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織部と琳派の400年

 
                              そして利休!

                       わびまみれでもう飽いたわ!

                       日の本には「雅び」という
                         艶やかな美もあるのだ!

                               のう幽斎!
      ――山田芳裕『へうげもの』第6巻(2008年3月刊・講談社)より

 
Oribe_400
●没後四〇〇年 古田織部展
 東京展 2014年12月30日〜2015年01月19日 松屋銀座8階イベントスクエア
 広島展 2015年03月02日〜04月12日 奥田元宋・小由女美術館
 滋賀展 2015年10月10日〜11月23日 佐川美術館
 
Rinpa_400
●琳派 京(みやこ)を彩る
 2015年10月10日〜11月23日 京都国立博物館
 
 徳川家康が、謀反の疑いで古田織部に切腹を命じてから400年。
 同じ年、家康は本阿弥光悦に京都洛北・鷹峯に土地を与えました。この「光悦村」がのちに〈琳派〉と総称される“日本の美意識”のルーツである、とされています(ただし、徳川幕府側には鷹峯の下賜に関する記録はなく、鷹峯の芸術家村というのは単なる伝説である、という説もありますが)。
 方や死、方や誕生ですが、ともに400年ということで、記念する展覧会が開かれています。今回の古田織部展は東京、広島を巡回したあと滋賀で最後の展覧会。琳派展の方は他に巡回の予定が(今のところ)ない、京都だけの展覧会。たまたまの偶然か、それともわざわざ合わせたのかは知りませんが、両展の会期がぴったり重なっているので、これはもうふたつを合わせて観に行けと言っているようなものでしょう。というわけではしごしてきました。
 
 京博の方は毎度おなじみの大行列が予想されるので、まずは朝いちばんに佐川美術館へ。ゆっくり織部の世界を楽しんだあと、午後から京博へというプランを立てました。時系列的に考えても順番通りですしね。京博は午後からでも混雑してましたが(わたしが着いた午後1時すぎで20分待ち、そろそろ帰ろうかという3時半ごろでも40分待ち)、それでも朝イチよりかはいくぶんましと思われます(午前だとおそらく1時間以上待ちだったはず)。なのでスケジュールの立て方としてはほぼ完璧! だったんですが、見て回っている途中でどっと疲れが出て、館内の椅子でしばらくぐったりしてしまったことだけが予想外でした。歩き疲れた、というほど動いてもいないんですけどね。
 
 徳川家によって切腹・お家断絶させられた古田織部も、〈琳派〉の祖とされる本阿弥光悦も、ともにまだまだ謎が多く残っているそうです。俵屋宗達に至っては生没年はおろか墓所さえ不明の、謎だらけの画家。本当に実在したのかさえ疑わしくもなりますが、現存する作品からはやはりただならぬパワーを感じるものです。
 
 * * *
 
 〈琳派〉にはいまいち掴みきれないところがあります。それは、たとえば「狩野派」のように一子相伝とか限られた門下生のなかで代々受け継がれたものではなく、後世のひとが勝手に先達から学び取り自己流に解釈し再生産していったという独特な発展の仕方によるところが大きい。〈琳派〉という名称ですら、一般的になったのは1972年に東京国立博物館が開催した展覧会以降だからつい最近のこと。その概念の輪郭があやふやなのはいたしかたのないところでもあります。
 
 豊臣秀吉に命じられた古田織部が「武家の茶」を完成させたのに対し、光悦や宗達は平安時代以来の「宮廷の美」を復興させました。そこだけを見ればふたつの価値観は対極にあるように思えますが、“日本的な美意識の確立”という観点からすればむしろ「車の両輪」、両方ともなくてはならないものだと言えます。だいいち、きらびやかで大胆な装飾性という点では織部焼だって相当に大胆なもの。そもそも織部と光悦・宗達は同時代人だし、どれほどの直接的な交流があったかは別にしても(漫画『へうげもの』ではたっぷり交流させてますが)少なくとも互いの存在はよく知っていたはずです。〈織部〉の美意識といわゆる〈琳派〉の美意識はけして断絶・対立したものではなく、むしろ地続きにつながっているものとみる方が自然でしょう。琳派展に出展されていた尾形乾山のカラフルな器を眺めながら、古田織部がこれを手にしていたらさぞ喜んだろうな、などと勝手な妄想を広げておりました。
 
 家康が安土桃山文化のなにを終わらせ、かわりになにを新時代の新しい価値観として創り上げたかったのか。織部亡き後に筆頭茶頭に命じられた小堀遠州は<きれいさび>と呼ばれる端正な茶道を追求し、織部焼は京都中の陶器商の店先から一斉に姿を消します(つい最近、破棄された大量の織部焼の破片が発掘されて話題になりました)。徳川幕府によって抹殺された「織部好み」に古田織部自身がどこまで具体的に関わっていたのかはいまだよくわからない部分が多いそうですが、少しずつ研究も進み、いつかはその全貌が明らかになるかもしれません。
 
