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恩地孝四郎展


Onchi
●恩地孝四郎展
 東京展  2016年01月13日~02月28日 東京国立近代美術館
 和歌山展 2016年04月29日~06月12日 和歌山県立近代美術館
 
 おそらく、一般には版画家として知られているだろう恩地孝四郎。個人的には装幀家としてその名を記憶していた。業績の全体像をきちんと観るのは今回が初めてなので、とても楽しみにしていた展覧会のひとつだ。
 わたしが訪れたのは和歌山展。ここでは特別展の他に、館所蔵のコレクション展の方でも恩地作品やゆかりの人たちの作品がいくつもあって、嬉しいサプライズだった。また、当館は版画に力を入れているらしく、常設展示室の一角に設けられていた『謄写印刷工房から――印刷と美術のはざまで』(03月29日~05月29日)という特設展も見応えがあった。印刷と美術、という点では恩地孝四郎の仕事とも共通する部分がかなり多いのでゆっくり観ていたら、結局なんだかんだでかなりの時間を美術館で過ごすことになった。
 
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 恩地孝四郎は1891(明治24)年7月生まれ、1955(昭和30)年6月没。父の希望から医者を目指すも受験に失敗、同じ頃に出版された竹久夢二の最初の画集に出会い、まもなく兄事するようになる。翌年、19歳で東京美術学校(のちの東京藝大)に入学するも成績は芳しくなく、6年後に放校処分を受けている(指導教員の評価が不服で登校しなくなったとのこと)。かれにとっては美術学校よりも夢二とその人脈から学ぶことの方が大きかったのだろう。図録に掲載されている年譜を読むと、この間に校外で精力的な活動をしている様子が伺える。つまり、恩地の美的感性と技術は、日本の美術教育のアカデミックな体系とは別のところで育まれ、鍛えられていったのだろう。多感な青春期を送ったのは日本にモダニズムが開花した大正時代、さらにいちばん強い影響を受けた師匠が竹久夢二ということで、その後の作家としての主題のほとんどがこの時期に定まったと言っていい。
 
 大正から昭和初期だと、「出版」に対する価値観は今とは大違いだろう。恩地孝四郎が装幀家として活動をはじめた頃というのは、デザイナーやイラストレーターという、専門職が生まれる以前の話だ。のちに画壇の大家となる日本画家や洋画家たちもこぞって雑誌や新聞に風刺画を寄稿していたし、造本・装幀もまた美術家の仕事だった。
 だから竹久夢二もとうぜん自著は自装していたが、唯一の例外として、恩地にだけはいくつかの本の装幀を任せている。それだけ夢二はかれの才能を買っていたのだろう。会場には初期・中期・後期と恩地デザインの書籍がいくつも展示されていたけど、なるほど、その本の主題をちゃんと読み取ってデザインに活かしているのはさすがだと思った。たとえば、ポール・ゴーギャンがタヒチでの生活を書いた「ノアノア」(1926年刊)ではいかにも南国のプリミティブ・アートっぽい力強さを、ロシアの現代美術を紹介した『新露西亜画観』(1930年刊)ではロシア構成主義風の画面構成をそれぞれ取り入れたデザインだ。そりゃあ美術家だから西欧の最新動向にも詳しくて当たり前とはいえ、これだけ多種多様な様式/スタイルを、きちんと自分の技術としてモノにしているのがいい。いまみたいにパソコンで気軽にコピー&ペースト、ってわけにはいかないし、そもそも知識としてちゃんと知っていないとそのコピーすらうまく出来ないだろう。
 
 恩地の旺盛な勉強力はのちの時代でもいかんなく発揮されていて、展覧会後半だったか、写真作品まで並べてあったのにはびっくりした。それもマン・レイばりのフォトグラムだ。かれ独自のオリジナリティがそこにあるかと言うとちょっと厳しいとは思うけど、美術の新しい潮流や新しい技術を取り入れることにたいそう熱心だったんだろうことはよくわかった。
 24〜5歳頃のだったか、油彩画の自画像があった。いかにも都会のイカしたあんちゃんで、イケメンの文学青年という風貌だ。かれの洒落た作風とよく似合っているな、と思った。
 
 出品作品の過半数を占めている抽象画については、正直なところわたしにはよくわからない。品良くくすんでいて、しかし透明感のある色彩は素敵だと思ったけれども、フォルムや構成についてはなんとも言えない。版画にせよ油彩にせよ、具体的な題材の方がまだとっつきやすい。しかしこと装幀に関して言えば、抽象モチーフの作品群の方が見応えがあった。とくに雑誌『書窓』(1935〜1941年)の表紙は、シンプルな構成なのにいつまで眺めていても飽きない。このシリーズは、特別展よりも別室のコレクション展示の方が点数が多く、どうせなら一箇所にまとめて全部見せてほしかったものだが。
 「詩・写真・版画による総合作」と謳う「出版創作」のシリーズも面白い。『飛行官能』(1934年)では飛行機のメカニカルな官能性や空撮などの写真群のレイアウトの妙が、『蟲・魚・介』(1943年)ではテキストと図版のハーモニーが、『博物志』(1942年)ではシンボリックなモノクロ写真の美しさが、それぞれ堪能できる。ここらの本は、かなうことなら実物を手にとってみたかった。
 
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 自分の興味が、どちらかというとデザイン方面に偏っているので、必ずしも正当な鑑賞ではなかったのかもしれないけれども、恩地孝四郎という作家の生涯を一気に眺められたのはなによりだった。回顧展としては約20年ぶりということで、ここまでまとまって見られるのはたいへん貴重な機会でもある。わたしが訪れた時は観客が少なかったおかげで、広い展示室内で作品群にただひとり囲まれるひとときもあった。その静謐な時間をも含めて、ちょっと忘れがたい印象を残す展覧会でありました。
 

2016 05 03 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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