派についての文章の再録、さらに現代を代表するグラフィック・デザイナーたちの琳派についてのコメントなども載っていて、こちらも読み応えがあります。たとえば、永井一正と山下裕二の対談が面白くて読ませます。

(永井) 一光さんが日本の伝統美術に関心を持ち始めるのは、もう少し後のことでしょうね。なかでも琳派に傾倒するようになったきっかけとしては、東京国立博物館で開催された「琳派展」(1972年)が大きかったと思います。(「対談 日本デザインの源泉としての琳派」図録p.90)

 田中一光は1950年代半ばからデザイナーとしてのキャリアをスタートさせ、60年代にはすでに世代を代表するトップランナーのひとりと目されていました。また、日本の伝統という点からみると代表作のひとつである「産経観世能」の告知ポスターシリーズはすでに50年代から続いています。なので、永井さんのこの指摘(琳派に傾倒するのは72年以降)はちょっと意外ではあります。しかし、この発言を受けて山下さんが続けます。
(山下) いまおっしゃった1972年の「琳派展」は(中略)非常に画期的な大展覧会で、「琳派」というネーミングが一般的に定着するのもその展覧会以降なんです。それまでは「光琳派」や「光悦流」などいろんな呼び方をしていました。(中略/「琳派」という)呼び名を獲得したことによって、日本の美意識を象徴するものというイメージが急に広まっていったところはあるんじゃないかと思います。(同上)

 なあるほど。今でこそ「琳派」と言われて、本阿弥光悦や俵屋宗達から尾形光琳・乾山兄弟を経て酒井抱一や神坂雪佳に至るまでの流れがすっと思い浮かぶけど、そういうイメージが一般的になったのは1972年の「琳派展」からなのか。意外に新しかったのね。
 
 
 それで思い出すのは、以下の一節。日本画家の加山又造がかつて「現代の琳派」と呼ばれたことに対して語ったものです。
私のことを人は「現代の琳派」だと言うが、私自身は琳派をやっているという意識はない。ただ、日本の伝統の中にある、おもしろい形や美しい色を自分の感覚で新たに再現してみたい、と常に思って描いている。光琳だって同じだったと思う。元禄当時には、おそらく光琳模様に似た伝統的なデザインがたくさん散らばっていたでしょう。それをうまく掬い上げ、集大成したところに彼の偉大さがあると思う(「琳派とは何か」村重寧/『国際シムポジウム報告書 琳派 RIMPA』東京国立近代美術館編/発行:ブリュッケ、発売:星雲社/2006年4月/ISBN4-434-07751-1/p.15)

 「琳派」は家系や師弟関係の中で伝承されるものではなく、<私淑により継承された流れ>だと村重さんは指摘し、上の加山さんの話を受けて<今日(二一世紀初頭)の時点で、「琳派」を作る——定義づけ、概念をこしらえる——のは、(作家本人ではなく)我々の仕事>だと結論づけています(同上書p.16)。
 
 整理すると、「琳派」というのは後世の第三者が付けるネーミングであって、当事者にはっきりとした自覚があるわけではない。ただ本阿弥光悦以来、日本美術のなかには常にある一定の好みというか美意識の傾向があり、そこに惚れ込んだ人たちがそれぞれの時代で過去の遺産を引用、自分流に解釈しアレンジした上で、また新たな美を創造していった。その大きな流れの中に、現代でいえばたとえば加山又造がいただろうし、今回「20世紀琳派」というコンセプトでまとめられた田中一光もまた、そんな歴史文脈の中に位置付けられる…ということになるかと思います。
 

 辻惟雄さんは著書『日本美術の歴史』(東京大学出版会/2005年12月/ISBN4-13-082086-9)の中で、田中一光について<琳派や日本美術の遺産を自己の創作に生かしきったデザイナー>としています。今回の展覧会を監修した山下さんはここからさらにもう一歩踏み込んで、こう書いています。

 では彼は、琳派から影響を受けたデザイナーとして後世に伝えられる存在なのだろうか。そうではなく、彼こそ、20世紀における琳派の一員なのだと思う。なぜなら、そもそも、琳派の作家たちが、画家というより、デザイナーだったのだから。(「そもそも琳派がデザイナーだった」図録p.6)

 日本美術はもともと純粋美術と装飾美術の境目があいまいで、<装飾美術=ちょっと周辺のもの>という西洋流・近代流の美術観とは異なります。とはいえ田中一光を「琳派」と呼ぶとなれば、装飾美術よりもっと周辺的なものとして捉えられがちな「広告・宣伝美術」までをも含むことになり、従来の美術史的発想からすると少し発想しにくいことかもしれません。けれども誰あろう山下裕二さんが提唱することで、これがなかなかの説得力を持つことになります。本展の開催意義は、おそらくこの一点にあるでしょう。
 
 
 
 最後に時事的な話題をひとつ。本展の展示構成は、2020年東京オリンピックのエンブレムの件でいちやく渦中の人となった佐野研二郎さんが担当しています。彼も図録にコメントを寄せていて、<(今回の仕事を依頼されるまで)正直にいうと恥ずかしながら琳派のことをあまり知らなかった(p.53)>と書いています。例の作品が盗用かどうかは別にしても、彼が海外のどこかのデザインではなく、日本の古典をもっと深く勉強したうえで制作に臨んでいたら、あの問題は全く違った展開を迎えていたかもしれません。もういちど、山下さんの発言を引きます。
(山下) 琳派の系譜を考えてみると、私淑と言っても先達にひれ伏すのではなく、もっと積極的な引用なんです。100年前のエッセンスを取り込んで血肉化し、さらにそれを濾過して抽出することで新しいものを生み出す。一光先生のやりかたもまさにそれだと思います。また彼はその濾過の仕方も極めて上品なんですね。よくできたすまし汁のように、雑味を除いたうまみだけをエッセンスとして抽出している(笑)。(前出対談/図録p.91)

 

2015 08 23 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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