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ブランドとしての<ブリューゲル>

 
Ueno_180331 上の写真は、早くも花見のピークが過ぎた2018年三月末の、上野公園。
 とはいえ朝からすごい人出でして、さすがは都内でも有数の行楽スポットです。みなさんやっぱりシャンシャン目当てなんでしょうかねえ。
 かく言うわたしは桜並木にもパンダにも目もくれず、動物園の隣にある東京都美術館にまっすぐ向かいます。そう、会期ギリギリ滑り込みですがずっと観たかった『ブリューゲル展』に行くために。
 
Brughel2018●ブリューゲル展 画家一族150年の系譜
 2018年01月23日〜04月01日 東京都美術館
 2018年04月24日〜07月16日 豊田市美術館
 2018年07月28日〜09月24日 札幌芸術の森美術館
 2018年10月08日〜12月16日 広島県立美術館
 2019年01月11日〜03月31日 郡山市立美術館
 
 いやまあ、うちからだと豊田か広島に行く選択肢もアリなんですが(特に豊田美にはいつか再訪してみたかったし)、今回はちょうど良いタイミングで他の用事もあったので、上野公園まで足を伸ばしたという次第。会場は会期終了直前だからでしょうか、比較的落ち着いてゆったりと鑑賞できたような気がします。
 ブリューゲルについては、父(ピーテル1世)、子(ピーテル2世)、次男のヤンあたりまでは名前くらいは知っていたものの、それ以外となるとさっぱり。なので、この機会にちゃんと理解を深めておきたいものです。
 
 
 
 一族の始祖であるピーテル・ブリューゲル1世の作品は思ったより少なめだったんですが、まあ展覧会の主題が「系譜」なんだから仕方がないかな。もっとも、父の画業に関しては2017年夏に『ベルギー寄贈の系譜展』(感想は→こちら)と『バベルの塔展』(→感想)という、ふたつの展覧会でわりと集中して観ることができていたので、予習としてはだいたいオッケーでしょう。
 
 で、その<一族の系譜>。展覧会を観た上でのひどく大雑把な感想ですが、始祖ピーテル1世の名声を大きく育てたのは彼の没後ふたりの息子たちのチカラによるもので、現代にまで通用する<ブランド名>としての高い価値は、長男ピーテル2世と次男ヤン1世によって確立されたものなんだろうなあ、ということ。もちろん、父ピーテル1世が生前から<ヒエロニムス・ボスの再来>と呼ばれ、独自の個性的な作風を完成させていたことが大前提でしょうけど、仮に初代の一代限りで終わっていたとしたら、今じゃすっかり忘れられた伝説上の作家(のひとり)になっていたかもしれない、と思うんですよね。
 
 1525年(あるいは30年とも)生まれのピーテル1世が亡くなったのは1569年。長男5歳のとき、次男に至ってはその前年に生を受けたばかりということなので、ふたりとも父の教えを直接受けたことはないはずです。息子たちは父親の仕事ぶりを、遺された素描や下絵、あるいは工房の先輩画工を通じてでしか学ぶことができなかったことでしょう。
 父が亡くなって、しかしなお人気は高く、注文だってある。ならば父の絵の<複製>を大量に作って売りさばこう。長男はそう決めて、ピーテル1世の作品のコピー品をたくさん制作します。カラー印刷やデジタルコピペなど思いつきすらできなかっただろう時代に「同じ絵を大量生産」することの技術的困難さは、想像するに余りあります。けれども兄は、それによって<ブリューゲル・スタイル>をより広く世間に浸透させることに成功しました。一方、弟ヤン1世の方は、兄よりも高い技術力をもちつつ時代の新潮流にも敏感で、新境地を開くことに成功。経済的にも兄よりも豊かだったそうです。そんなヤンとその息子(2世)が<ブリューゲル・ブランド>に斬新さをもたらしたことで、この一族は「伝統と革新」を同時に武器とできる、柔軟さと強靱さを身につけたのではないでしょうか。
 
 とはいえこういったことは結果論に過ぎず、おそらくは両兄弟とも目の前の日々を生き延びることに必死であって、<ブランドの確立>的な、いかにも現代のアパレルメーカーの経営者あたりが考えそうな理屈など、頭にはなかったのかもしれませんが(だいたいこの兄弟が仲良く<父のブランド化を目指して邁進した>なんて記述は図録のどこにも書いてないですし。ま、それぞれ個人事業主として切磋琢磨しつつそれぞれの道を進んでいった…というあたりが物語としては綺麗な回答なのかも)。
 それでも、<ブリューゲル>という名前じたいは、ある種の<ブランド>としてこの時代にある程度以上の効力があったはずでは、とは思うんですよね。一族あるいはその関係者として、その名前を利用し売り出した画家もそれなりに多かったはずではないか。ここでのブランド化というのは、貿易や商業で栄えた都市ならではの<神格化>のひとつの帰着点でもあったんだろうなと思います。
 
 そうなると、<一族の系譜>という意味で最後に気になったこと。それは、図録に付いている年表が18世紀を目前にして終わっていることでした。
 初代が活躍した16世紀半ばから一世紀半後、彼らはヨーロッパ近代化の波にうまく乗れず歴史の向こう側に消えてしまったのでしょうか。そしてその末裔は現在ひとりも存在しないのでしょうか。展覧会ではそのあたりにはいっさい触れていないのが、かえって後ろ髪を引かれるように心に残ったのでした。
 同時に、室町時代末期から400年以上にわたって、時の権力者に上手に乗っかりながらひとつの「流派(スクール)」として存続していった<狩野派>の特殊性にも思いを馳せていました。いくらなんでもあまりに長命過ぎるだろ…君ら…。
 

2018 04 01 [design conscious] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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