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源信展 やっぱり「地獄」は面白い
●一〇〇〇年忌特別展 源信 地獄・極楽への扉
2017年07月15日〜09月03日 奈良国立博物館
奈良に生まれ、比叡山延暦寺で修行した平安時代の仏僧、恵心僧都源信(942〜1017)の千年忌を記念して開かれている展覧会であります。
…千年忌…1000年前かあ。と急に言われても全然イメージが湧かない。日本では平安時代だったのはまあ常識の範疇として、その頃の中国は「宋」であり、東南アジアには「クメール王朝」があった(まだアンコール・ワットは建立されていない)。イスラム圏では「イスラム帝国」や「ビザンチン帝国」が、南米に行けば「インカ帝国」「アステカ帝国」が健在で、ヨーロッパには「東西フランク王国」「神聖ローマ帝国」…と、軒並み“帝国だらけの時代”だった、ようだ(以上、世界史年表を斜め見しながら書いた。えっ、どれも常識!?)。いずれにしろ教科書でしか見たことのないような国名がずらずら並ぶ。
で、そんな時代を生きていた源信である。どうして今もその名が残っているのかというと、こちらも教科書で見たような気がするのだけれども『往生要集』という本を書いたひと、なのだそうだ。これはいま風に言うと「終活」のためのガイド本…ってちょっと違うか。たくさんの経典から極楽浄土についての文章をまとめて三巻にも及ぶ本を書いた。そして安らかな死後を迎えるためには一心に念仏を唱えよ、と教えたわけですね。
これが当時の人たちにウケた。なにしろ漢字仮名交じりの写本まで残されているから(鎌倉時代の写本が本展に展示されている)、貴族階級に留まらずもう少し幅の広い層にまで読まれたということだろう。そして、もっと重要なことは、ここで源信が提示した地獄と極楽の諸相が、以降の日本人にとってほぼ決定的なものとなったということ。これが本展のメインである。
源信自身は学僧であって絵筆を自ら取ったわけではないにしろ、かれが多くの文献から採取し系統立てて整理したその世界観は、以後の宗教絵画の拠って立つ基準となった。現在わたしたちがなんとなく思い浮かべる<地獄・極楽>のイメージ図像の、そもそものソースは源信の書いた『往生要集』にあった、ということになるらしいのだ。へええ〜。
展覧会は、まず源信の生涯や業績を当時の文献資料で紹介したあと、前半に<地獄>イメージとして「六道絵」や「地獄草紙」「飢餓草紙」といった国宝の数々を惜しげもなく展示(会期中入れ替えあり)。後半にはこれまた国宝・重文クラスの「阿弥陀三尊来迎図」をずらっと並べて<極楽>イメージをこれでもかと見せつける。なかなかにスペクタクルな展覧会だった。
なかでも滋賀県・聖衆来迎寺所蔵の『国宝 六道絵』全15幅は圧巻で、これを観るためだけでも会場に足を運ぶ価値があるだろう(8月6日まで)。ちなみに「六道」とは地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人道・天道の6つのことで、「六道絵」はそれらを具体的なイメージとして描いた宗教画。現世で仏の教えに背いた者たちが陥る責苦をこれでもかと描いた絵画作品だ。同作品は別室でデジタルアーカイブがあり、タブレットで自在に拡大して観ることもできる。わたしはふたつの部屋を何度も往復して楽しんだ。
* * *
作家の橋本治は、かつてこう書いたことがある。
「地獄」というものは、宗教が設定したもので、どの宗教にも「地獄」はある。「地獄の恐怖」を説いて、そして「悔い改めろ! さもないと地獄に落ちるぞ!」という形で布教が展開される。「宗教というものはすべてそういうものなのだろう」と思う人は多いかもしれないが、しかし別にそういうものでもない。つまり、貧しい中で生きている人間にとって、既に現実は十分に「苦しい」のであるから、「地獄に落ちるぞ!」などと脅されても、説得力はないということである。必要なのは、「悔い改める」というモラルではなく、「この現実の苦しさから救われる」という救済の方なのだ。つまり、「地獄」という教訓よりも「極楽」という救済の方が必要で、その起源の古さから言えば、「地獄」よりも「極楽」の方が古いのだ。(『ひらがな日本美術史』第一巻pp150-152/新潮社刊/1995年、引用文中の太字は原文では傍点)
