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ミュシャ展2017

 
Mucha2017
●ミュシャ展
 2017年03月08日〜06月05日 国立新美術館
 
 ※過去のミュシャ展感想記事一覧

ムハとミュシャ(2006年01月)
またまたミュシャ展(2006年09月)
「知られざるミュシャ」展(2013年03月)

 このブログでミュシャ展の感想を書くのは4度目。けれど個人的な“初ミュシャ”はうんと昔で、いま手元に残っている図録でいちばん古いのは1983年のものです。これは国内を巡回する大規模なミュシャ展として<アール・ヌーヴォーの人気ポスター>以外の画業をはじめて紹介した展覧会でした。
 今の目で見て1983年展が興味深い点はいくつかあって、当時は祖国チェコでもまだこんにちのような高い評価をされていなかった様子がうかがえる(なにせ“チェコスロヴァキア社会主義共和国”時代ですし)のがそのひとつ。そしてふたつめは、この時点ですでに『スラヴ叙事詩』に関する展示・紹介がされていたんですね。
 展示といっても、2017年展の大目玉である『スラヴ叙事詩』本画全てがチェコ国外で公開されるのは、もちろん今回が初めて(そのうちの1点だけなら1989年に初来日していた由)。では83年展ではどういう紹介が? というと、その<習作>がたくさん展示されていたというわけです。
 
 
 世紀末のパリで一夜にして脚光を浴び、その後アメリカに渡ったミュシャが、祖国に帰ったのち足かけ17年、構想や資金調達などといった準備段階も含めればゆうに20年以上に渡って取り組んだ畢生の大作『スラヴ叙事詩』シリーズは、しかし長らくほとんど忘れ去られていました。ミュシャが描きたかった“スラヴ民族の精華”は、世界大戦や各地の独立戦争といった激しい時代の流れからいつのまにか取り残されてしまい、作品が初公開された1920年代末では古臭いアナクロニズムと受け止められたそうです(なにせ世界の潮流はダダ〜シュルレアリスムをはじめとする前衛芸術が席巻していた時代でもありました)。
 ミュシャ自身もチェコスロヴァキアに侵攻したドイツのゲシュタポによる拘束と、その厳しい尋問がもとで『スラヴ叙事詩』公開から約10年後にこの世を去ってしまいます。しかし、作品そのものはナチスによる焼却を恐れた遺族のおかげで無事に生き延びることができました。
 
 ミュシャは制作当初からこの連作をプラハ市に寄贈するつもりだったんですが、公開時の低評価もあってか受け入れ体制が整わず(第二次大戦もあってそれどころではないという財政事情も大きかったでしょう)、ようやく1968年になって彼の生まれ故郷モラヴィア近郊のお城で夏の間だけ一般公開。悲願のプラハに戻されたのはなんと2012年というから、つい最近のことです。その間、この連作はほとんど「幻の」という冠にふさわしい扱いを受けてきたと言っていいのでしょう。
 
 だから、1983年の国内巡回展で『スラヴ叙事詩』に言及していたのは、今から思えばけっこう凄いことだったんでしょうね。当時のわたしの記憶でも、アール・ヌーヴォーの人気ポスター作家だったミュシャの晩年ってこんなだったんだ、へえ、と言う軽い驚きがありました。近年のミュシャ回顧展では、むしろ晩年の創作活動こそをきちんと紹介したいという編集意図を感じる企画が多くなったので、『スラヴ叙事詩』についても当然のように触れられていますが、1983年時点では非常に目新しいトピックだったはずです。
 
 残念ながらそれら<習作>群は、2017年開催の本展には展示されていません。せっかくだから一緒に並べたら一層面白さが増したかもしれないのにな。
 まあ、とはいえ、やはり完成作だけがずらっと並んだ展示室は圧巻のひとことで、会場内に足を踏み入れたときのあの静かな高揚感は、これからずっと記憶に残ることでしょう。
 
 
 正直に言えば、作品そのものはスラヴの民族史や伝承や文化に詳しくなければよく判りません。自立した純粋絵画ではなく歴史や世界観を絵解きした<イラストレーション>という方がふさわしい内容だからです。つまりこれは単に「観る」というより「読む」べき絵画なのです。
 しかしなによりその巨大さ、そしてそれが計20点も並ぶというスペクタクル。まずもってここでノックアウトされるんですね。詰めかけた大勢の観客のざわめきなど、絵画の巨大さの前にすっかり飲み込まれてしまう。
 図録も買い求めましたが、もちろん実物のあの迫力なんざまったく抜けてしまってます。「読み解く」作品なんだったら図録の縮小図版でも問題ないだろっていう意見もあるかもしれないけど、大画面の映画館で観るのと家の小さなテレビで再生するDVDとでは同じ映画でも印象が異なるように、目の前を覆う圧倒的な大きさのオリジナルをいちど観てしまうと、どうやったって敵いません。ということは、やはりこれは単に「読み解く」作品だけでなく、それ以前にまず「体験する」べき作品だということなんでしょう。想像を超えるスケールの大きさは、それ自体が価値を生む。そのまっとうな例をまざまざと見せつけられた思いでした。
 
 
 巨大な絵画作品というと普通は「壁画」で、建築物と一体化しているが故に現地に足を運ばなければ観ることができないもの。実はわたし、この『スラヴ叙事詩』シリーズも壁画作品だと思い込んでいたところがあって、あんな大きな作品をどうやって日本に運ぶんだろ、とずっと疑問に思っていたんですね。美術館で現物を観て、カンヴァスにフレスコ+油彩で描かれた作品だったんだ! と今さらながらに納得した次第。とはいえ、最大で6メートル×8メートルにもなる巨大なカンヴァスは、どこにも継ぎ目らしき箇所の見当たらない一枚布。どうやって織ったんだろ。そんな妙なところにもいたく感心してしまったのでした。
 

2017 03 26 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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