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匂い立つ官能性—スペイン国立バレエ団
●スペイン国立バレエ団 2015日本公演
東京公演1 2015年10月31日〜11月03日 東京文化会館 大ホール
愛知公演 2015年11月05日 愛知県芸術劇場 大ホール
大阪公演 2015年11月07日〜08日 フェスティバルホール
岡山公演 2015年11月12日 岡山シンフォニーホール
宮城公演 2015年11月15日 イズミティ21 大ホール
東京公演2 2015年11月20日〜22日 Bunkamuraオーチャードホール
11月7日の大阪公演を観てきました。
マリア・パヘスを筆頭としてフラメンコはわりと好きなんですけど、そんなに突き詰めて観ているわけではありません。<フラメンコとスペイン舞踊の違いとは?>と問われたらたちどころに答えに窮してしまう程度のライトな観客です。
この公演は事前にテレビで宣伝番組もやっていたんですが、個人的に初めて観るカンパニーはあまり予習をしたくないのでさらっと流し見る程度にとどめ、チラシの文言すら読まないようにして、なるべく真っ白な状態で劇場に向かいました。
この日のプログラムは四つ。以下、内容にも触れつつ演目ごとの感想などを書いてみます(タイトルの後のカッコ内は主演ダンサー名)。
●《FARRUCA ファルーカ》
(マリアーノ・ベルナル/エドゥアルド・マルティネス/ホセ・マヌエル・ベニテス)
おお、のっけからすごくフラメンコだ。ギター三人、パーカッション、カンテ(うた)、パロマ(手拍子)の生演奏つきというのも嬉しいな。三人の男性舞踊手によるダイナミックなフラメンコで、やはりスペインとなるとバレエダンサーでもフラメンコを踊れて当たり前なのかしら。これって日本のバレエ団が日本舞踊を踊るようなものなのかなとふと思ったけど、そのたとえは全然違うか。ていうかこのバレエ団はそもそもいわゆる「クラシック・バレエ」はレパートリーにしてなさそうな感じですがどうなんだろ。
すごく正統なフラメンコではあるけれど、個々のダンサーの個性を際立たせるというよりも、全体のアンサンブルを重視した振付/演出になっているように感じました。そのあたりが<国立バレエ団>ならでは、なのかもしれません。個人名を前面に押し出す舞踊団ならもっとスターダンサーの個性を引き出す方向に持って行ったでしょうね。
●《VIVA NAVARRA ビバ・ナバーラ》
(インマクラーダ・サンチェス)
両手でカスタネットを鳴らしながら細かいステップと素早い旋回を繰り広げる、女性ダンサーのソロ。音楽は録音。公演パンフレットによれば<スペインの北東、牛追い祭りで知られるパンプローナを州都とするナバーラ地方の民族音楽ホタを基とした音楽>だそうで、ただしオーケストラ編曲されていることもあり、素朴ないわゆる“民族音楽らしさ”はあまり感じられません。
ダンスも同様に、純粋なフォークロアではなく舞台用に演出されたもの。ということは、コスチュームもおそらく民族衣装そのままではないはず。しかしながらこの演目はとてもキュートで楽しく、ダンサーのこぼれるような笑顔が印象的でした。いつまでも観ていたいと思うほど軽々と演じていたけど、実際はかなりハードなダンスなんだろうなあ。
●《BOLERO ボレロ》
(セルヒオ・ベルナル)
モーリス・ラヴェル作曲の超人気曲、いちばん有名なのはやはり1961年にモーリス・ベジャールが振り付けたバージョンでしょう。もともとは、ディアギレフのバレエ・リュスにも在籍したことのあるイダ・ルビンシュタインが1928年にラヴェルに委嘱した作品で、最初の振付はブロニスラヴァ・ニジンスカ。公演パンフレットには実兄であるヴァツラフ・ニジンスキーの名前が載っていますが、これは明らかな誤りですね。なにしろこの頃のニジンスキーはすでに精神を病んでいて、仕事どころか日常生活すらできなくなってましたから。
