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春画を美術館で
●春画展
東京展 2015年09月19日〜12月23日 永青文庫
京都展 2016年02月06日〜04月10日 細見美術館
昔から春画は画集やムック本などいくつも出版されてるし、今さらタブーっていうほどでもないんじゃないの、とか思っていたんですが、国内の美術館や博物館といった公的機関での展覧会開催となると前例がなかったそう。今回の春画展も2年前に大英博物館が開催し話題を集めた展覧会を受けてのものなんですが、なかなか場所が決まらない。ようやく名乗りをあげたのが永青文庫で、18歳未満入場禁止という条件付きの開催です。…ということもあって、概要が発表されたとき「きっとここ1カ所だけだろうなあ」と思い、カレンダーとにらめっこして9月の連休中に行こうと決意。宿は早めに予約し、新幹線のチケットも無事に確保して、さてあとは現地に向かうだけ。その日が来るのを心待ちにしていたんですね。ところが、出発の前日だったか前々日だったか、ふと目に入った“春画展、京都でも開催”のニュース。な、なんですとー!
地元でやるならわざわざ遠征しなくてもよかったのにぃ。軽くショックは受けたものの、まあ他に観ておきたい展覧会もあったんだし、と気を取り直して京都駅へ向かいます。
前日に他の展覧会を観て、さて当日の朝。どうせ大混雑になるんだろうし、早めに動くに越したことはないだろうなあ。ということで開館の45分ほどまえに永青文庫に到着しました。もちろん入り口は閉まってます。周辺にはまだ誰もいないし、ぼーっと突っ立っててもしょうがないので近所の自販機でコーヒーを買い、あたりを少しぶらぶらして20分ほど時間をつぶす。そろそろいいかなと再び現地に戻ったら、もうすでに数十人が列を作って開場を待ってます。わ、いつの間に。
あとから思えばオープン直後よりも、少し時間をずらした方がまだよかったのかもとも思いました。中に入っても満員電車並みの人の多さで、なかなかガラスケースの前に立てません。順番通りに観るのではなく、空いているところから自由にご覧くださーいと係員から声が飛ぶので、右から見ていく人と左から攻めていく人が混在して何度もぶつかりそうになったり。まあいろいろありましたが、なんとか全部じっくりと観ることはできました。
* * *
いちばん古い作例は平安時代からあるそうですが、やはり最盛期は江戸時代になるのでしょう。あけっぴろげな性表現をみて「江戸時代はおおらかでいいねえ」「それに比べて今の日本は」などと憤慨する向きもあるようですが、それはちょっとどうなんだろ。
江戸時代でも春画に対する規制はあったし、たとえそれが<表向きのものであって有名無実>であっても、「よろしくないもの」という建前は社会通念としてあったでしょう。春画が半ば公然のものとして広く流通していたことは事実なのかもしれませんが、一方で厳しい取り締まりが何度もあったこともまた事実。
しかし、天保の改革によって春画・艶本の出版は多大なるダメージを受けることとなる。当時人情本の人気作者として活躍し、艶本も手がけていた為永春水(1790〜1884)は厳しい取締りによって処罰された一人である。(中略)版元は罰金、板木は焼かれ、春水は手鎖の刑となる。この取締り以降、歌川国貞(1786〜1864)や国芳など一級の絵師達が春画・艶本の制作に携わることはほとんどなくなり、衰退の一途を辿ることになる。(「春画・艶本と規制」石上阿希/公式図録p.576)
ジャンルの衰退を招くほどの厳しい規制もやっぱりあったと。ま、そりゃそうでしょうな。
江戸時代に比べて現代日本の性表現がことさら厳しくなったのか、逆にとんでもなく緩くなったのか。わたしにはよくわかりません。<お上の規制>どうこうより、一般常識としての倫理観や美意識なんて時代が変わると簡単に変わるもの。現代日本だって、数百年のちの未来人からみれば「昭和・平成時代のニッポンって、とてつもなくエロな時代だったんだ」と呆れられるかもしれません。数百年前の春画の性表現が今の目からみてずいぶんあけっぴろげに見えるからといって、かわりに他のところでその時代なりの別のタブーがあったんじゃないかなとも思いますし。
そういえば大英博物館展では女性客が多かった、みたいな話をどこかで耳にしました。英国の事情は知りませんが、個人的な経験則から言うと日本で美術展に足を運ぶのはもともと女性(それも中年以上)が多いように思います。それからすると、わたしが訪れたときの春画展は他の展覧会とそれほどの違いはなく、強いて言うなら若い男性グループが(いつもより)少し多めだったかな、という程度。欧米人と思われる人たちも多めでしたが、やはり日本美術ものだと外国人率は高くなりますね。
* * *
今回の春画展でわたしが楽しみにしていたことのひとつは、日本人の身体がどう描かれているか、ということでした。昔の日本人の裸体像がいっぱい見られるんじゃないかと。
