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もうひとりのニジンスキー
【写真左】
ニジンスキーは銀橋で踊らない
かげはら史帆/著
河出書房新社/刊・2023年5月30日初版
ブックデザイン/鈴木成一デザイン室
ISBN978-4-309-03107-1
いやぁ、凄い本を読んでしまった。
バレエ・リュス好きとしては書名に堂々と「ニジンスキー」の名が掲げられた本書を手に取らずにはいられず、帯に「ロモラの半生を描く」とあったのもあまり気にせず読み始めたんですが、これがとてもとても濃い内容で。
「本作は実在の人物や出来事および、それらをめぐる文献から想を得たフィクションです」と冒頭に記されています。その通り、事実関係はかなり詳細に調べ上げられていると思われ、それが本書の隅々にまでリアリティを生んでいます。巻末の参考文献一覧だけでも圧巻で、バレエ・リュス関連書はわたし自身も何冊か読んできたものの、それはほんのごく一部に過ぎなかったんだなぁと思い知らされました。いくつか実際に読んでみたいものもあるので、古書店で探してみたいな…。
本書の主人公はワツラフ・二ジンスキーの妻ロモラ。裕福な家庭に生まれ育ち、バレエとはなんの縁もなかったハンガリー生まれのお嬢様がバレエ・リュスの公演を観てニジンスキーにひと目惚れ。すでに婚約者がいたにも関わらずロモラはあの手この手を使って(!)彼に近づき、とうとう結婚にまでこぎ着けます。けれどもそれがセルゲイ・ディアギレフの逆鱗に触れ彼は解雇。直後に勃発した第一次世界大戦の影響も大きかったとは言え、この事件はディアギレフ/ニジンスキー双方にとってかなりのダメージとなりました。ロモラはだから<バレエ・リュスを崩壊に導いた悪女>的なイメージをもたれがちですが、一方で後年精神に異常を来し踊れなくなってしまった夫の治療のため、献身的に支え続けたひとでもあります。そんなアウトラインは知識として頭に入っていたものの、実際はどういう生涯を送った方だったのかは何も知らずにいたので、本書を読んでその一部が分かるようになったのはありがたいです。そして、最後まで読み切ってからあらためて書名を見ると、その意味が読書前とまったく違って読めるんですね。なるほど、うまいタイトルだなあ。
冒頭に入れた「フィクションです」という断り書きのほとんどは、おそらく登場人物たちの心理描写のあれこれでしょう――特にセクシャリティやジェンダーにまつわる意識のありようなどは、1世紀後の現在のそれとは異なっていることも多く(100年経っても未だ何も変わっていない、と見る向きもあるでしょうけれども)――思考や感情の揺れ動きが、いまのわたしたちにもすんなり共感を呼べるようかなり周到に準備したうえで描写されています。なので、事実関係だけを抜き出した史料本としても役立つだろうし、逆に史実などまったく気にせず、ある種のピカレスク小説的な、波瀾万丈のおはなしとしても楽しめるでしょう。正直なところ、一度読んだだけでは掴みきれていないところもいくつかあるはずなので、少し時間をおいて再読したいと思います。とりあえず初回は、作者の熱意の総量にこてんぱんにやられました…。
上の写真、中央は芳賀直子さん監修のニジンスキー写真集『ICON』(講談社/2007年7月刊/ISBN978-4-06-213955-7)。小説本にはニジンスキーの写真など図版は一切ないので、主人公ロモラが一瞬にして恋に落ちてしまった稀代のダンサーが、どういう顔かたちでどんな立ち姿だったかがこちらで確認できるのでこの上ない副読本として。右はDVD『ニジンスキー』(ユーリー・アリドーヒン監督・脚本/1980年ソヴィエト連邦/25分/日本版DVD発売元:IVC)。ディアギレフは大の映像嫌いだったため、初期のバレエ・リュスはじめニジンスキーが踊っているムービー・フィルムは残されていません。この作品は当時を記憶している人々の証言をもとに作られた短編ドキュメンタリーです。この中で、ニジンスキーがはじめて振付を担当した『牧神の午後』初演時に、フィガロ紙が激しく批難したのに対し老彫刻家オーギュスト・ロダンは別紙で大絶賛。そのお礼に後日ニジンスキーがロダン邸を訪れ、ロダンは彼をモデルに作品を造った…という興味深いエピソードが紹介されています。ですが、かげはらさんはこの絶賛記事が<本当にロダン本人による筆なのかどうか、真相は闇の中>とばっさり書いていて(p.48)小気味よい。そんな数々のディテールも、本書の説得力を増しているひとつだと思います。
2023 07 23 [dance aroundbooklearning] | permalink
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