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ヒソカなピカソ

 
Picasso2016
●ピカソ、天才の秘密
 愛知展 2016年01月03日〜03月21日 愛知県美術館
 大阪展 2016年04月09日〜07月03日 あべのハルカス美術館
 
 そういえばピカソの展覧会って久しぶりのような気がする。少なくとも、当ブログでピカソ展の感想文を書くのは今回が初めて…のはず。単純にわたしが見逃していただけで、実際には近年でもあちこちで開催されていたんだろうけど。
 
 本展は、パブロ・ピカソの少年時代から1920年代頃までの、ピカソの前半生を紹介するというもの。「青の時代」「バラ色の時代」「キュビズム時代」がメインで、キュビズムと平行していた「新古典主義」の作品も、オマケのように少し展示されている。
 「青」と「バラ色」に関しては“国内で過去最大の展示”と謳ってはいるものの、出品作品点数はやや少なめという印象だった。わたしはとくに「青の時代」が大好きなので、会場にはかなり期待して足を運んだんだけど、その意味ではちょっと肩すかしを食らった感がある。
 パリのピカソ美術館所蔵の『自画像』(1901年)とか見てみたかったなー(同館からは『男の肖像』(1902-03年)が貸し出されていたようだが、愛知会場のみの展示ということで、わたしは見られず)。もしくは、むかし画集でみて強い衝撃を受けた『ラ・セレスティーナ(遣手婆)』(1903年)とか。「バラ色の時代」だったらやっぱ『ガートルード・スタインの肖像』(1906年)だよねえ、とか。…ま、この辺の大物クラスがもし本当に来ていたら、宣伝チラシなんかでもっと大々的に告知していたはずなんだけどもさ。
 
 むしろ「青」以前の作品がいくつも見られたのが貴重だった。学生時代の素描もさりながら、世紀の変わり目前後に描かれた油彩画やパステル画が目を惹く。この時期のピカソは、そう言えばこれまでほとんど目にした記憶がない。
 なかでも変わりダネは花瓶に生けた花を描いた2作(『ボタン』『キク』ともに1901年)だろうか。作品横の解説文によれば、この頃のピカソは人物や都市風景などをよく主題に選んでいて、自ら好んで花を描くことはなかったらしい。つまりは売るための、万人受けする題材を描いた作品で、しかもここにはセザンヌやゴッホなどを研究したあとがあるという。正直なところ、画中に大きく書かれたサインを隠してしまったら、誰が描いた絵なのかはたぶん言い当てられないとは思うけれども、青年ピカソがまわりから一所懸命に研究・吸収していったあとを見られたのは、たいへん興味深かった。
 
 
 パブロ・ピカソというと“眼のひと”という印象が強い。上の看板にも使われている画家本人の写真もそうだし、若い頃から盛んに描いていた人物画にしても、どれも眼のまわりがとても強く印象に残る。
 ひとまとめに「眼ぢから」の強さ、と言ってしまってもいいんだろうけれど、おそらくピカソの場合は、画家本人の「眼の記憶」の強さに尋常ならざるものがあったと思う。一度見たものをちゃんと再現できる記憶力、そして瞬時に自分の絵として描いてしまえる瞬発力。美術家としてはこの上ない武器を、持って生まれたものとして備えていた作家だったんだなあと、若い頃の作品を眺めていてあらためて思った。
 
 そして、そういった「眼で学んだ」ものを「自分の絵として」表現する——そのいちばん最初の実験こそが、「青の時代」だったんじゃなかろうか。本展に出品されている油彩画『スープ』(1902年)やペン画『果物籠を持つ裸婦』(1902年)、時代としては「バラ色」に区分される『扇子を持つ女』(1905年)あたりのアルカイックな横顔。そうかと思えば『サバスティア・ジェニェンの肖像』(1903年)のルーベンスばりのリアリスティックな表情。これらはみな、若き天才が過去の作品をひたすら貪欲に学んだ証なのでもあったんだろう。後年ピカソ自身は「青」の頃の作品は感傷的にすぎる、などと言っていたそうだけど、ひょっとするとその言葉にはちょっと照れもあったんじゃないだろうか。
 後期の派手で自由奔放なピカソもいいけれど、それに比べるとごく密やかな——ピカソが「ピカソ」になろうともがいていたこの時代の作品は、やはりしみじみといいもんだなあと思った。
 

2016 05 15 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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