ところが、フルヌードが描かれている作例は、意外なほど少なめでした。多少乱れていても服は着ていて、着物の柄も隅々まできちんと美しく描かれている。そして、その柄と同じかそれ以上に細やかに交合部が描かれている。大半の春画はそういうものでした。裸体があっても、西洋風というか古代ローマ彫刻みたいな引き締まったアスリートっぽい身体からはほど遠く、なんだかぽてっとしている。どちらかというと「だらしないカラダだなあ」という印象を受けます。
創作物だからこそ「いい身体」を見たいってのは、古今東西わりと普遍的なテーマではないかと思ってたんですよね。ということは、当時のひとたちにとってはこういうのこそが「理想のいいカラダ」だったのか。いや、あるいはそもそも「理想の身体」って概念が希薄だったのか、あったとしても基準が違っていたのか。
《ひらがな日本美術史》の橋本治さんは、東アジア美術には伝統的に「裸体画」がないと指摘した上で、こう書いています。
「衣食足りて礼節を知る」の中国人にとって、裸になった人間の肉体というのはどうでもいいもので、その上を飾る衣装の方が重要だった。「日本人は性的に淡泊だ」を言いたがる日本人も、結局はこちらだろう。きちんと着るべきものを着ているのが礼儀正しくて、裸でいるというのは「下賤の者」でしかなかったのだ。そんなことを考えていれば、肉体というものはどっかに行ってしまう。衣服を脱いで裸になって始める性行為は、“いかがわしいもの”になってしまう。(中略)我々は中国渡来の儒教道徳のおかげで、「まじめな人間ほど肉体性を軽視する」ということになってしまったのだ。(その三十一 まざまざと肉体であるようなもの/《ひらがな日本美術史2》p117/新潮社刊/1997年8月)
注目すべきすばらしい肉体ということでいえば、たとえば運慶がいるじゃないかなどと思いますが、神仏像の肉体表現っていうのはまた別なのかな。「下賤の者」の裸体なら絵巻物とかで見かけますが、高貴なひとたちのそれは確かに覚えがありません。なにしろ春画でさえろくに脱がないのだから、他の題材で脱ぐはずがない。
実際には上流階級だからといっていついかなる時でも絶対に<服を脱がない>ままだったわけではないと思いますが、パートナーに肌を多くさらすことは彼らの美意識にはあまり沿わず、したがって絵の題材にもなりにくかった…のでしょう。結果、春画のなかの彼ら彼女らはほとんど服を脱ぐことなく、局部の露出だけがやたら強調されることになります。
先に引用した橋本治さんの《ひらがな日本美術史》には春画をとりあげた章がもうひとつあって、そちらは〈その三十 科学するもの〉という章題です。なるほど、言われてみればまるで医学図鑑かなにかのように克明に「その部分」を描写している作品の多いこと多いこと。ハイパーリアルって呼ぶのが適切かどうかわかりませんが。というかどの絵もかなり誇張(美化)された描写ではありますが。
つまりは「理想の身体」ではなく「理想のパーツ」を描くことの方が、春画にとってはより重要だったのかなあという気もします。全体のプロポーションではなく、顔や着物の柄といった各部分にこそ絵描きがもっとも力をいれていたんではないか。春画なら当然、その「パーツ」のひとつとして性器がでてくるわけで、だからこその技巧を凝らした細密描写なんでしょう。
…まとまりもなにもないですが、ともあれ<日本人は身体をどう描いてきたか>を知る上で、これはまたとない貴重な展覧会であることには間違いないかと思います。
* * *
もとより人間のもっとも根源的な行為が主題となっているので、めでたい縁起物から下世話なスキャンダルものまで、およそあらゆる展開が可能なのが春画の面白さであり奥深さ。受容のされかた、消費のされ方だって千差万別・種々雑多にあったんだろうことは簡単に想像できます。そりゃ、いくら規制されようが完全に廃れるってことにはなりませんわね。
北斎や歌麿などのビッグネームが手がけた作品はさすがに構図といい表情といい見応えがあるし、それ以外にも趣向や技法を凝らした作品がたくさん並んでいたので、すっかり大満足しました。展覧会は前・後期制で都合4回の陳列入れ替えがあるとのこと。東京展ではとりあえず前期を観られたので、京都展の方は後期に行ってみようかな。

2015 09 24 [design conscious] | permalink
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京都展行ってきました。こちらも会場狭く人多かったけど全部見ました。地元意識をくすぐったのが「京都限定」の作品…上方文化の紹介を兼ねてとのことですが、後期も見に行く?そして今日買えなかったグッズを買いたい?
posted: はぐれダイバー旅情篇 (2016/02/20 19:21:10)