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笑うパウル・クレー

 
Klee
●パウル・クレー だれにも ないしょ。 Spuren des Lächelns
 栃木展 2015年07月05日〜09月06日 宇都宮美術館
 兵庫展 2015年09月19日〜11月23日 兵庫県立美術館
 
 年代別に画業を紹介する一般的な回顧展ではなく、あるテーマをもとにパウル・クレーを読み解いていこうとする展覧会です。ただ、この日本語タイトルは少々わかりにくい。ちなみにドイツ語の副題は直訳すると「笑顔の軌跡」という意味になるのかな(図録では「ほほえみのあしあと」と訳してました)。
 そういえば2011年にもクレー展をやっていて、あのときもクレー作品の制作プロセスを解明していくものだったけど、けっこう難しい内容だったな…というのを思い出しました。パウル・クレーの作品って、どうもこうした分析的な見方をしがちなのかな。もうちょっとお気楽に眺めるだけでもいいと思うんだけどな。その意味では、ドイツ語タイトルのように「ほほえみ」といわれる方がよりしっくりする気がします。じっさい、多くの絵の前でわたしはにこにこ笑ってました。
 
 展覧会は6つの章に分かれています。各章題は以下の通り。
  第1章 何のたとえ?
  第2章 多声楽(ポリフォニー)——複数であること
  第3章 デモーニッシュな童話劇
  第4章 透明な迷路、解かれる格子
  第5章 中間世界の子どもたち
  第6章 愚か者の助力
 
 冒頭に書いたように、年代を追って画家の成熟を追体験していく構成ではないので、初期の作品と最晩年の作品が並んでいたりするし、この作品は他の章に置く方があってるんじゃね? と思ったこともふたつみっつありました。そういうのもあって「なんだかわかりにくいなあ」と感じたのでしょう。20世紀初頭の各種芸術運動やふたつの世界大戦といった時代状況との関連も見えにくいので、作品間のつながりもあるような、ないような。結果、クレーの作品「だけ」がぽんと浮き上がってるような印象です。各章の冒頭にはそれぞれどういう意図なのかを説明する大きなパネルが掲げられているんですが、もともと解説パネルを熱心に読む習慣がないのでほとんど頭に入りません。なので筆のタッチの繊細さだとか描線の面白さだとか、そういう部分を主に見ていました。
 
 じっさい、数歩引いて全体を眺めるのと、うんと近寄って筆あとのひとつひとつを観察するのとでは、絵の印象がまるで違うんですね。そこのところが面白くて、同じ絵の前を何度も行ったり来たり。近寄りすぎて係員の方に怒られてしまいましたが…(ごめんなさい!)いや、でも、図録などに縮小印刷されてしまうとこれほど魅力の大半が失われてしまう画家というのも珍しいんじゃなかろうかと思うんですよ。それほど、クレーの作品にはなんというか直截的な「ライブ感」みたいなものが充満しています。わたしにとっては描かれた内容そのもの以上に、こちらの方がよほど秘密めいて見えます。
 
 <だれにも ないしょ。>と言ったって、べつにクレーは自作の中に暗号文を紛れ込ませていたわけでも複雑なトリックを仕込んでいたわけでもないんですよね。たしかにいくつかの作品については、キャンバスの裏側に別の絵があったり下絵段階でべつの絵があったりするし、ひとつの絵を画家自身が分割して別の作品に仕立て直すこともあったので、そのあたりはやはり解説してもらわないとわからない「秘密」ではあります。
 けれども<ないしょ。>どころか、作家自身はむしろ明快に描きたいものを描いていたはず。ただ、出来上がった作品には描かれたもの以上の何かが観る人それぞれにイメージされ、それが「謎」めいて見えるのではないかと。上に書いた、同じ絵を寄って観るのと少し離れて観るのとでは受ける印象がまったく変わるのも、わたしにとってはそういう「謎」のひとつです。
 もちろん今回の展覧会のようにもっと詩的というか哲学というか、文学的なアプローチをしてもいいでしょうし、音楽一家で育ち伴侶もピアニストだったことを踏まえて“音楽作品”として解釈するのもアリでしょう。そういう多角的な鑑賞ができるというのがこの作家の最大の魅力であることは間違いないと思います。
 しかし個人的には、今回のクレー展は表面のテクスチャや筆のタッチの微妙さなど、ディテールの芳醇さにより惹かれました。一見子どもが描いたような自由奔放なドローイングにしても、そのシンプルな描線の迷いのなさに感嘆したし(猫のような兎のような、よくわからない動物らしきものを描いた素描に《むしろ鳥》というタイトルが付いていたのは爆笑ものでした)、リズミカルな画面構成からは作者の理知的な感性を感じることができます。筆致や描線のひとつひとつが生き生きとしていて見飽きない。観ていると知らず知らずに笑顔になってしまう。死をイメージさせる重い作品もあるけれど、会場を出たあとに残った印象としては、「クレー、楽しかったね!」なんでした。
 
 生前から自作のランクづけをきっちり行って販売価格などを自らコントロールしていたそうで、そういったエピソードひとつとってもたいへん頭のいい、セルフ・プロデュースに長けた人だったんだなあと思います。破滅型の芸術家とはほど遠い、むしろ精悍なビジネスマンっていう方が似合いそうな。いや、その実像はどんなだったかはまるで知らないんですけどもね。
 ともあれパウル・クレーは観るたび新しいし、なによりもかれの作品は複製などではなく実物を観るに限るということを強く実感した展覧会でした。ライブだとめっちゃノれるのにCDだと意外に凡庸に感じるミュージシャンっているじゃないですか。ちょうどそんな感じかな。
 なので、またいつか、大きなクレー展をどこかでやってくれることを期待したいです。
 
 
 * * *
 
 以下、クレーとは全く関係ないおまけ。各地のミュージアムショップで見かけるたびにちょっとずつ買っている<叫びくん>グッズ。今回は右端のポップな絵柄のを入手しました。
Sakebi
 ここに映ってないのがあとふたつみっつあります。いつの間にかこんなに溜まっていたとは。てか、今後どーすんだこのコレクション。
 

2015 11 01 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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