 とくに幕府に禁止されなかった〈琳派〉の方は、尾形光琳、酒井抱一などだいたい100年おきぐらいに強力な「リバイバリスト」が登場します。根強く何度も「リバイバル」するところにぐっときますね。
 もっとも、わたしのごく個人的な好みでいうと、光琳はともかく抱一やその弟子鈴木基一あたりはどうも好きになれません。今回の展覧会では、琳派の継承という観点からいくつか模写作品が並んでいます。目玉のひとつが『風神雷神図屏風』で、宗達・光琳・抱一の三者が描いた屏風が一堂に並ぶというもの。もっとも、展示期間の関係上、すべてを同時に観られるのは10月27日から11月8日までの約2週間だけでとうのがはなはだ残念なんですが。
 
 模写作品ではもうひとつ『三十六歌仙図屏風』もあり、こちらはオリジナルである光琳作とそれを写した抱一作のどちらも全期間中観られます。
 抱一は熱心な光琳マニアとでも言うんでしょうか、光琳の百年忌法要っつーイベントを開催するわ展覧会を開くわ画集は出版するわで、まあ自分の商売のタネでもあったんでしょうけど尊敬ぶりが半端なかった。なので光琳作品の模写もやってるんですが、すごく「上手」なんですね。『三十六歌仙図』なんかはもとの光琳よりも色鮮やかで、たとえが変ですが古い映画を最新の技術で修復させたデジタル・リマスター版、みたいな印象。光琳が宗達をもとにして描いた『風神雷神図』だとまだ光琳ならではの筆遣いなんかが見られて、それぞれの個性の違いを楽しむことができるんですけど、抱一が描いた『三十六歌仙』については「上手いなあ」「凄いなあ」とは思うものの、そしてそれ単体だけを観ればじゅうぶん面白いものの、オリジナルの光琳を横にもってきて同時に観てしまうと、やはり光琳の方が凄みがあるよな、と思わざるを得ないわけで。
 
 抱一や基一あたりに特に感じることなんですが、人物を描いていてももはや記号と化していて、画面からあまり息づかいが聞こえてきません。なるほど色彩は鮮やかだし筆の運びにも破綻はなく、とても華やかでセンスがいいなあとは思うものの、かえって高度な技術力ばかりが鼻につく。抱一よりも光琳の方が、そして光琳よりも宗達の方が、荒々しく洗練されてはいないのかもしれないけれど、その分見ていて飽きがこないんですね。で、さらに遡って織部の意匠がもつ「荒々しさ」と「飽きのこなさ」に改めて想いを馳せたりするわけです。
 
 * * *
 
 織部展でわたしが圧倒されたのは、終盤近くに展示されていた大ぶりの器たち。いずれも蓋や取っ手がついたごついもので、食卓に置けば他が一切かすんでしまう主役級の器です。自分ではとても使いこなせそうにないほどの存在感たっぷりの器ですが、それだけにひと目で「こりゃ迫力あるわ」と目を剥く凄みを湛えています。なるほど、これが武家の美というものか。
 琳派展の方で同じように圧巻だったのは、宗達画・光悦書の『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』。光悦の書も堪能できますが、その下に描かれた鶴の一群が飛び立つ様子がすさまじい。実はこの作品、京博蔵ということもあり2階にある情報コーナーのタッチパネルディスプレイでいつでも鑑賞できるんですが、やはり実物を前にすると圧倒されます。この鶴は図録の表紙や館内の案内看板など、展覧会のキービジュアルにも使われていますが、そういうデザイン性の高さがなによりの魅力でもあるのでしょう。
 <デザイン性>は〈琳派〉のキーワードのひとつで、宗達よりも光琳、光琳よりも抱一と、時代が下るほど<デザイン性>はより瀟洒により精緻になっていくんですが、俵屋宗達は洒落たデザイン性とともに、ある種の生々しさをも兼ね備えていました。実際に生きた<人間>が目の前にいる感じ。生きた人間がいま、その場で、絵を描き上げた感じ。そういった生々しさが、宗達筆とされている作品からは濃厚に感じられます。おなじ生々しさは、織部焼のいくつかからも感じとれます。宗達の絵を刃物で切り裂けば、あるいは織部の器をたたき割ってみれば、そこからどろっとした赤い血が流れ出てくるかのよう。
  
 あ、そうか。展覧会場で珍しくどっと疲れが出てへたりこんでしまったのは、作品の勁さにすっかりあてられ負けてしまっていたからか。ここまで書いて、ようやく納得できました。
 

2015 10 12 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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