うーん、そうなのかなあ。本展に展示された「六道絵」を観ていると「苦しい現実」をはるかに凌駕する凄惨さが執拗なまでに細かく描かれているのだ。なにしろ生きたまま切り裂かれたりするし、鬼のひと声でまたもとの体に戻って、再び同じように切り裂かれる。そういうのが「地獄道」では何百年、何千年も続くとされている。
<まるで地獄のような毎日だ>と苦しむ衆生の苦しみを十分わかった上で、そのはるか上を行く「苦しみ」を、この「地獄絵」では描いているわけだ。現世の、ありきたりな「苦しみ」を描くだけでは布教になるはずはないことなど、おそらく作者はとっくにわかっているのだ。画家は源信の世界観をそのまま絵にしただけとしても、ではそのコンセプトを明快に提示した源信や、かれのソースとなった先覚たちの、なんと冷徹で残酷なことか。ここぞとばかりに想像力を巡らせ、およそ考えつく限りの残酷さを表現しなければ自らの宗教に帰依してもらえないという覚悟の、その凄惨さ。そここそが「六道絵」の最大の見どころなんだと思う。橋本が言うように「現実と同じような苦しさ」を描いただけでは信仰心などとうてい目覚めないだろう、そのことは誰よりも僧侶たちがいやというほど知っていたのだろうと思う。
冷徹な視線とは、リアリズムということでもあるかもしれない。聖衆来迎寺の<国宝 六道絵(鎌倉時代)>の一幅にもあり、またそれとは別の作品<九相図巻(鎌倉時代)>/<九相詩絵巻(室町時代)>(ともに九州国立博物館蔵、前後期入れ替え展示)は、人間の死後直後から腐乱し蛆虫がわき鳥や犬が腐肉を食い漁り、ついに骨となり散逸してしまうまでの諸相を丹念に描いたものである(死体を九段階に分ける「九相観」の元ネタは天台宗の経典『摩訶止観』で、源信はそれを引用している)。死体が現代よりもごく身近にあったからこそなのか、あるいは当時としても遺体が朽ち果てるまでなんて非日常すぎたのか。ともあれこのショッキングな図像はつとめて科学的な観察眼のもとにつくられたことだけは間違いなさそうだ(モデルとして描かれるのがそこそこ高貴な身分の若い女性なのは、いかにも宗教的演出とは言えるかもしれない)。
※画像は2点とも『六道絵 人道不浄相』より部分、クリックで拡大します。
六道絵が描くイメージの大半は想像を超えるファンタジーなのだろうけれども、それはこういう科学的な観察や好奇心にもとづくリアリズムがあるからこそで、それゆえに画面に強い説得力を生む。そのリアリズムは他にも例えば「病草紙」などに描写される病人たちの姿にも顕著で、だからこそこれらの絵画は時代を超えてなおわたしたちの目を惹きつけ離さないのだと思う。
* * *
「地獄」の諸相が描く多彩なリアリズムに比べて、会場後半に並べられた「阿弥陀聖衆来迎図」の、なんとシンプルで画一的なことか。たしかに構図など差異はあり、それぞれに意味があるのかもしれないが、いかにも退屈なのだ。…平穏無事な理想郷を「退屈」などと悪し様に言うのはいかにも罰当たりで信心のかけらもない所業だし、わたしだってもちろん地獄の業火に責められたくなどないんですが。
それでも(少なくとも外から眺めている分には)<極楽>よりも<地獄>の方が断然面白い、というのはおそらく大方のひとには賛同してもらえるんじゃないかと思うんですがいかがでしょ。でもって、展示室の<地獄>の熱気にあてられちゃったせいか、ミュージアムショップで思わずこんな本を買ってしまいましたよ。
●HELL 地獄 地獄をみる
2017年07月18日初版/発行:パイ・インターナショナル
アートディレクション・企画:高岡一弥
文・作品解説:梶谷亮治+西田直樹、村山千尋
ISBN978-4-7562-4811-4
…地獄って楽しいなあ。
2017 07 23 [design conscious] | permalink Tweet
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