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トリニティ・アイリッシュ・ダンス2018日本ツアー

 
Trinity20180617
 初来日から14年。トリニティ7度目の日本公演は、兵庫から始まった。その初日を観てきました。

●TRINITY IRISH DANCE COMPANY JAPAN TOUR 2018
06月17日 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
06月20日 アクトシティ浜松 大ホール
06月22・23日 東急シアターオーブ
06月24日 神奈川県民ホール
06月26日 アクロス福岡 シンフォニーホール
06月27日 市民会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)
07月01日 ウェスタ川越 大ホール
07月02日 聖徳大学 川並香順記念講堂(学内公演)
07月03日 日本特殊陶業市民会館 フォレストホール
 
ちなみにわたしが当ブログに残した過去の関連記事はこちら。
2004年公演(伊丹)
・2006年公演の際に発売されたDVDのレビュー
2006年公演(西宮)
2010年公演(東京)
2012年公演(東京)
2014年公演(東京)
2016年公演(京都)
 
 おそらく今回が初めてだと思うが、ツアー中に「Aプロ」「Bプロ」とふたつのプログラムが用意された。兵庫と浜松の公演のみAプロで、残りはすべてBプロである。東京公演のみ2日間の日程なので、A/Bふたつやるのかと思ったら両方Bプロ。このへんの采配はよくわからないが、パンフレットに記載された演目を見る限りでは、Aプロ/Bプロの違いって後半の1演目だけなので、仕込みとか準備とかの理由なんだろうか。
 
* * *
 
 当ブログでは、トリニティのことを「アメリカならでは」と一貫して言い続けている。それは“アイリッシュ・ダンス”の定義を常に外側に向かって拡張し続けているイメージであり、かつ“アイリッシュ・ダンス”を一歩引いた外側から見つめ続けているイメージでもある。パンフレットではそれを<プログレッシヴ・アイリッシュ・ダンス>と呼んでいる。
 
 アイリッシュ・ダンス、それもモダン系やコンペティション・ダンスのそれは、超絶技巧なテクニックに裏付けされた正確なリズム感を前面にうちだすパーカッシヴなものであり、アクロバティックで高難度な技術を披露する場でもある。もちろん本国アイルランドでは、それだけではない——もっとメロディアスで繊細なシャン・ノース・ダンスや、コミュニケーション・ツールとしてのセット・ダンスなど、実に多様な個性を持っているのだけれども、トリニティはそれらを殆ど全て切り捨て、ひたすらリズム・マシーンとしてのボディ・パフォーマンスという側面のみを強調する。
 今回の公演ではその<プログレッシブさ>にさらに拍車がかかったようで、これまで演じていた<コンペティション・スタイル>はほとんど後景に追いやられ、代わりに<コンテンポラリー・ダンス>的イメージが強く押し出されていたように感じた。それはたとえば暗転を多用する舞台演出であったり、男女とも同じ衣装(ノースリーブのタイトなシャツにスカート)を着用する演出であったりする(ただし2名の男性ダンサーがほぼ膝上という長めのスカートなのに対し、大多数の女性ダンサーのスカートはみなさんギリギリラインの超ミニだった)。演目によってはスカートの男性ダンサーにパンツスタイルの女性陣というものもあり、セクシャリティに対する意識のありようは、いかにも現代アメリカらしいとも感じさせた。とはいえ「いわゆるケルト系」としては、スコットランドでの男性のスカートは伝統的衣装のひとつでもあるので、さほど違和感は感じさせない。
 
 
 第一幕冒頭の『SOLES』は、2016年日本ツアーで初演され今年になってリメイクされた演目だが、明と暗、静と動がかなり意識的に強調された印象的なナンバーだった。お、今年のトリニティは、かなり芸術的な…というと語弊があるかな、かなり高度なことをやろうとしているんだな、と思わせるにふさわしいオープニングだった。
 アフリカンだったりアジアンだったりと、自身のダンス言語に常にワールドワイドな視点を取り入れているトリニティだが、ここに来てついにコンテンポラリー・ダンスにも本格的に取り組み始めたように、わたしには感じられたのだ。ダンサー陣のみならず演奏陣の入退場の演出にもこだわりが感じられ—ややもするとくどいほどではあったが—彼らなりの「芸術志向」を強く打ち出そうとしているんだろうな、と。
 
 
 リズム感の強さや、それを表現するテクニックのレベルの高さという点では、トリニティ・カンパニーは世界的に見てもおそらく群を抜いていることだろう。かわりに、(アイルランド人でないにもかかわらず)わたしたちにも強く共感できる郷愁などのような、<アイリッシュネス>がもつ甘苦いフレンドリーさは、ここにはない。
 アイリッシュ・メロディ特有のセンチメンタルな美しさ、あるいはアイルランドという国が背負ってきた歴史が醸し出す詩的かつドラマティックなロマン。そういった側面を極力排した、非常に<抽象化され/グローバル化されたアイリッシュ>。それがマーク・ハワード率いるトリニティ・アイリッシュ・ダンス・カンパニーであり、今回のステージは、そういう傾向にますます磨きがかかってきたように、わたしには思えた。
 もちろん、だからといってこれを頭から否定するものではない。トリニティが目指している方向性は彼らならではの唯一無二のものであって、他の誰もが簡単に真似できるようなものではないはずで、だからこそわたしは毎回欠かさず彼らのステージを追いかけ続けているのだ。
 このカンパニーの行く末は今後も気になる。それは、創設者であり芸術監督であるマーク・ハワードが追い求める理想が、どこまで到達するのかを見届けたいという思いがあるからでもあります。
 
 次回来日公演は、また2年後になるのかな。楽しみに待っています。
 

2018 06 17 [dance around] | permalink このエントリーをはてなブックマークに追加

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