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海北友松展

Yusho
 
●開館120周年記念特別展覧会 海北友松展
 2017年04月11日〜05月21日 京都国立博物館
 
 京博はけっこう安土桃山〜江戸時代初期の絵師を特集しています。このブログに書いたものだけでも2007年「狩野永徳」(感想は→こちら)、2010年「長谷川等伯」(→感想)、2013年「狩野山楽・山雪」(→感想)と続き、2015年には「桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち」(→感想)が開かれました。同じ年の「琳派 京を彩る」(→感想)もここに含めてもいいかもしれません。2〜3年おきに特別展が開催されるだけの人気が、やはりこの時代にはあるのでしょうね。
 
 とはいえ、狩野派歴代の棟梁たちや長谷川等伯、あるいは岩佐又兵衛などに比べると、今回の主役「海北友松(かいほう・ゆうしょう)」は知名度の点ではやや劣るのかもしれません。というか、わたしはこれまでほとんど意識したことがなかったことをここに白状します。とはいえ行ってみたらやっぱりすごく面白かった。
 友松は武家の出身ですが絵師を志し、長く狩野派の一員として活動しました。狩野派を離れ独立したのは58歳頃と言われるから、今で言うと長年勤めた会社を定年退職してフリーランスになった、って感じでしょうか。友松が凄いのはここからで、60歳のころから83歳で亡くなる(大坂夏の陣が終結し、古田織部が切腹を命じられた1615年)までの間に、現在に残る代表作の殆どを描き上げている。<定年後に花ひらいた人生>などとキャッチコピーをつけると、いまの中高年サラリーマンにも強くアピールできそうですね。まあ、狩野派在籍時代にきちんと実力を身に付けていたからこそ、晩年になって大きく開花できたはずなので、もとより誰もが簡単に真似できるような才能ではないんでしょうが。
 逆に言うと“会社員時代”の彼の足跡はまだ良く分かっていない部分が多く、図録巻頭の評伝でも推測による記述が多くを占めています。そこらあたりがまたミステリアスで、興味深いんですけども。
 若くに亡くなった永徳を間近に見ていたからなのか、彼はとくに自分の一派を作ることなく、つまり一代限りであったが故に、かえってその独自性が浮き彫りにされるのかもしれません。ともあれ、当時としても還暦以降というともう隠居だろ、という年齢になってから後世に残る作品を次々と産み出したという旺盛な創作力にはまったく驚かされます。
 
 * * *
 
 ふつう個人作家の回顧展というと、若年時代の習作に初々しさを感じ、壮年期の代表作に圧倒され、晩年の枯れた作風にしみじみする…というパターンが多いかと思うんですが、今回の海北友松展に関しては、後になればなるほどどんどん凄くなっていくという、たいへん珍しい体験をしました。70代に描かれた作品がこんなに瑞々しいって、どういうことやねん。…いやほんと、あとになればなるほどどんどん見応えのある作品が出てくるんですよ。個々の作品は細かな制作年代が不明なものも多いから、そういう並べ方をしたのは学芸員の編集手腕のおかげでもあるんでしょうが、わたしはその陳列センスにまんまと乗せられてしまいました。
 作品の幅が思っていた以上に広かったのも楽しかった。本展の目玉作品としては上の写真の看板にもなっている『雲龍図』(バリエーションがいくつもあって楽しい)ですが、人物の飄々としたユーモアや、『網干図屏風』の3DCGを思わせる精緻なグラフィックなど、見どころがたくさんありました。掉尾を飾るのが、約60年ぶりに米国の美術館から帰国したという『月下渓流図屏風』というのも気が利いていて、それまでの作風とは一変した静謐さがたまらない。
 
 
 「無事是名馬」という成語があるように、「長生き」できるのも才能のひとつなんだろうなあ、と思います。戦国時代末期に老いてなお若々しい絵筆をふるうことができた友松は、そういう意味でも類い希なひとだったんでしょう。上にキャッチコピーしだいでは中高年サラリーマンにも響くのでは、などと書いてしまいましたが、実力・人脈・そしてもちろん時の運にも恵まれたはずのこの人を見てしまうと、逆効果になってしまうような気がしなくもないですね。ともあれ、またひとり面白い画家を知ることができた、有意義な展覧会でした。
 

2017 04 16 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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