今回上演されたのはラファエル・アギラール振付で、1987年に自身の舞踊団で初演したもの。ベジャールを下敷きにしていると思われる部分はありますが、ベジャール版よりもこちらの方が断然かっこいい! 赤と黒のコントラストの効いた衣装に身を包み、匂い立つような官能性がたまりません。官能といってもただ単にエロティックなのではなく、もっと強靱な生命力というのかな。力強い意志がぐんぐん屹立するような、あるいは愛の喜びに全身を委ねるような。そんな原初的な勇気を思い起こさせる振付でした。
ベジャール版では、主演ダンサー対群舞という構図が最後まで崩れることはないんですが(なのであのクライマックスの演出がひときわ感動的なんですが)、アギラール版ではまず群舞からはじまりソロ・ダンサーがその後ろから現れ、ソロと群舞の対比があったかと思えば別の群舞が登場して群舞対群舞になり、ふたたび一対多となったかと思うと最後には全員が一体となって…というふうにダイナミックなドラマが展開します。同じ旋律を延々と繰り返すあの音楽が、舞台の呪術性と祝祭感をさらに強化していて、たいへんスリリングな演目になっていました。いやあこれはたまらん。
贅沢なのは承知の上ですが、これはぜひフルオーケストラの生演奏で観たかったなあ。音楽が録音というのだけがただただ残念。
* * *
●《SUITE SEVILLA セビリア組曲》
全九場からなるセビージャ賛歌は、色調豊かでバラエティに富んだ演目でした。音楽はふたたび生演奏に。最初のメンバーにフルート、ヴァイオリン、チェロが加わり、さらに歌手ももう一人入って音の厚みがぐっと増します。
春の祭や闘牛など、セビージャの風物をいろいろテーマにしているとのことですが、残念ながらスペインには居住はもちろん訪れたことすらないので、舞台を観ただけでは細かいところまではわかりません。なので、わたしは別の部分に注目してました。
というのも、これまでのどの演目もそうなんですけど、ひとつひとつの瞬間がとても「絵」なんですね。ダンサーの美しいポーズがたんに「絵になる」というだけではなく、ダンサーの配置が生み出す空間構成がとても絵画的だし、太陽や月や窓にも変化する大きい円を使った背景美術はとてもグラフィカル(特に、オープニングの幕を使ったトリミングが実にオシャレでした)。静と動の対比というか、メリハリの効いた演出もなんだか映像作品的な感触があります。
もとよりダンス作品はどれも絵になるものばかりだけど、このバレエ団のそれは他とはちょっとニュアンスが異なるような。スペイン絵画というとすぐに思いつくのはゴヤとかエル・グレコ、あるいはミロやピカソ。彼らの作品のような光と影のコントラストの強さは、たしかにこのバレエ団のどの作品とも共通する傾向と言えそうです。でもそれだけじゃないな…あ、むしろ日本美術の方が親和性あるんじゃない?
…まあ、いきなり日本美術を連想したワリにはどの作家のどの作品がという具体例がまったく示せないので、これは単なる妄想にすぎないんですが。
たとえば先に触れたダンサーの舞台上の配置。一方に群舞の塊があり少し離れてソロを置き、その背後に広く間をあける。こういう構図ってなんだか禅画とかに多いような気が。
またたとえば静と動のメリハリは様式的でもあるけれど同時に装飾的でもあって、土佐円山派あたりの屏風絵を観ているかのよう。モノトーンでまとめた水墨画みたいな場面があるかと思えばきらびやかな琳派を思わせる色彩の競演もある——などと、近世日本美術のあれこれをイメージしながら舞台を観ていると、妙にしっくり来たんですね。
日本と言うよりもっと広汎な、アジア的な匂いとする方が近いのかも知れません。遠くインドにルーツがあるといわれるジプシー文化や、かつてのペルシャ/イスラーム文化など、東方からの影響が色濃く残るスペインならではのもと言えるのかもしれないし、あるいはそんな単純なものではないのかもしれない。本当のところはわたしには分かりませんが、目の前に繰り広げられているダンスがとても自然にしっくり来たのは確かです。珍しい異文化を興味本位で眺めるというのではなく、もっと身近で親しみのあるものとして。スペイン国立バレエ団の公演は、わたしにとってはそんなふうに感じられたのでした。
2015 11 08 [dance around] | permalink Tweet
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